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 原武と原真

山に興味を持ち始めた高校生の私は、おのずと山の本を読むようになった。そんな頃、乏しいこづかいで買い求めた数少ない中に『北壁に死す』(山と溪谷社)があった。

これは、昭和36年に鹿島槍ヶ岳で遭難死した名古屋大学医学生原武の、中学から大学時代の日記を元にした遺稿集である。

自意識過剰で、しかも青臭い感傷にがんじがらめになっていた私の胸は「北」という文字にすら敏感に震えるというのに、あまつさえ「死す」である。しかも、時代が違うとはいえ作者は同じ名古屋の学生ではないか。これは買うしかない。

しかし一読、私はすっかりがっかりしてしまった。誰あろう私自身にがっかりしたのである。

私にもあった、若者が抱えがちな悩みがそこに描かれていたとはいえ、思索の深さや登山の実践において、彼我はあまりにも隔たっていた。大げさに言えば打ちひしがれた気分になった。もっとも、そのくらいの差がなければ商業出版物となって私の目に触れることもなかったのだが。

この本の前身は原武の遭難後3年余りを経て出版された、遺稿集としては異例の大冊『北壁』(私家版)である。それを世に出したのは他ならぬ原武の3歳違いの兄、原真で、弟はそもそもこの兄の影響で登山に開眼したのであった。

弟の、日記をはじめとする文章に並々ならぬ才能を見出した兄は、これを埋もれさせてなるものかと決心したのだろう。

才能は才能を知るというべきか。この『北壁』の巻末に書かれた、遭難を徹底的に検証する原真の文章も、現代の眼から見ればとても二十代の若者の書いたものとは思えない冷徹な明晰さを持っている。

弟の遭難死により、かえって原真の登山熱は盛り上がる。相当な労力を費やしただろう遺稿集を完成させると、次は、彼自身が書くところの「いいようもなく強い不満」のはけ口に、ヒマラヤ遠征の計画に打ち込むことになる。その後の高所医学研究を含む登山史上の業績については私の出る幕ではない。

山岳書というジャンルは見方によっては際限もなく広いが、その発端と主流は山の探検記であった。それに人間の心理描写が加わって、山岳文学というにふさわしい幾多の本が生まれた。しかしそれらは、有名な未踏峰がふんだんにあり、登山家が同時に文章家で、読者もその成果を待ちわびていた幸福な時代の所産であることがほとんどで、ゆえに多くは今や古典に属し、地上の地理的な未知に対する興味が薄れつつある現代では、もう新たに同様なものは現れようがない。

文学は想像力で文章を駆使して人間を描くものである。登山の事実がそれのみで大向こうを唸らせるものでなくなれば、むしろ創作の自由は増す。ところが多くの先鋭的な登山家は、記録は書けてもついに読み物は書けなかった。価値ある事実がなくなれば、文章も一気にしぼんだ。

原真は、長く先鋭的な登山に関わり、同時に、金を払うに値する文章を書き続けた、日本では稀有な登山家だった。しかも最後の人になるのではと私はみている。つまり時代は変わったのだ。探検の山と文章との蜜月は終わり、登山はめでたくスポーツになった。

私はヒマラヤに興味が薄いが、原真の文章は目につく限りはずっと読み続けてきた。そこにあるのが登山家というよりは作家の目だったからである。登られた山そのものに対する興味がない者に登山紀行を読ませるには並々ならぬ文章の力がいる。

さらに、その作家顔負けの文章量は読者に同時代的に読み続ける楽しみを与えた。一方に医者という多忙な仕事を抱えていたことを考え合わせれば、恐るべきエネルギーである。当然、その裏には常人の想像も及ばない巨大な屈託があったに違いない。

原真の登山批評がすぐれた文明批評だったのも、私が読者であり続けた理由だった。「登山の問題は究極においては、登山以外の問題でもなければならない」と彼自身が書いている。しかし、その評論が登山に発していることから、掲載されたのがおもに山関係の本や雑誌だったことで、一般に認知されにくかったのは遺憾であった。原真の評論は、けっして大新聞を喜ばせるものではないが「小悪党とは善人のことである」といった警句に感応する人間はむしろ山の世界以外にいたはずだからである。

原真にとって登山は人間を見極める手段であった。高所で如実に現れる人間の本性を糾弾して容赦なかった。そこには周囲との軋轢も生まれただろうが、言うまでもなく、それは芸術の成果とは無縁である。

見出されたのは絶望に近いものだったと私は想像する。天賦の才を持つ者にとって大衆とは常に嘆かわしい存在で、しかもこの世は大衆で成っている。衆寡敵せず。

常に前進しながら、一方で、弟をはじめ山に逝った者を振り返る文章をしばしば書いた。簡潔で乾いた文体は、かえって読む者の心を打つ。激しい論調の文章にともすれば隠れがちだが、原真の真髄はこれらの文章にある。悲劇は逝った者にではなく残された者にこそあって、悔恨の針は夜な夜な胸を刺す。

去年の秋、原武の遺稿集が形を変えて新たに出版された。『北壁に消えた青春』(本の泉社)、むろん編者は原真である。この巻末に原真の文章が二編あって、そのひとつは『山の本』29巻が初出である。いずれも弟とその遭難を語って哀切きわまりない傑作である。

登山家の劇的な死は山にだけあるのではなかった。『北壁に・・』で弟を三たび世に出して半年もたたぬ今年の3月、原真は忽然と逝った。夜寝床に入って、再び起きてくることはなかったという。

「山の死―すぐれた登山家の死―は、ときには人生の完成を意味する。それは幻滅からの解放であり、自己欺瞞の克服である。美しい余韻を持つ、完璧な人生だ」(『北壁に死す』原真の後記より)。

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