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 白谷ノ丸と電子書籍

山梨県都留市の高台にある母校からは、屏風岩の落差が目立つ三ツ峠山や、本社ヶ丸から鶴ヶ鳥屋山にかけての稜線、さらには大菩薩連嶺南半の山々が眺められた。
 
大菩薩では、もっとも奥まって高い黒岳が文字通り黒いので、その手前の夏なお白いザレを落とす白谷ノ丸が目立っていた。しかしそれらの山名を知ったのも実際に登ったのも都留の街を去ったあとのことだった。
 
その白谷ノ丸とはもう十年以上もとんとご無沙汰していた。あの巧まざる山上庭園の白砂を久しぶりに踏みたいが、縦走するには車の手配が大変だし、湯ノ沢峠から往復するだけなら、えぐられて固く踏まれた登山道が閉口だ。
 
そんな折、本誌今年夏号に多羽田啓子さんが書いた、大峠側の茶臼尾根から白谷ノ丸に登る紀行を読んで膝を打った。なるほどその手があった、ありがたくこれを歩かせてもらおう。
 
出かけたのは十月半ばのことだったが、霧の一日で展望はまるで得られず、その上例年より色づきが遅い木々はまだ夏のようで、樹相や地形から想像される絶景を思うにつけ悔いが残った。
 
その二週間ほど後の同じく十月の末、計画を一任されている山歩きの予定があった。よし、それを白谷ノ丸にして、ちゃっかりと自分の無念を晴らそうと思いついた。富士山に遅い冠雪があったし、さすがに木々も色づいたことだろう。好天であれば誰に文句のあろうはずはない。
 
そして願ってもない好天が訪れた。やはりお山は晴天である。その展望、紅葉は想像以上だった。さらには面白い出会いもあった。 大月で食料の買い出しをしているとき、見かけた顔がある。あれあれ山の本倶楽部の小森谷さんと佐竹さんではないか。これは珍しいところでお会いしましたね、どこぞの山へでもお出かけですかと尋ねたら、なんと行先が一緒。やはり多羽田さんの文章を読んだからだというが偶然には違いない。同じ時間に同じルートで同じ山を目指しているのだから、もう同じバーティになるしかない。
 
私たちはいつにない大勢の一二人。それがさらに増え、踏跡怪しい茶臼尾根には滅多にないだろう長い列ができることになった。倶楽部のお二人には山慣れたところで最後尾を担ってもらい、ここでもちゃっかりと大所帯の安全を確保できたのである。
  
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すれっからしになった今では少なくなったが、まだ初心者だったころ紀行文に触発されて山に登ることがよくあった。古くから多くの人に登られておのずと文献も多い甲州の山を歩くことがほとんどだったから本になっている紀行文にも事欠かなかった。山を下りてからその山に登るきっかけになった本や関連する本をグラス片手に再びひもとく一時が楽しくて、飽きもせず山歩きを続けたのかもしれなかった。紀行文は同じ体験をしたあとのほうが当然ながら理解が深まるし興趣も増す。
 
新しい紀行文をガイドブック代わりに山を歩けば、その山や山域の古い文章を読みたくなる。古いといっても日本の近代登山は明治時代に始まるから現代語で読めるので敷居は低い。
 
大菩薩連嶺なら近代登山の黎明期は大正に入ってからで、その先駆者としてまず名前が挙がるのは木暮理太郎であろう。
 
我々が歩いた白谷ノ丸や黒岳について木暮が書いているのは「初旅の大菩薩連嶺」と題された文章で『山の憶ひ出』に収められている。
 
大正七年の晩秋、中央線の初狩駅から歩きだした木暮、武田久吉、浅井東一の、数日を費やす予定での探検的登山と、我々の、車を極限まで利用した日帰りハイキングが、同じ山頂を踏んだという以外に共通点がほとんど見当たらないのはあたりまえである。彼我の隔たりを嘆いたり呆れたり、時代が変わっても変わらないものがあれば嬉しく思ったり、失われつつある見方や言い回しを懐かしく感じたり、そんな諸々が昔の文章を読む醍醐味である。人は今の物差しでしか事物を測ることができないが、今の物差しは過去の積み重ねで出来ている。温故知新とは要するにそれを言うのであろう。
 
ところで、私はこの「初旅の大菩薩連嶺」を自分が持つ『山の憶ひ出』で再読したわけではなかった。先般、安売りをしていたのでついに買ってしまった電子書籍リーダーに無料でダウンロードして読んだのである(余談ながら、電子書籍はパソコンでもスマートフォンでも読めるのに、専門化されたリーダーを使う利点は、機能が少ないこと、すなわち誘惑が少なくて読書に集中できることにある)。
 
インターネットが世の中を席捲して久しいが、その間、著作権の失効した作品は次々に電子化されて端末さえあれば無料かほんのわずかな出費で読めるようになっており、山岳書も例外ではない。古本を探していたらいつ読めるかわからないような文章が続々と電子化されている。
 
私は文章は印刷物つまり書物になってこそと思う者で、これまで電子書籍とは縁がなかった。前で「ついに」と書いた理由である。にもかかわらず、パソコン漬けの毎日で読み飛ばしている文字は電子書籍の文字そのものだし、書くとは名ばかりで、電子化された文字をキーボードで打っている。つまり本だけは特別だいう論理は文章を読むという意味からは破綻している。とはいえ、それは保守の感情に属する自家撞着で、いちいち筋を通すことでもない。
 
しかし無料とはなんと悪魔的な誘いなことか。蒐集家でもない私は、漱石でも鴎外でも、電子書籍で無料で読める昔の文章を本で買うことはもうないだろう。
 
だが、温故知新が簡便でしかも安く享受できるようになった一方では、個々の言論の価値はいよいよ低下するだろうと、我ながら素直でない予感を持っている。

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