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 横山厚夫さんが語るロッジ山旅の山と峠

 帯那山

                    

今年は年明け早々に峰山へ登ったのはいいが、その後風邪をひき、風邪がなおったと思ったら、次に頚椎症で左肩から腕にかけての激痛に悩まされるようになった。この痛さは並大抵のものではなく、整形外科で薬をもらったくらいではどうしようもない。結局はペインクリニックにいき神経ブロックの処置を受けるうちに、なんとか激痛時の2,3割程度におさまってきた。この程度ならば我慢もできようというものである。

しかし、それでも気勢があがらず山に出掛ける気もしなかったが、この3月の半ばに國見ゆみ子さんが丹沢前衛の日向山に誘ってくれ、これで少し元気が出てきた(國見さん、どうもありがとう)。

こんなことで普段なら月に1度くらいはいく長沢ロッジにも、昨年末以来ご無沙汰していたが、日向山がそれほど支障なく登れたのをよしとして、まぁ、出掛けてみようかという気になってきた。

そこで、3月もあと1日で終わろうという日のこと。午後の電車でロツジへいき、「明日はどこか軽いところを見繕って」と長沢君に頼むと、当日の朝に「帯那山はどうでしょうか」。こちらも家人と「今度は帯那山くらいがいいかもね」と話していたところなので、これは以心伝心か。何事も長沢君に任せておけば間違いないと感服した。おまけに一家そろって同行してくださるとは楽しいし、クリオ君も早々と車に乗っている。

そうと決まれば、おのずと思い出されてくるのが、望月達夫さんとご一緒して、私たち夫婦がこの帯那山に最初に登ったときのことだ。

日は1976(昭和51)年12月1日。前日の午後に望月さんから電話で「君、いい天気が続くねえ。今は会社なんだけれど、明日、休むから、どこか中央線の山にいかないかね」のお誘いがあった。当時、望月さんは証券会社の社長だか会長だかの要職にあったが、「僕がいないほうが、会社はうまくやっていくよ」といい、何度かお手盛り週日休み山行の相手を仰せつかったものである。

では、今回はどこがお望みですかと問えば、「帯那山なんか、どうだねぇ。僕はまだ帯那山に登ったことがないんだよ」「それは驚きです。僕もまだですが、望月さんが登ったことがないなんて摩訶不思議ですね」「まぁ、世の中、そんなこともあるものだ」となり、こちらは夫婦そろってお供する帯那山初登山になった。


  白黒写真は、みな1976年12日1日の帯那山登山の時のもの。この年、望月さんは62歳、私たちは40代でまだまだ若かった。そして、この頃はよく出掛け、よく歩いている。

初冬の、まことによく晴れあがった日、山梨市駅におりると、まず、タクシーで切差までいった。あとは一般のハイキングコース通りに歩いて難なく帯那山と標識のあるカヤトの台地へ登りついたが、みな、なんとなく釈然としない面持ちだった。三角点があるわけのものでもなし、眺めだって富士山の一方向だけではないか。この上天気、ここへきて南アルプスや奥秩父が見えなくて、なんの帯那山かと大不満だった。

そこで私が北に林をくぐってみると、すぐに小広い平地になって櫓が立ち、下に1347メートルの三角点が見つかった。あとの2人も続いてきて「なんだ、ここが本当の山頂ではないか」 

少々危なっかしい櫓だが、登ってみればほぼ四方に広がる大展望である。とりわけ新雪に輝く南アルブスの峰々が素晴らしく、望月さんは「まるでヒマラヤ・トレッキングだねぇ」といたくご満悦のていだった。

この日は、北に弓張峠まで明るい尾根をたどり、峠からは東に赤芝川ぞいにくだり、赤芝、牧平、古宿の集落をへて城下からバスで塩山にでて帰った。赤芝川の谷が美しく、集落それぞれのたたずまいに魅かれたのもよく覚えている。

こうして一日楽しく帯那山に登ってきたのだが、さらにこの山行を忘れがたいものにしているのは、家に帰って風呂と夕食をすませ一落着きしたときにかかってきた時ならぬ電話である。

それは山の本の出版社Y社の月刊誌のなじみの編集者Tさんからで、「2月号に予定した紀行文がはいってこないのです。6頁分のアナがあきます。どこでもいいから、明日一杯に16,7枚書いてくれませんか」。

なんでも福井の荒島岳を頼んでいたのが、吹雪で登れなかったと断りがあったのだそうな。うーん、Tさんの頼みとあれば、どうにかしなくてはなるまい。

そこで、今日の帯那山でもいいかとたずねると、「写真さえあれば、どこだってかまいません」となり、翌朝、これを現像焼付けして見ておいてとフィルムを届けた後、飛んで帰ってコーヒーと煙草の勢いを借り、なんとか書きあげたが、帯那山1つでの10数枚には四苦八苦、水増し行数の工夫に頭が痛かった。

Y誌1977年2月号に載るのがそれだが、「帯那山から弓張峠へ 新雪の南アルプスをながめに」の大見出しはよいとしても、サブタイトルの「本誌特派ルポ」とは付けも付けたりではないか。Tさんも相当なものだったと今に忘れない。

以上が帯那山初登山の顛末であり、以後は下記のようになった。

1983年11月 家人と2人で切差から登り、脚気石神社へおりたあと金子峠
        を越えて塚原まで歩いた。

1998年 9月 寺田政晴君の車に乗り、まず剣ヶ峰に登ったあと乙女高原から
        林道を走って帯那山に寄り道した。

2002年 3月 ロッジ山旅泊の翌日、長沢君一家と登った。

2008年 1月 ロッジ定例山行に参加して帯那山から八幡山、桜峠へ歩いた。


数えて今回は6回目の帯那山。登り2時間弱、下りは別コースをとって約1時間、それほどの支障もなく歩けて、このぶんならと大いに気をよくした。眺めは時間がたつにつれ雲が増しかすみ気味になったが、南アルプスや富士山も一応見えたのだから文句はない。コンビニで仕入れたお昼のチキンカツサンドもまぁまぁのお味だった。

それにしても、ここに掲げた帯那山道の同じ石仏の前で写した2枚の写真を見比べてみれば、感慨もひとしお。なにしろ前々回の2002年のときには、まだ保育園の1年目だった長沢家令嬢の渓ちゃんが、この4月から中学生というのだから驚いてしまう。添付で送られてきた写真を見て、こちら夫婦は溜息をつくしかなかった。                       (2010.4) 

奇しくも、犬を含めたまったく同じメンバーが、きっちり8年後に帯那山の石仏にまみえることになった。(長沢 記)


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