小金沢連嶺
  1963(昭和38)年7月8日

私が最初に小金沢連嶺を歩いたのは1953年11月22日のことで、前夜、大菩薩館に泊まっている。この宿は上日川峠から日川の谷に10分ほどくだった沼ノ窪と呼ばれる平地にあり、当時は志村恵男さんが入っていた。

私が明日は小金沢の尾根を歩くというと、あそこはめったに歩く人がいないところだからと、ずいぶん心配してくれたものである。そういわれては、私もおっかなびっくりだったが、深い笹原で1度道をはずしただけで無事に初鹿野駅(現甲斐大和駅)に辿りつき目出度し目出度し。

志村さんは早くに亡くなったが、その後の雨宮長徳さんの代にも、私は長く大菩薩館を定宿にしていた。この63年初夏の小金沢連嶺縦走も、前夜は大菩薩館泊。現在、大菩薩館は跡形もなく、長徳さんの孫にあたる弘樹さんが上日川峠のロッヂ長兵衛を経営している。



上 大判の頃の『日本百名山』(初版1964年/新潮社)の「大菩薩嶺」(のちに「大菩薩岳」)に載る写真がこれ。狼平と小金沢山間の林には一箇所隙間があり、よくそこから嶺に向かってシャッターを押したものである。

中 天狗棚山から狼平へ少し下ったところからの奥多摩方面。 このほぼ同じ構図のカラー写真が『登山読本』(初版1965年/山と溪谷社)のジャケットの表になった。カメラはマミヤ6、フィルムはエクタクロームを使っている。

下 在りし日の焼山集落。 今は2、3軒の廃屋が見られるだけだが、富士の見えるよい集落だったのにと懐旧の念。なお、人物の足元にあるのは木馬道で、南大菩薩にはことのほか多く、流れにそったり渡ったりするときにはとても怖かった。

(2012.10)

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