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      『北アルプス黎明』
       穂苅三寿雄ガラス乾板写真集


山歩きに持っていくカメラがデジタルになってから撮る枚数が一気に増えた。フィルム時代なら1年かかって撮った枚数を、下手すれば1日で撮ってしまう。

現代人は多かれ少なかれ忘却恐怖症だが私もその患者のひとりである。写真を撮られるのはあまり好まないが自分が撮るのは大好きだ。せっせと撮ってはパソコンに溜め込んでいる。ただ私は自分が病気であることを自覚しているから、ふと空しく感じることもある。

有史以来人間は時間にあらがおうとして数々の方法を開発してきた。そのひとつに記録手段がある。絵が描かれ文字が創られ音が録られ、ついには世の中のあらゆるものが写真によってその一瞬をとどめるに至った。機材の発達によって、より詳細で鮮明で、かつ安価に記録できるようになった。デジタル時代になって、世界中のメモリーに日々蓄積されつつある画像映像の膨大さを考えるだけで目が廻る。

だがこれらのほとんどすべては遅かれ早かれゴミになる。デジタルデータなら宇宙の藻屑と消える。ゴミにしないで後世に残したいと願うのはまず徒労で、自分の記録を自分の生きている間だけでも見て楽しめたら良しとしなければなるまい。ただし老いて自分の青年の頃や少年の頃や果ては赤ん坊だった時の姿を見ることを楽しいと思うかどうかは人それぞれだろう。写真がそれを可能としたのは人間の歴史からすればごく最近のことだ。忘れたくないと望んで方法を編み出して、それが残酷なことも知ったのである。忘れて平安になることができなくなったのである。



去年の夏、安曇野の豊科近代美術館に山岳写真展を観に行った。わざわざ遠くまで出かける気になったのは、その少し前に手に入れた穂苅三寿雄(1891〜1966)の写真集『北アルプス黎明』(信濃毎日新聞社)にいたく感銘を受けたからであった。

穂苅氏の写真は日本の登山史がひもとかれるとき大抵登場するので見たことのある作品も何枚かあったが、こうして一冊にまとめられたものを見ると、ガラス乾板によるモノクロ写真ならではの精緻さや奥行きの深さにあらためて感嘆させられることになった。構図の良さは、それを学ぶにしろ先人の少なかったことを思えば天性だろう、きりっと締まった画面の緊張は尋常ではない。

カラーフィルムが一般的ではない時代だからモノクロで撮るしかなかったといえばそのとおりだが、白と黒の間にある無数の濃淡がなんと深い味わいを生み出していることか。カラーがあたりまえの時代になってモノクロの良さがかえって際立つとは皮肉だが、この手の皮肉はしばしばある。複雑が単純に勝るとは限らないし、饒舌より寡黙が人の心を動かすこともある。

豊科では明治大正から昭和に至るモノクロの山岳写真が穂苅氏の作品以外にも数多く展示されるというので、この機会にじっくりと眺めてみようと思ったのであった。そして実際に古いものから時代に沿って眺め、写真芸術というものに考えが及ぶことになった。

明治や大正初期までなら未知の山を世間に知らしめるのが写真を撮る動機の第一で、撮影者も芸術を目指していたわけではなかったろうし実際にそういった作品は少ない。それが大正初期から撮影を始めた穂苅氏の写真になると、ただ山が写っているだけでは飽き足らず自分ならではの工夫や技術を凝らした作品を創ろうとして見事成功している。同時代の他の写真と較べて傑出しており、芸術作品といえる気品をはやくも備えているのである。

穂苅氏の初期の作品の頃からもう百年近くがたった。機材の発達と多くの写真作家の努力の甲斐あって、いまや写真もその一分野の山岳写真も押しも押されぬ芸術の一派をなしている。

だがそれにもかかわらず、一瞥この作品はあの作家のものだと明言できることは一流作家においても少ない。他の芸術と較べて奇異なことだが、これは写真がカメラを用いて対象をありのままに写し取ろうとする技術であることによる。要するに作家の技法の自由はカメラ機材と「ありのままに写し取ること」という写真の出自にしばられるのである。

したがって写真作家の個性はおもに被写体の選択で発揮するしかない。しかしこれは同時に被写体の個性が作品の個性の多くを占めることを意味する。ならば作家の影が作品から薄まるのは止むを得ない。また、カメラの普及発達で万人が簡便に写真を大量に撮れるようになったことと、そもそも複製が前提なのは芸術にとっては両刃の剣で、ひとつひとつの作品の価値はどうしても希釈され、おのずと作家の影も薄くなってしまう。

写真という発明の決定的な意味は今の一瞬をそのまま切り取ることができるようにしたことだった。すなわち写真はいかな芸術といえども時事である。時事なら淘汰されずに残る作品は作家が誰であるかを問わず独立独歩するだろう。そうなれば作家は以って瞑すべしなのではないか。

穂苅氏の写真が芸術作品であることに異論はないが、私は氏の写真が今に残った理由は芸術としての価値よりは記録としての価値にあると思う。むろん芸術写真においてそれらが渾然一体で不可分だとはしても。

多くの作品で添景となっている人物の服装に、今あるものがなかった山に、今ないものがあった山に、焼岳の噴煙に、出現したばかりの大正池に、一見今と変わらない常念山脈を背景にした、松本城以外にはまったく見覚えのない松本の街に私は瞠目する。

山の自然美を写し取るのが山岳写真とはいっても、写真である限りは時事から離れることはできない。「芸術的」な山岳写真が作品から人物や人工物を省いて久しいが、おそらく百年後になお注目される山岳写真は、穂苅氏の作品同様、山に人物や、偶然にしろ時事が巧みに写し込まれ、なおかつ芸術の香気を発散する写真ではないかと想像する。

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