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 横山厚夫さんが語るロッジ山旅の山と峠
 
鷲ヶ峰

深田久弥さんは「日本百名山」の霧ヶ峰の冒頭に、

妙な言い方だが、山には、登る山と遊ぶ山がある。前者は、息を切らし汗を流し、ようやくその山頂に辿り着いて快哉を叫ぶという風であり、後者は、歌でもうたいながら気ままに歩く。もちろん山だから登りはあるが、ただ一つの目的には固執しない。気持のいい場所があれば寝ころんで雲を眺め、わざと脇道へ入って迷ったりする。

当然それは豊かな地の起伏と広濶な展望を持った高原状の山であらねばならない。霧ヶ峰はその代表的なものの一つである。

と書き、さらには、

まだ戦争の始まらない頃、私は霧ヶ峰で一夏を過ごし、遊ぶ山の楽しさを十分に味わった。

と続けている。

その「戦争の始まらない頃」とは、昭和10年(1935年)のことであり、深田さんは山岳雑誌『山』主催の「山の会」に小林秀雄などと共に参加していた。霧ヶ峰の一角強清水にあった長尾宏也が経営する霧ヶ峰ヒュッテを会場とし、錚々たる講師をそろえた山上の楽しい講演会であった。

いま、『山』(昭和10年6月号)掲載のその会の惹句の一節「涼風身を洗ふ夏の朝の講話、豊かな紫外線に恵まれた午後の山歩き、さては夜の、諸先生を囲む親しい団欒」を読めば、よき昔を想うばかりだ。



さて、それはそれとして、それから73年が経った今年2008年のつい先だって、5月27日の話になる。

その日の午後も1時半をまわった頃、深田久弥さんのご子息の沢二さんを交えて泉久恵さん、長沢君と私たち夫婦の5人は、霧ヶ峰の一角鷲ヶ峰の登り途中で遅い昼食にすることになった。やっと頃合の場所をみつけて、「さぁ、ここでお昼にしましょうか」。



高尾発9時近くの電車に乗って小淵沢着が11時少し過ぎ。そのあと、いくら長沢君の車で駆けあがったにしろ、八島湿原駐車場からの歩き出しは山歩きにはしては少々遅すぎる。 

しかし、今日のこの天気、まだ一片の雲もなく青空がすべての快晴そのもののである。強い日差しを背に受けながら、「あと1時間もかからないから」と、四方の景色を見回しながらゆっくりと食事をしていると、「沢二さん、僕が松原のお家にうかがうようになったのはまだ学生の頃で、その時分、沢二さんは小学生でしたね」と、そんな話にもなってくるのだった。



深田さん一家が金沢から東京の世田谷区松原に引っ越してこられたのが昭和30年(1955)8月、その翌9月中旬に私は深田さんのお家にいっている。

それから半世紀以上の歳月がたった末に、いま、こうして沢二さんと霧ヶ峰にいて昼の食事をしているなどとは、「われながら信じられない」。まるて゛長年月が演じた手品の不思議としかいいようがないではないか。

「深田さんは朝日を吸っていらしった。1本ごとに後ろの棚から取りだすと、吸い口のところをつぶして……」とは、泉さんがアララット登山の報告などで松原のお家を訪ねたときの思い出話だが、それも、もう、ずいぶん昔のことになるだろう。



鷲ヶ峰は標高1797.7メートル、駐車場からだとさして急なところもない標高差150メートルほどの登りである。伸びやかな笹尾根が伸び、辿るにつれて南北、中央の各アルプス、八ヶ岳、浅間山など日本中央部の主要な山々がすべて見えてくる。長沢君の指差すほうに目を凝らせば、富士山も見え、こんなところからと驚く荒船山も、やや霞み気味にしろ蓼科山の左肩に姿を現してきた。

「そこからの眺めに申し分なかった」と書く深田さんの文章そのままの山岳展望であり、私は、こういう明るくひらけた笹尾根の、登るともなく登っていく尾根道が大好きなのだ。



泉さんも、今日は快調そのもの。私たちが山頂に登りついて幾らもしないうちにやってきた。半月ほど前、やはり長沢君のロッジに泊まって近くの山を歩いたとき、泉さんは平沢峠から平沢山へなんの支障もなく登りきって、それでずいぶん自信がついたといっている。

みんな、好いお天気、好い山、好い眺めに、にこにこしていた。それに他に誰もいないのも、これまた好しの山頂だった。



私と家人にとって、鷲ヶ峰はこれで3度目になる。

最初は1990年の秋の好日、中野英次、寺田政晴の両君と一緒の日帰り山行だった。高尾発早朝の電車に乗って下諏訪からタクシーで和田峠へあがり、鷲ヶ峰を越してからは八島湿原、物見岩、車山とたどって白樺湖畔に降りた。和田峠を出たのがかれこれ10時、白樺湖畔が3時少し前だったから、まずまずの速度で歩きとおしている。いまとなっては、とてもそのようにはいかないだろうし、それになんとしたことか、すでに寺田君はこの世の人ではなく、また、中野君も近頃は山どころではない体の不調と聞いている。ここでも、やはり、その後の年月を想うのみだ。






 (この3枚の写真は、1990年10月3日、鷲ヶ峰登山の際のもの。人物は左端が寺田政晴氏、右端が中野英次氏。横山厚夫撮影。)

その後は2003年の初秋、長沢君と同行している。その日は鷲ヶ峰だけではなく、「こんな好いお天気の日は、鷲ヶ峰1つではもったいない、三峰山へも登っていきましょう」と長沢君がいうおまけ付きの日になった。三峰山も草尾根の果てに眺望絶佳の山頂が「いらっしゃいませ」と待っていてくれる、鷲ヶ峰同様の私好みの山である。



今日も、また、これまでと変わらない鷲ヶ峰登山日和に恵まれて、「あぁ、よい山歩きでしたね」。

沢二さんと私たち夫婦は「一足お先に」と下り、途中から八島湿原の遊歩道におりて30分ほど奥へたどってみた。湿原にそう木道をぶらぶらいくのも、まさに「気ままに歩く楽しみ」満喫であり、男女倉山への道が分かれる所で一休みしてから引きかえした。

駐車場に戻ってほどなく、泉さんと長沢君も無事におりてきて「遊ぶ山」の一日が終った。帰路は白樺湖畔や八子ヶ峰登山口などを廻るドライブを楽しみながら、「いつかこの八子ヶ峰にも登ってみましょう、これも眺めのよい僕の好きな山です」。



翌28日は、引き続いての好いお天気に恵まれて横尾山に登った。南下の大平牧場から登る道は初めてで、信州峠から登るのとは、また異なる好さあって気に入った。それに廃業したあとの牧場の草地にはワラビが多い。新緑の林から聞こえるカッコウの声を聞きながらの山菜採りが、いうことなしの道草であった。



                       (2008.7)
 

 
   
   
   
   

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