ロゴをクリックでトップページへ戻る

 「岳妖」を語る男

夏休みが終わった頃に例えば日本アルプスのような普段はあまり縁のない高山に登ることにしているのは、低山ではまだ暑くて閉口なのと、真夏の燦爛は去りしかも秋の絢爛には早いといった中途半端な時季のせいで有名な高山でも人出が少ないのが何よりだからである。
 
さる年の九月初めのこと、果たして西穂高岳の頂上は好天だというのに静かなもので、先着の数人が下ったあとは独りきりになった。日本に冠たる穂高の一峰でこんな贅沢は滅多にないだろうからさらに長居をすることにした。
 
と、遠く奥穂高岳方面の岩上にこちらへ向かってくる小さな人影が見えた。ではあの登山者が着いたら頂上を明け渡すとしようか。 

その姿は岩稜に現れたり隠れたりするが、奇妙なことには現れるたびにまるで映画のコマ落としを見ているかのように急速に近づく。だから目の前にその男が現れたのも最初に目にとめてからほとんど一瞬の出来事に感じた。
 
白いランニングシャツ一枚の背中には、かつて流行ったナップサックがぶら下がっている。頭に麦藁帽、足には地下足袋なのもまるで時代がかっている。中肉中背、よく灼けた肌の下には決して隆々としているわけではないがしかし的確に動きそうな筋肉があって、要するにあの速さも不思議ではない軽装と身体つきである。息づかいは荒くないしシャツには汗染みもない。
 
好んで山を独りで登る人が日頃は多弁ということもあるまいが、そんな人でも山の中では案外饒舌なことがある。たとえ数時間でも会話をしていなければ人恋しくなるからだろうか。私にもその傾向はたしかにあるし、男も同様らしかった。
 
ありきたりな挨拶のあとの会話はどちらが先に口を開いたのだったか次第に談論は風発し、いつしか山の本のことにまで話が及んだのは、こんな山頂でしかも初対面とあってはまず珍しいことだった。
 
その男が好きな本だというのが上田哲農の『日翳の山 ひなたの山』だったのに「ほう」と男の顔を見直したのは私にとっても前々からの愛読書だったからである。画家が同時に文章家でもあることは少なくないが、上田はそのうえ登山家としてもならしたのが特異で、前記以外にも珠玉の山の画文集を数冊残した。
 
怪談話が好きな私にとって、この本の中でもことに印象深いのは「岳妖」と題された、実話だという怪異譚だった。それを口にしたら「たしかにあれはいいですね」とは男の言である。
 
昭和一五年正月、上田の山仲間二人と案内人一人が東北は朝日連峰にて消息を絶つ。三人の豊富な山の経歴や行程からよもや遭難したとは考えられなかったのだが、地元民や仲間内での再三の捜索でも手がかりはなかった。遭難死が確定したのは雪解の進んだ五月下旬に遺体がついに見つかったからだったが、発見場所や三人の遺体の位置などさらに不可解なことだらけで謎はますます深まるばかりだったという。

「岳妖」はその例外だけれども、よくできた怪談話が山の文章には意外なほど少ないと男が話し始めたとき、すっかり陽が西の空低くに傾いているのに気づいて、私は話をさえぎった。上高地に下るのでそろそろ出発しなければ。
 
同じく上高地に下るがもう少し頂上に留まるという男に別れを告げ先に下ることにした。男のあの速さならまだ余裕があるだろう。上高地まで追いつかれずに下れるだろうか。私の中にちょっとした対抗心が生まれていた。
 
独標を越えれば険路は終わり飛ばせるようになる。ほとんど休まないまま西穂山荘手前の丸山にさしかかったとき、前方の登山道から少し離れた岩の上に座っている男の姿が目に入った。後姿だが間違いない。あんな風体がそうそういるはずがない。
 
いったいどこで追い越されたのだろう。登山道から少しそれて写真を撮った時だったか、背後に人の気配があればわかるはずの距離だったが。
 
男がこちらを振り向くこともなかったので黙って横を通り過ぎ、西穂山荘の前から上高地への下山道に入った。夕暮れが忍び寄っていた。こんな時間に上高地側に下る人はいない。前にも後にも人影はなかった。
 
途中、登山道から少し離れた水場に寄ることにした。丸山であの男を見てから追われるようにさらに急いだので大汗をかいて喉がからからだったのである。
 
水場の直前で我が目を疑い足がすくんだ。あの後姿がそこにあったからである。薄暗くはなっていても樹林帯の狭い一本道なのだ。追い越されて気づかないはずはない。今度ばかりは背中がぞっとした。

「どこかに近道でもあるのですか」水を飲んでいた男は振り向いたがそれには答えず、西穂高岳で途切れた話を再び始めた。

「山で怪異がいかに多かろうが語り口に工夫がなければよくできた怪談話にはなりません。(岳妖)が佳品になったのは文章の最後に<落ち>に類する結末があって余韻が残るからなんです。この部分は事実であろうと創作であろうと構わない。とにかく技巧があるんですね。怪異な現象だけで事足れりとしている凡百の山の怪談話にはそれがない」
 
「岳妖」は、三人を捜索した山仲間たちが上田の家に集まって遭難原因を話し合った際の挿話で締めくくられる。
 --------------------------------------------------------
 今まで、傍らで黙って聞いていた家の者が、突然、
「見たのと…違うかしら?」と、いった。
 うつむいていた一同は、ハッとしたように顔をあげた。
「なにを…」
「なにかを…なんだかわからないものを…」 
 誰も答えるものはなかった。
--------------------------------------------------------
「いったい何を見たんでしょうね」
 男は冷たい目で私を見てニヤッと笑った。

ホームへ  山の雑記帳トップ