『遊歩百山』11号に書いたものです。八方ヶ岳には3回登りましたが、年に一度は登りたくなるタイプの山だと思います。ここのところご無沙汰ですが。
| 八方ヶ岳 熊本県山鹿市から東へ国道325号線を菊池市に向って辿る時、行く |
| 手左、北側のなだらかな山並の中にひときわ高く、古い橋の欄干にある |
| 擬宝珠の先がひしゃげたような形をした頂稜が、ヨイショとばかりに盛 |
| り上がっている。これが八方ヶ岳で、鹿本郡菊鹿(きくか)町と菊池市の市 |
| 町界にそびえ、熊本平野を睥睨している。 |
山梨在住の私が、九州まで出かけて山登りするには、それ相応の理由 |
| がある。妻の実家が菊鹿町の島田という所にあって、地元に八方ヶ岳と |
| いう、熊本ではよく知られた気軽に登れて眺めのいい山があると以前か |
| ら聞いていた。子供の頃、妻は遠足で登っているという。また義父が菊 |
| 鹿町役場に奉職していた時、登山道の整備をしたとも聞いていた。妻の |
| 生まれ育った土地の山ならば、いわば私にとっても故郷の山のようなも |
| のだ。登らないわけにはいかないと、久しぶりに登る義父と妻とともに |
| 初めて登ったのが先おととしの2月17日だった。 |
この冬、偶然にも2月17日、ピッタリ3年ぶりに再訪することになっ |
| た。今回は妻とふたり、前回と同じ山ノ神からの登山道である。義母に |
| 見送られて車で家を出る。 |
菊鹿町から宿ヶ峰尾峠を越えて大分県へ抜ける県道は帰省の度に広い |
| 快適な道になっている。尾の上という所で、内田川を左岸に渡る。バス |
| の場合はここで降り、山ノ神まで歩くことになる。年(ね)ノ春を過ぎてか |
| ら、3年前にはなかった新しい道ができていて、細い山道に苦労するこ |
| ともなくなっていた。峠状になった場所からは、数軒ある山ノ神の家々 |
| を圧するように、カニノハサミ岩と呼ばれる岩峰がのしかかるようにそ |
| びえ立っていて、かなり迫力のある風景である。 |
道が沢の上で左にヘアピンカ−ブするところが登山口で、数台の駐車 |
| スペースがある。沢沿いに、義父の設計による山女養魚場や食堂があり、 |
| シーズンには、大勢の客でにぎわうという。登山道は養魚場の左を暗い |
| 植林地へ入っていく。何回か小沢を渡ると、径の左に、カニノハサミ岩 |
| が姿を現す。ヒノキの植林地の上に突き出た、松をいただいた岩峰は霧 |
| でも出ていれば、さながら南画のようにも見えそうだ。まもなく、林道 |
| を横切る。地形図でカニ岩の西で途切れている道が延びてきているらし |
| い。ここで、登山道はクランク状になっていて、径は林道を左に10メー |
| トル位の所から続いている。苔むした大きな石がごろごろした植林地の |
| 中をゆるく登っていくと、やがて径は北に向きを変え、カニノハサミ岩 |
| から続く尾根に乗る。岩の方へ縦走可能か少し入ってみた。踏跡らしき |
| ものは認められなかったが、詳しく調べたわけではないので、はっきり |
| したことはわからない。ただ、薮というよりは、倒木が多い感じで、先 |
| 年の台風の仕業かもしれない。3年前には、ここから、あるかなしかの |
| 踏跡があったような気がしたのだが。 |
さて、ここから尾根上をつづら折りの急登が始まる。九十九曲がりと |
| いうらしい。ここは気持ちのいい落葉樹の雑木林で、馴染みの甲州の冬 |
| の低山の雰囲気がある。しかし、それもわずかで杉の植林地に入る。径 |
| は、地形図ではこの辺りで、市町界の尾根に乗るようだが、実際は、少 |
| し北側の沢状の杉の植林の中を登る。3年前、そして今回も、ここから |
| 積雪を見た。杉の植林地を登り切ると、明るい尾根になって、馬酔木が |
| 多い。ゆるい上下を、溶けかかった雪に滑りそうになりながら行くと、 |
| やがて左から矢谷渓谷方面からの径を合わせ、北側からひと登りで頂上 |
| に着いた。 |
小広い草地の頂上には朽ち掛けた石の祠があった。さえぎるものない |
| 360度の展望である。良く晴れていれば、海を隔てて、雲仙も見える |
| らしいが、天気は悪くないものの、そこまでは見えない。晴れれば必ず |
| 冷え込んで、遠望の利く甲州の冬山とは違い、やはり南国九州である。 |
| とはいっても、阿蘇の外輪山や、大分県境、福岡県境の山々は雪を被っ |
| て、寒々しい。馴染みがないので、ひとつひとつの山の名がわからない |
| のが残念だった。二十万分の一地勢図を持参しなかったのが悔やまれた。 |
| 頂上にいた2人連れの御婦人方が、唯一今回山で出会った人だった。 |
| 矢谷渓谷のキャンプ場に車を置いて登ってきたというが、かなりきつかっ |
| たらしい。阿蘇地方の人達らしいが、阿蘇は観光開発で、もう面白くな |
| いという。菊鹿町は、本当にいい所だとべたぼめだった。私などは、阿 |
| 蘇はまだ開発が進んでなくていいな、と思っていたのに。 |
この人たちを、富士五湖地方や八ヶ岳山麓へ連れていったら、どう思 |
| うだろう。自然を売り物にして人を呼ぶことは、常に二律背反を伴って |
| いる。儲けを増やしていくには、必ず、自然を食い潰していかねばなら |
| ない。いつしか元も子もなくしてしまう。そして我々は、個々はどうあ |
| れ、全体としては、儲けを増やしていこうとする動物なのである。 |
| とはいうものの、こんなことを、山のてっぺんで考えていたわけでは |
| ない。山の上では、早く下って、温泉に入って、ビールを飲みたいなと |
| 思うのが精々なのだった。 |
御婦人方と一緒に山ノ神まで下った。途中で一服した時の話では、も |
| うお二人とも還暦を越しておられる由。健脚ぶりに驚く。我々若輩が、 |
| その年まで、こんなに歩けるのだろうかと不安になる。山ノ神から矢谷 |
| キャンプ場の駐車場所まで送って差し上げた。山の中での一期一会。名 |
| 前も住所も知らなくとも、妙に記憶に残るものだ。 |
この地方は温泉には事欠かない。我々は、帰省の際にはいつも利用す |
| る、菊鹿町内の菊翠園の風呂につかって、山の疲れをとったのだった。 |
1994年2月17日 |
山ノ神(1時間)カニノハサミ岩から続く尾根(50分)八方ヶ岳( |
| 1時間)山ノ神 |
二万五千分の一地形図=八方ヶ岳 |
アドバイス |
熊本市からバスを利用する場合は直通便はない。山鹿で、いったん下 |
| 車し、矢谷もしくは番所行きのバスに乗り換えることになるが、山鹿ま |
| では便数が多いものの、そのあと極端に少なくなるので問い合わせが必 |
| 要。九州産交バス(096-325-0100)。山ノ神か矢谷キャンプ場まで自家用車を |
| 乗り入れる場合、駐車スペースはあるものの、広くはない。春から秋ま |
| で、行楽客や避暑客でにぎわうという。その他、登山道の最新情報につ |
| いては、地元に問い合わせてほしい。菊鹿町役場(0968-48-3111)。 |