ロゴをクリックでトップページへ戻る

 『山の写真と写真家たち』(杉本誠著・講談社)

表題の本は、山岳写真史研究家の著者による、登山史を山岳写真史の側から考察したもので、「もうひとつの日本登山史」という副題を持つ。古今の作家の山岳写真を上質紙に印刷した四八〇〇円もする大判の本で、昭和六十年に出版された。
 
歴史とはつまり記録の整理整頓だから、近代登山の歴史が近代文明の申し子のような記録手段である写真に例証を求めるのは当然だが、写真の側に重きを置いた山岳史の方法は著者以前にはなかったし、それ以後もないように思う。これからもないだろう。
 
この本の元になったのは著者が『岳人』誌編集部に在籍中の昭和三八年、自ら連載した「日本山岳写真ノート」と、昭和五五年から二年に渡って再び同誌に連載した「続・日本山岳写真史」である。
 
最初の連載のきっかけは、著者がグラビアページを担当することになって、山の写真を撮っている者の何人もと会ううち、彼らが自分たちの写真が正当に評価されていないと考えていることを印象深く感じたことだった。それほど山岳写真は写真界では後進の分野なのだろうかという疑問から、草創期までさかのぼって調べてみることにしたという。
 
次の連載の構想にかかるまでには一六年の歳月が流れた。その間の山岳写真界の動静を著者は「激動」と表現し、山岳写真のプロフェッショナルが相次いで出現したことをその第一の理由に挙げている。
 
それには個々の写真家の努力もあったかもしれないが、何もないところからプロフェッショナルが現れるはずはない。需要があって初めて商売が成立する。世は高度成長時代に入っている。出版業界も好況で、山岳雑誌や山岳書はもちろん、山の写真を必要とする出版物も激増したに違いない。あらゆる印刷媒体が文章を減らしてでも写真を多用するようにもなった。当然印刷技術の発達もあっただろう。結果、山岳写真が急速に売買の対象となった。こういったことはあれよあれよと起こる。時流である。
 
「激動」の中頃、高校生の私は山に興味を持ち出し、おのずと山の雑誌や本を読むようになった。それらに載る写真の、ことにカラー写真の色表現がみるみるうちに鮮明で忠実になっていったのを目の当たりに見た。フィルムや印刷に飛躍的な進歩があったのだろうが、そのとき、少し前のカラー写真はもう高校生の目にも見るに堪えなくなった。
 
写真が、カメラやフィルムがまずありきの表現である以上、機材の発達によって過去の作品があっという間に古びて商品価値を失うのは宿命である。それでなおかつ残るものは古くなったからこそ価値を生むもので、すなわち「初」やそれに類する文字が頭につく写真か、被写体そのものが希少価値を持つ写真にほかならない。著者が最初の連載で取り上げた、明治から昭和二十年代までの山岳写真にはそれらが満ちている。
 
「激動」の期間だったという第二の理由として、海外渡航の自由化で世界中の山が登り尽くされてしまったことを著者は書いている。これは要するに被写体の魅力に頼ることができなくなったということであろう。
 
誰もがいっぱしのカメラを持てるようになり、彼らが山にカメラを携えれば、山岳写真家を目指す者が現れる。それで実際に何人ものプロが生まれたのは著者が書くとおりだが、だからこそ商売になる山はやがて枯渇する。山に新奇がないのなら前衛的手法を採るしかない。芸術の名のもとにきてれつな構図や露出の写真が山岳雑誌をにぎわせたことがある。しかしやはり山岳写真としては徒花で主流とはなり得なかった。
 
この本が出版された年には、奇しくも一眼レフでは事実上初めてオートフォーカスを実現したというカメラがミノルタから発売されてベストセラーになり、またたく間に他社も追随した。機械は人の熟練を省く方向に必ず進化する。その後に起こったフィルムカメラからデジタルカメラへの怒涛のような変遷をここに書くまでもないだろう。今や画面にタッチするだけでそこそこの写真が撮れるスマートフォンをあらゆる人が携帯し、いつでもどこでも写真を撮る。しかもとてつもなく大量に。
 
著者がこの本に、山が登り尽くされ「(山岳写真家にとって)甚だむつかしい時代になってきている」と書いてから三十年が過ぎた。山岳写真はさらなる発展を遂げたのだろうか。
 
発展が、プロ作家が続々と登場し革新的な作品が次々に発表されることだとすると、それはなかったように思う。一方、デジタル化で山岳写真の裾野はおおいに広がり作品の量は膨大になった。それを発展というのならそのとおりだが、少なくとも著者が考える意味合いでの発展ではあるまい。
 
今にして思えば、著者の書く「激動」の時代を経て昭和が終わるまで、つまりこの本が出版された頃までが、フィルムやカメラは成熟し、かつて山の写真が冷遇されていると感じていた人たちが、自分たちの納得できる形で我が世の春を謳歌できた短い時代だったのではないだろうか。前述した写真の宿命を考えると、その時代を経験し一度でも名前が世に出た写真家は以て瞑すべきなのだと思う。
 
天文学的数字の量産で写真の商品価値がおそろしく希薄になった今、ますます写真は趣味である。新たなプロが出てくるとしても、以前とは違う形態で生計を立てるしかなく、彼らはかつて山岳写真史が出版されるほどの時代があったことを羨むだろう。
 
草創期から百年を越える知見の堆積の上に現在の山岳写真はある。知見とは機材の技術でもあるし、撮影の技術でもある。それらは常に向上をもくろみ一般化してきた。
 
岡田紅陽が撮った富士山のカラー写真の横に、現代の無名のアマチュア写真家が最新のデジタルカメラで撮った同じ構図の写真を並べれば、写真としての優劣は明らかである。これを山岳写真の進歩だとは言えないのか。

ホームへ  山の雑記帳トップ