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 山の有難迷惑
         
『藪山辿歴』(茗溪堂)のまえがきで著者の望月達夫氏はこんなことを書いている。

〈近頃少し変わった藪山へ行くと、赤布がやたらと付けてあったり、山頂に「○○山岳会創立×周年記念登山」などと、他人にはまったく関係のない標識板なども見かける。元来、山の頂に家の表札のようなものが必要だろうか〉

私も望月氏とまったく同意見で、どんな山だろうが痕跡はなるたけ残さないようにするのが山歩きのモラルだと思っている。本来、赤布は山頂往復の行きがけに残す目印で、帰りには回収すべきものである。

布や紙ならまだしも、風化しにくいビニールテープを使っているところをみると、あとから来る人のためらしい。何もないほうがいいはずの山頂に、凝った造りの山名標を設置する人もいる。これも親切のつもりに違いない。道標完備の山にさらに目印をつけるのも不思議だが、道標の類がないことにこそ価値があるはずの藪山を登りに来て、そこに目印を残していくとはいったいどんな料簡だろう。世のため人のためと思っているところが始末に悪い。有難迷惑とはこのことである。

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