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            山からの絵本 辻まこと著

『山と溪谷』八七年一二月号の「辻まことの世界」という特集を読んで、それまで漠然としか知らなかった辻まことの作品と略歴について知ることになった。

特集の中に辻と親交のあった詩人山本太郎が亡友の思い出をたどって富士五湖のひとつ西湖や周辺の山を訪れた紀行があって、辻が西湖畔のツブラ(津原)と呼ばれる入江に仲間とともに小屋を持ち、戦前から何度も滞在して周辺の山にも足跡を残していたのも知った。

この雑誌が出たころ河口湖畔に住んでいた私は山歩きを始めたばかりで初心者特有の熱中の時代だったのだが、まだ若かったせいだろう早起きが苦手で、休日には遅い出発でも間に合う近所の山々へ出かけることが多かった。

中でも奥河口湖から西湖の北側の空を限る十二ヶ岳から王岳にかけての山域には足しげく通ったものだ。そんな、私にとっては自宅の裏山のような山に山岳雑誌で特集が組まれるような人が登っていたのかと嬉しいような誇らしいような気分になったのを思い出す。すでにツブラの小屋は跡形もなかったが入江の水際には洒落たレストランができていて、それは私が以前からたまに訪れていた店だった。

そんな奇遇もあってそれ以後辻まことの本を求めるようになったが、しかし私がツブラ小屋や御坂の山に題材をとった画文を多く収めた『山からの絵本』(創文社)を実際に手にしたのは、長く途絶えていた版が復活したときだったからずっとあとのことになる。もっとも、もともとこれらの文章が発表された『アルプ』は手に入れてその内容は読んではいた。

この本が最近山と溪谷社から文庫本の形で出版されたことが今回の文章を書くきっかけになった。

没後に出版された辻の本は研究書や評伝を含めると生前の何倍もの数になる。ゆえに作品の魅力については出尽くしていて、今さら私が屋上屋を架すこともない。そこで辻の著作が初版以来半世紀もたって新刊書店の本棚に並んでいる現象について考えてみようと思ったのである。

およそ芸術は作品がすべてで作家の出自や私生活などどうでもよいはずであるが、わが国においてはそうは問屋が卸さない。自らの生活を赤裸々に綴ったものが私小説という分野を生んでいまだに文学の一派であることひとつを考えても、読者の作家に対するひとかたならぬ興味がわかろうというものだ。

わけても作家の不幸な生い立ち、貧困や病気、さらには生前には不遇だったことを好むのはけしからぬ読者の料簡だと言わねばなるまいが、私小説作家にとってはむしろそれらは好条件ともいえる。だがそれとまったく逆の恵まれた境遇であったとしても、およそ芸術作品と呼ばれるくらいのものを生み出すには一見明朗に見えてもその裏には何かしら暗く不健康な情念が必ずやあるに違いない。

それはともかく真の芸術作品なら作家の手を離れて独立独歩しなければならない。作家の身の上を作品に投影して論じるのは科学で心まで解明したがる近代人の悪習で、それが文学研究の方法のひとつですらあるのだが、むしろ作家を知り過ぎることは作品を見る目を曇らせる場合がある。しかし出版が商売である以上、作家の出自や人生が特異であればあるほど得がたい付加価値にはなる。

辻まことにおいても出生から青年期に関わった人々の数奇が喧伝されていることが読者を引きつける一因になった。すなわち、父辻潤、母伊藤野枝、その他くだくだしい説明はしないが大杉栄、武林イヴォンヌなど、それだけで小説の種になるような名前が周囲に群がる。

棺を蓋うて事定まるとはよく言ったもので、今生きている人の生い立ちにまで立ち入って論ずることは簡単ではないから、それらは辻の死後遠慮なく語られることになった。さらには辻が比較的短命だったことで同時代を生きた人々がふんだんに生き残っており、故人の逸話を多く書いた(余談ながら夭折の登山家が後世に語り継がれるのにも同様の事情がある)。

要するにそれらの情報が我々読者の持つ、作家への好奇心を刺激して作家と作品が渾然一体となった「辻まこと伝説」をつくったのである。私にしたところで先に作品ありきではなくその伝説から入門したようなものだった。どんな作品との邂逅も自分が最初の発見者でない限り多かれ少なかれそういった要素はあるが、ことに過去にさかのぼって作品に触れるきっかけにはまず伝説ありきということは当然多くなる。いったんそうなれば長年に渡って新しい読者を獲得できることにもなるだろう。

もちろん辻が全人的な伝説となったのには作品に魅力があったからなのは言うまでもないが、前述したように作品についてはすでに語り尽くされた感がある。ここではもっと表面的なことについて書いておく。

まずは辻が残した本が画文集だったこと。本質的に絵は文章に較べて古くならないし、字ばかりの本より間口が広い。そして辻の文章には固有名詞や地名をぼかして時事的な意味で古くならないようにする工夫が至るところに凝らされている。

文章は新しい部分から腐るというのは奇を衒った目新しい表現から先に古びるといったことだが、紀行文が時代時代の事実に基づくがゆえに次々に古びていく運命にも適用できよう。つまりよほどの歴史的快挙でもない限り、山の文章が時間の淘汰に耐えるには時事に頼らない普遍的なものを的確な言葉で明晰に書くしかなく、そして辻まことは生前に出した三冊の山の画文集ではそのような文章を書いた。

ただし条件を揃えたからうまく「伝説」となるというわけでもなく、どうやらその出来(しゅったい)については神のみぞ知る領域に属するらしい。

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