『山もよう 人もよう』 荒井正人著

登山は趣味であるべきで、それで衣食するなどはもってのほかである。というのも、趣味は生業と直接の関わりがなく、しかも損得勘定をしないことをもって尊いので、それが結果的には生業を含めた人生全体に張りや彩りを与えるものだからである。
 
そしてほとんどの人にとって登山は趣味で、それぞれの社会生活に起因する心の疲労を回復する手段にもなっているに違いない。
 
著者もむろんその一人である。年少で山に開眼し、高校大学とそれなりの山を歩き、しかしさらに先鋭的な登山を目指すこともなく、山で生きようなどとは決して考えず、つまりそのための職業選びをせず、サラリーマンとして全国を転々とさせられながらも、それを前向きにとらえて無事定年まで勤め上げ、しかもその間も山への思慕を連綿として絶やさず、加えて若い頃から書くことにも情熱を燃やす人であった。著者は昭和25年生まれだというが、要するに同世代の山好きの一典型と言えるのではないだろうか。
 
その著者が書いた山の自分史だから、この本に衆目を驚かすような登山や、遭難からの派手な生還劇を期待してはいけない。そんな、普通の人にはまず起こらない冒険譚は、疑似体験するために読まれるもので、事実は小説より奇なりという部分に妙味がある。一方で著者の書く、ごく平穏な日常にある山や人との邂逅は、多くの登山者が似かよった境遇にあるだけに、共感こそが妙味である。一読、ああ、俺にも同じようなことがあったなあという感慨を持つ人が少なくはないだろう。

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