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 後世に残る山岳写真
        
山の写真を撮るとき、たいていの人は人工物が画面に入るのを嫌う。カメラという人智の粋を集めた機械を用いながら作品には人工物が入らないほうがいいというのは不可解だが、どうやらそれが人情というものらしい。もちろん私も例外ではなかった。

数年前、古今の山岳写真を一堂にした展覧会を観たとき、昭和も初年の古い山岳写真の中で、添景となっている人工物が今ではまるで姿かたちを変え、山の不変と好対照をなしていたのが印象に残った。

例えば常念山脈を背景にした松本市街の写真があった。山並みは今も変わらないが、街並みに見覚えがある建物は松本城以外にない。

人の世は移り変わるが、その背後の山は微動だにしない。これこそ山の良さだということを知らしめる意味でまさしくそれは山岳写真だった。ただしこの手の写真が真価を発揮するのには時間がかかる。なぜならその価値を認めるのは後世の人だからである。

それ以後私は人里からの山の写真も撮ろうと思うようになった。しかし何の変哲もない場所から人と違った写真を撮るには並々ならぬ才能がいる。それがなければやはり後に残る写真は撮れないだろう。

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