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生沢朗 『氷壁画集』より

  『氷壁』にみる、山男が女性にもてた頃

『氷壁』は、山に興味のある人には今さら説明するまでもない井上靖の小説で、昭和三十一年から三十二年にかけて朝日新聞に連載された。ちょうどその間に日本山岳会隊がマナスルに初登頂して登山ブームが巻き起こったというのだから、実に時宜を得ていた。もっともマナスルへの挑戦は、そのずっと以前から戦後日本の復興を自他に知らしめる国家的登山として新聞紙面をにぎわせていたわけで、連載が始まるころには、とっくに登山はブームといってもいい状態になっていたに違いない。一般読者に興味の薄い分野の話では新聞小説にはなりにくいからだ。そして当然この小説もブームにさらに拍車をかけたことだろう。

私が初めてこれを読んだのは高校生のときで、この稿を書くために三十年ぶりに再読することになった。というのも、山男というものが今では考えられないほど格好のよい存在だったことを確認するためで、なるほどその通りだった。

新聞小説中で山男が主人公なら、一般的に流通した山男像を凝集したものでなければならない。それが『氷壁』の魚津恭太だったのである。

連載時の挿絵は、生沢朗『氷壁画集』(朋文堂)で見ることができるが、そこで描かれる魚津恭太のなんとハンサムなことよ。挿絵はしばしば文章以上の効果を発揮する。こんな容姿なら山男ならずとも女性はコロリと参るだろうが、ともかく魚津恭太の動向は満都の子女の紅涙を絞ったわけだ。

ことほどさように、これは山を舞台にした恋愛小説である。恋の本質は、逆説的だが失恋で悲劇である。恋の成就とは、錯覚が錯覚のまま、誤解が誤解のまま終わることである。つまり恋愛小説では、渦中にある男女どちらか、あるいは両方が死ななければならない。だからその舞台には戦争や山は最適といえる。が、恋愛小説論はさておこう。

登山ブームはそれまで関わりのなかった人が参入することによって発生した。一人だけがしていたのものを百人がするようになったのである。その一人とは、さほど裕福な国ともいえなかったかつての日本で、登山(ことに高峰の)という、金と暇が必要な遊びをすることのできた富裕層であった。すなわち、魚津恭太における山男のイメージは彼らが造ったのである。

敗戦後十年たち、ようやく国民に金と暇が少々できた。ウソかマコトか、ともかく身分に貴賎もなくなったらしい。戦前なら登山をする資格すらなかった人々が、なにやら深遠で高尚な遊びのようだと参入しだしたのである。

この世は流行で動いている。そして流行の大部分には男女の性的衝動が関係している。衣服の流行などはその典型的な例といえる。

若者の流行なら性的衝動が原因に決まっている。つまり若い男の場合なら女性にもてたいがためには何でもするのである。これは子孫を残すために人間がそう造られているだけのことなのだが、そう言ってしまうとミもフタもないから、動物とは違う、人間ならではの精神の発露がそこにはあるのだと回りくどく説明しようとしたのが古今の文学の一種だったともいえる。

男にも女にも、その時脚光を浴びだしたものに集まる層が必ずあって、彼らまたは彼女らが流行をになう。一方、私もそうだが流行に乗ることを潔しとしない人間がいて、騒動を傍観しているつもりでいるが、なに、それじたいが流行と関わっていることなので、結局、ついに誰も流行とは無縁ではいられない。つまり性的な呪縛からは誰も逃れられないのである。

ボーリングが面白そうだとボーリング場に朝から押しかけ、スキーは爽快だろうとリフト乗り場に長蛇の列をつくり、テニスが高級そうだとテニスクラブに入り、学生運動が新聞の一面を毎朝飾れば、ゲバ棒を持って国会議事堂前に集まるのである。そして登山が世間の注目を浴びているらしいとみるや、さっそく急行アルプス号に乗り込む。当然これらも性的衝動による。

それでも、手っ取り早く女性にもてそうな遊びを尻目に登山を始めようなどという若い男は多少の見どころはある。だがたいてい心が屈折していて、山こそ命で、そこには女の入る余地すらないように振舞うが、そんなはずはない。およそフィクションの冒険譚や活劇には色恋沙汰は不可欠なのに、ノンフィクションの山の文章になると、それがめっきりと姿を消すのは、どうも山男のこういった屈折によるものだと思われる。しかし、その屈折を女性が憎からず思ってくれていたのだから、思えば男女ともにまだお互いが神秘だったわけである。   

登山をするきっかけはそのときの流行ではあっても、多くの中には次第にその志を壮とする者も出て、例えば未踏の岩壁に数々の登攀記録をつくったりもしたのだろうが、野武士はやはり野武士で、徐々に山男は魚津恭太ではなくなっていった。物事は大衆化すると価値が下がる。

『氷壁』からもう半世紀がたった。二十年ほど前から、山から若者の姿が減ったと言われる。私の経験からもそう感じる。

私はその原因を、山男が若い女性にもてなくなったからだろうとごく単純に考えていた。山男はとっくに魚津恭太ではなく、女性は屈折した男などに興味を示さなくなったからだと。確かにそれもあろう。だが最近、そんな皮相な理由だけではないのかもしれないという疑いを持ちはじめるようになった。

男女平等などの旗印のもと、幼いころから当たり前に男女が席を同じうしすぎたことや、あまりにも赤裸々な男女の情報が大量に出回った結果、若者、ことに若い男の性的欲望が減退しつつあるのではないかと考えるようになったのだ。     

もしそうなら、かつてのような大勢の若い男女の歓声が、少なくとも山で聞かれることは二度とあるまい。

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