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 鄙にはまれな

「鄙にはまれな」とくれば下には「美人」と続くのがまずは一番であろう。都会の男のいかにも傲慢な言い方ではあるが、その美が都会的洗練とは逆の、純朴な、無垢な、穢れを知らぬといった意味合いで語られることがほぼすべてなのは救い難い男のロマンチシズムとでも言うべきか。
 
山に登るような男が書く「鄙まれ」ならなおさら右のような事情に決まっていて、いくつかの例が頭に浮かぶ。しかしここで取り上げるのは登山家ならぬ作家井伏鱒二の『増富の谿谷』に出てくる「鄙まれ」である。

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戦前の話である。井伏は釣りの師匠佐藤垢石老に連れられて増富鉱泉を流れる本谷川にやまめ釣りに出かける。鉱泉に泊まった翌日、行きしなにも通った本谷川沿いの道を川下に歩いているときだった。見覚えのない胡桃の大木がある。
 
「この木は昨日もここにあったかしら」井伏が聞くと、垢石老も「はて、こいつは俺も見なかったと思うんだがね。どうも変だ」と言う。ふと垢石老は後を振り向く。井伏も振り向いたが誰もいなかった。
 
狭い谷筋をさらに下ると行く手は小さな盆地状に開け、水田や人家も見える。路の曲がり角で姉妹と思われる二十歳前後の二人にぱったりと会った。紺がすりの着物で手拭いをかぶり籠を背負っている。これが「鄙まれ」だったのである。
 
黙って行き過ぎようとした姉妹を、尊いものが消え失せてしまうように感じた井伏はとっさに呼びとめ、聞く必要もないバス停への路を尋ねる。二言三言の会話があって娘たちは去っていく。後姿が見えなくなるまで見送ったのちも、この「鄙まれ」への讃嘆は二人の間で続いたのである。
 
数年後、井伏は小説家村松梢風が増富でまったく自分と同じ経験をしたことを本人から聞いて驚く。胡桃の大木、出会った場所、姉妹の風体、何から何まで同じである。ところが村松の経験は二十年も前のことだというのである。井伏は寒気を覚える。
 
井伏はこの話を大学を出たばかりの石田という青年にした。すると石田は目を光らせて、同じ偶然を求めにさっそく増富に行ってくると言い出した。その姉妹の話は自分が帰るまでは他言しないでくれと念を押して。
 
『増富の谿谷』はここで終わる。

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増富ラジウム鉱泉は私の住む山梨県北杜市にある。人気の高い瑞牆山や金峰山の登山口として知られているが、それらの前衛にあたる、鉱泉にほど近い山々ではまず登山者の姿を見ることはない。そんな静かな山を好む私がこの山域を探るようになったのはしかしごく最近のことである。それで、かつて読んだことのある『増富の谿谷』を思い出して読み返したのであった。
 
井伏は小説家だからこの文章がどこまで本当かはわからないが、実名が入っているところをみるとあながち架空の話とも言い切れない。あわよくばそんな「鄙まれ」を拝みたいものだと夢想したのは、私も愚かなロマンチストだからである。
 
増富鉱泉の西に日影という集落がある。かつてはここから本谷川に沿って、今ではダム湖に沈んでしまった塩川集落に出る歩道があった。文章から察するに「鄙まれ」の姉妹がいたというのはこの塩川集落に違いない。だからその道も、集落近くにあったという胡桃の大木も水没してしまったことだろう。つまり井伏の行程をきちんとたどることはもう不可能である。
 
日影集落には町の天然記念物に指定されている栃の大木がある。樹齢三百年以上というから井伏が来た頃にもむろん大木だったわけで、案外その大木に触発されて物語を思いついたのではなかろうかと、まずはそれを見に行くことにした。
 
集落内の細道を進むと、やがて人家は途絶え、さらに細くなった道は林に入る。林の奥にひときわ太い幹が見える。近づけばなるほど凄い。低い位置から何本かに分かれた枝だけでも優に大木の風格がある。
 
巨木の下に立つと人智を超えた何か大きな意思を感じる。その周囲を過ぎ去っていった歳月が一気に押し寄せてくるかのようで、めまいすら覚える。井伏の文章も主役は胡桃の大木で、木に幻惑されたのかもしれない。 

巨木から先へも細道が続いている。これが昔の道かと歩いていくと今時珍しい茅葺の一軒家に突き当たった。家の裏手でぐっと谷は狭まって、もはや道はなさそうだ。
 
と、気配に気づいたのか家から老人が出てきた。かなりの年かさに見える。長くここに住んでいるなら、ひょっとすると井伏の「鄙まれ」のことも知っているのでは。
 
「知ってますとも」口の端にわずかな笑みを浮かべ、見かけによらないしっかりした声で老人は応えた。
 
そのときだった。忽然と女性が現れたのは。いでたちは古い写真で見た農村女性のそれ。茅葺の家といい、時代が遡ったように思えた。
 
一見では年の頃まではわからなかったが、挨拶をしようと頭にかぶっていた手拭いを取ると若い娘の明眸皓歯があらわになった。井伏が尊いと書いた、垢石老や村松がまるで絵のようだと言った「鄙まれ」の美しさとはこれだったのだと一瞬で納得した。目は釘づけになりその場に立ち尽くす。こんな美の血筋が今でもこの地には連綿と続いているのであろうか。
 
老人の孫なのか、いや、ひ孫だろう。もし私が青年だったらこのまま立ち去ることができるだろうか。きっとできまい。
 
表情から私の心中を察したのか、老人は少し哀しげな顔をして首を振った。
 「おそらく勘違いしているでしょうね・・・・私の妻なんです」
 
女性の頬に赤みがさした。一方、私は青ざめ、背中がひやりとする。
 「ひょっとして、あなたは石田・・・」

補遺


この文章が『山の本』に載ったあとのことである。『奥秩父西端・わが町の山々』(矢崎茂男・近代文芸社)に井伏の「増富の谿谷」が取り上げられているのを思い出して読み返すと、どうも勝手が違う。

矢崎さんによると、井伏が石田青年にこの話をしたらおおいに興味を示して、僕も行ってみますと言いながら、結局はやめてしまったというのである。

これでは私の書いた話は成立しない。しかし矢崎さんが結末を間違って書くとも思えないので、この短編が収められた『おこまさん』(輝文館・昭16)を図書館で読んでみた。

なるほど矢崎さんの書くとおりで、最終的に石田青年は増富に行くのをやめたことになっている。

私が題材にした文章は『晩春の旅/山の宿』(講談社文芸文庫)によるが、その底本は昭和49.50年に出た、筑摩書房の井伏全集だと書かれている。井伏は生前最後に出した自選全集を編むにあたって、かなり作品に手を入れているが、それ以前にも、全集に入れる際には修正を加えていたのだと思われる。「増富の谿谷」の場合、最後を削ったことになる。

前述した自選全集では、逆に、井伏は出世作「山椒魚」の結末に加筆した。これは蛇足ではないかとかなり物議をかもした。私も書き加える前が良かったように思うが、「増富の谿谷」では、削ったことがいい結果になっているように思う。余韻が出たのである。私はその余韻を利用して書いたのだった。

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