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           兎藪(1月26日)

この山も『藪山辿歴』で知っていながらまだ登っていなかった。

藪山を好きだといっても、たまたま登った山に藪があったとしてもそれをいとわないだけで、わざわざ藪を見つけては潜り込むわけではない。最初から『藪』と銘打たれた山はイメージが悪い。しかも、この山は金ヶ岳からおりてきた尾根の途中にあるちょっとした高まりに過ぎず、山麓から見て、決して見映えのいいピークといえるほどのものでない。そんなわけでつい後回しになっていたというわけだ。

もっとも、本来『兎藪』とはもともとこの三角点から西にある斜面一帯をさすようで、斜面の最高点にたまたま三角点があるのをいいことに、その名を冠して山の名前としたのは遊びで山に登ろうとする人たちの仕業であるらしい。

前週の鋸刃の藪漕ぎでしばらく藪はこりごりかと思いきや、さにあらず。山登りは、辛さはすぐ消え、楽しみだけが残る。藪慣れているうちにこの山にも登っておこうという気になったのである。登るに苦労するほどの標高差があるわけでもない。

実は、懸案だった兎藪がここで浮上してきたのには今年が卯年であることにも関係があった。

新年早々、その年の干支が名前に含まれる山に登る人たちがいる。兎がついた山はそう多くない。首都圏から近い兎藪にも相当の人が登ったに違いない。となれば、藪も押し広げられて歩きやすくなっているのではなかろうかという姑息な打算があったのである。



家族とクリオを乗せた車は、通い慣れた増富温泉へ向かう道から外れ、塩川を渡って根古屋の集落へ入る。この集落を見下ろす七八八.四の三角点の山は獅子吼城址で、このあたりの地名のもととなった江草氏の山城である。道はこの山の北をまわりこんでいるのだが、工事中で通れず、いったん戻って、トタンで覆われ痛々しい根古屋神社の大ケヤキを左に見て、山の南側をくねくねと続く、車一台がやっと通れる位の細い道を登っていった。

やがて前述の道と合流し、さらに舗装路は続く。途中、ゴルフ場開発の現地事務所のプレハブ小屋が廃屋となっている。県内各地で計画倒れになったゴルフ場も多いようだが、県内のみならず日本中でそうだろう。慶賀の至りである。一つのことがはやればあっという間にそれだらけになってしまうのが我が国の特徴だ。ボーリング、カラオケ、そんなものならまだ罪は軽い。しかし、ゴルフ場がいかにも罪が重いことに説明を要しまい。いかに自然環境に配慮して造ったと吹聴しようが詭弁である。人に道具を持たせ、何が撒いてあるかわからない芝の上を歩いて、健康的にスポーツをしている気になっている輩も笑止である。ゴルフ場とスキー場はもう日本にこれ以上要らぬ。

兎藪から降りてきた尾根は、西端で等高線が緩やかになって平坦な場所を作っている。そこを机と呼ぶ。まずそこへ登り、尾根通しに兎藪を目指す腹づもりである。地図にはない道が分岐して、その方面へ向かっていくようなので車を乗り入れた。

悪路となり、雪も積もっている。わが軽ワゴン車はそれをものともせず登っていく。道はまだ続くが、車が停められそうな場所があったので、そこからは歩くことにする。

車を停めるとクリオがさあ早く放せと騒ぎ出す。放すがはやいか消え去った。用意を整える間、渓は雪の上を楽しげに歩き回る。雪が何かもまだわからないだろうに、雪には子供の本能を揺さぶる要素があるのだろう。

渓を担いで、僕たちもゆっくり登り出す。

林道はなおも続き、結局それは尾根まで達していたのだった。飛び出した場所は机と呼ばれる平坦地に違いなかった。なんとショベルカーまで置いてある。そのショベルカーが働いた結果だろう、何を造るのか辺りは整地され木も伐採されすっかり風通しがよくなっている。おかげで南アルプスの眺めがすこぶるいいのが皮肉である。展望レストランでも建てるつもりだろうか。

こんなことなら、兎藪までだってごく簡単に登れてしまうのではなかろうかと、内心気が抜けたような、悔しいような、嬉しいような複雑な心持ちとなった。

ところが尾根を辿り始めると、最初は登山道といってもいいほどだった径が藪の中に消え去るのに時間はかからなかった。さすが兎藪、名前に偽りはなかった。干支の山の登山者も藪をなぎ倒すほどは多くなかったとみえる。

広くなった尾根を歩き易そうなところを選んで、大岩がにょきにょきと地面から生えたような斜面を飛び石伝いに歩いたり、浅い沢に降りて藪を避けたりしながら登っていった。

ところどころの枝にビニールテープが巻いてある。自分たちの帰りの為の目印なら赤い紙テープにでもしたらどうだろう。それとも後日登る他人の為の親切のつもりなのだろうか。だとすれば有り難迷惑の典型的な一例である。

もうひと登りで兎藪の頂稜かというところまで達すると灌木の藪はなくなり、ブナやミズナラの林となった。深く積もった落ち葉の上で一服とした。カサコソと音をたててクリオがどこからともなくやってくる。

けものみちだか人の径だかわからない踏跡がたくさんあって、その中で上を目指しているのを選んで登っていったら、ほどなくはっきりとした尾根にのった。標高点一四二九から西に降りてくる尾根だと思われた。僕たちは広い尾根の南寄りを登ってきたらしい。尾根には西から踏跡が登ってきていた。帰りはそれを辿ってみることにする。

ここからははっきりとした径となった。金ヶ岳に登るにせよ下るにせよ、ここから、もしくはここまではしっかりした尾根筋なのでそうなるのだろう。これから西は漫然とした広い尾根となってしまう。

ひと登りで頂稜に出た。平坦になった径を歩いていくと、いったん南へ下って金ヶ岳の方へ向かうようになる。兎藪の三角点はこのあたりにあるはずと、径が巻いてしまう高みに雪を踏んで登ってみるとそこにあった。金ヶ岳や茅ヶ岳のせいで目立たないが、地図の等高線を見るに、なかなかどうして立派な火山のひとつである。その最高点に三角点はある。残念ながら眺めはない。三角点がなければそれと気づかないような平坦な頂上である。樹林越しに水面が見える。塩川ダムによって堰止められたみずがき湖である。初めて瑞牆山に登ったのは、その大工事が始まる直前だった。このダム湖に沈んでしまった道を通って、同じく沈んでしまった集落にあったよろずやで買い出しをした。あれが最初で最後だったわけだ。人は新しいものを得ると必ず古いものを失う。

雪のない南側の斜面に戻って昼食とした。余力があればこのまま金ヶ岳まで登ってしまおうと思っていたが、まがりなりにも一つのピークを極めたことでそんな気力はなくなってしまっていた。

日は射しているが、さすがにこの時季、暖かいというわけにはいかない。そそくさとパンをかじって、渓を少し遊ばせ、下山にかかる。

往路の途中で出会った踏跡をそのまま西へ向かったが、それも段々怪しくなり、灌木の藪の中にかき消えてしまった。机まで林道が達していることがわかっているので、どこをどう下りてもそれに突き当ると思えば気も楽である。車に近づくよう、北寄りに進路をとって適当に下っていった。

最後は浅い沢伝いに下ると、やがて林道に飛び出した。狙いはたがわず、カーブひとつ曲がると、そこに車が待っていた。

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