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 横山厚夫さんが語るロッジ山旅の山と峠

 三峰山、再び

毎度、こんないい山へこんなに簡単に登ってしまってよいものだろうか、今日様に申し訳ないと思うと同時に、こんないい山へこんなに簡単に登れるなんて、なんと有難いことだろう、今日様、いや、長沢君によくお礼をいわなければと思うのが、三峰山である。彼の車にビーナスライン脇の三峰山展望台まで乗せてもらえば、あとは登り一方にしても精々40分くらいのものである。

先月の初め、高校時代の友人3人とロッジに泊まった翌日、普段、山を歩いたことのないお友達が一緒ならば、なるべく軽いところがいいでしょうと長沢君が気をきかしてくれたのが、やはりこの三峰山。私にとっては4度目の三峰山になるが少しも異存はない。

和田峠と扉峠の間にあって標高1887.4m、草尾根の果てに盛りあがる好展望の山頂が素晴らしく、何度登っても飽きない山である。


                      2008.8.5 長沢撮影

この日もよいお天気に恵まれて、みなさんもご満足のよう。北アルプスまでは見えなかったが、周囲の眺めもまずまずだ。しかし、いくら後期高齢者のご一行でも、ここから引き返すだけではなんとなく物足りない面持ちだった。すると、もう一度長沢君が気をきかしてくれて、北の扉峠へ向って降りていく尾根を指差しながら「帰りはここまで登りになりますが、あのピークまでいってみませんか」。

少し下って少し登って約20分、三峰山より70か80mほど低いその小峰もなかなかのものだった。いくらかでも距離がつまったゆえに美ヶ原の高原台地も一段と大きく高く眺められるようになった。また、その先の扉峠まで高度を落していく尾根にも気持ちよさそうな小道が続き、後日のトレースをさそうのだった。

結局、この日は三峰山に戻ってゆっくりとお昼をすませたあと、長沢君に小淵沢駅まで送ってもらって帰った。

なお、小淵沢駅までの途中で車はガス欠、電車は大月で大雷雨と架線故障で立ち往生するなどのおまけがあったが、それもご愛嬌というものだろう。



さて、4度のうちの3度は以上のような長沢君配車の簡単登山になるが、今を去ること17年の昔、1991年の6月初旬に最初に三峰山に登ったときは段違いに歩きでのある山だった。日帰りながらたっぷり歩かされて、最後は「もう、いい」というくらいになった。その折のことを少し思い出してみよう。


      旧和田峠の近く(1991年6月5日、横山撮影 以下同じ)


                   三峰山を目指して登る

日は長い初夏の好日、一行は山田哲郎さん、中野英次さんとこちら夫婦の計4人。高尾を早朝6時15分の電車に乗って下諏訪下車、大急ぎでタクシーに乗り継ぎ和田峠にあがった。料金は4000円。

コースタイムと概略は以下のようになる。

和田峠9:40、1657b峰10:03、旧峠10:15、三峰山へ70分の指導標10:30、三峰山11:47〜12:12、最低鞍部1:25、二ツ山三角点3:05、砥沢の車道4:30、樋沢集落5:13、タクシーを呼んで下諏訪駅へ。料金は1620円。下諏訪では5時56分の塩山行きに乗車。甲府で高尾行に乗り換えて帰宅はだいぶ遅くなったと覚えている。


           三峰山山頂 人物は山田、中野の諸兄ほか

山そのものは三峰山までは気持ちよい草尾根が続いて快調そのもの。しかし、その先が長かった。二ツ山までの道が地形図とは異って尾根筋につけられているではなく、実際には尾根の北側下を通っていて予想外の時間を費やすはめになった。派出尾根を1本1本丹念に巻いていき、尾根筋の破線よりもずっと長い距離を歩かされたためである。また、1900m近い三峰山からいったん1600mの鞍部まで下って再び1880mの二ツ山まで登りなおす、その上下も決して楽なものではなかった。


                  二ツ山へ向って三峰山を下る


                   途中から三峰山を振り返る

これが最初に三峰山に登り、かつ二ツ山まで歩いたときの概略だが、いま、三峰山の上から二ツ山に続く尾根を見るたびに「ずいぶん下って登るねぇ。あのときはよく歩いた。まだ、若かったんだねぇ」と家人とうなずきあうのがつねである。

加えて、一昨年の秋、若くして亡くなった寺田政晴君の顔もおのずと思い浮んでくるのだ。

というのは、かねがね寺田君とは三峰山から二ツ山を介して鉢伏山に続く尾根に目を付け、いつか一緒に歩いてみたいと話し合っていた。

そこで山田さんや中野さんと三峰山に登ったときも、初めの計画では扉峠へ下るつもりにしていた。二ツ山のほうへは、また、日を改めて寺田君と歩けばよいと考えていのだが、さて、三峰山の山頂で一渡り眺めまわすと、扉峠へ下るなどとはいかにも簡単すぎる。1時間もかからないだろう。そこで山田、中野の御二方のほうをうかがうと、せめて二ツ山までは行かないと収まらないような面持ちが見られて、ついつい、そちらのほうへ距離を延ばすことになってしまった。

私は気がとがめた。抜け駆けをして寺田君には申し訳ないことをしたと思い、帰ってすぐに丁重な詫び状を書いた。これこれしかじかで同行の方々のご意向もあって、いつか君と歩こうといっていたところを先に歩いてきてしまいました、まことに申し訳ないという詫び状である。

ところが、折り返し返事がきて、なんと彼は私たちの2日前に1人で三峰山から二ツ山をへて鉢伏山までを歩いてきたというではないか。そして、取ってつけたように「いずれ横山さんと歩こうと下見をしてきました」だと。なにをいっているんだい、「下見をしてきました」なんてよくいうよ。どっちもどっち、あんな詫び状なんか書くのではなかった、してやられたと私は唸った。

寺田君、そんなこんなを想いながら、いま、三峰山から二ツ山のほうを見ている。この先もこの山に登るたびに、君のことを思いだすに違いない。一緒に歩けずに終わってしまって、とても残念だね。  


追記

山村正光さんの『車窓の山旅 中央線から見える山』には、当然、この三峰山がでてくるが、それを読むと山村さんは実に長いコースを歩いている。

「松本から村井経由で高ボッチ高原行きのバスに乗り」とあって、それは戦後もしばらくしてからのことになろうが、山村さんは、その高ボッチ高原から鉢伏山、二ツ山、三峰山へと歩いたあと和田峠へ下っている。和田峠からはどうしたのか。バスがあったのかそれとも歩いたのかは書いてないが、それにしても高ボッチから歩くなどとは並大抵の距離ではない。若い頃の山村さんは、それこそ飛ぶように山を歩いていたのだろう。「和田峠の新しいトンネルも、ビーナスラインも、インターチェンジも開通していなかった静かな静かな頃」、この辺の山や峠を颯爽と歩いていた山村さんの姿が目に浮かぶ。 

(2008.9)       

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