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            蝶ヶ岳(9月9日)             

夏休み中に母校のワンダーフォーゲル部の同窓会の総会が河口湖畔のホテルで開かれた。一年半位しか在籍しなかった僕だったのに、なぜか名簿に載っていて、削除してくれるように頼んだが、聞き入れられなかった。とはいえ、クラブのために何ひとつ貢献しなかった僕が厚顔無恥に総会に出席するわけにもいかない。

有り難いもので、総会の翌日、そのままホテルに泊まった旧友たちが大挙して店を訪ねてくれた。その時に後輩のひとりが、同じく後輩のひとりと蝶ヶ岳に登ることを聞かされた。「おや、これは怪しい」と思った。というのも、ふたりはもうけっして若いとはいえない独身の男女だったからである。

もともと山好きなのだから、どこの山に登ろうが不思議はない。現役時代は、岩登りなどどちらかといえばより激しい山登りをしていた連中だったから、これがふたりで穂高岳へとか、ふたりで槍ヶ岳へというのならあまり気にもならなかったのだが、蝶ヶ岳というのが引っ掛かったのである。何で引っ掛かったのかと問われても困る。勘が働いたというやつである。選ぶ山にも理由がある。とにかく、このふたりは、その後結婚するにいたったのだから、その勘もあながち間違いではなかったらしい。すでに子供も宿しているという。蝶よ花よと育てて欲しい。

ともあれ、八月の、山どころではない時期だから、夏の北アルプスと聞いて羨ましく思った。高山の夏の朝の雰囲気が、僕の、山に感じる爽やかなイメージそのものである。

もっとも、高山とまではいかないが、標高千三百メートルの夏山の朝の空気は毎日吸っているわけで、これが仕事に追われて山登りもせずに夏を乗り切るための僕の原動力かもしれない。

蝶ヶ岳は、学生時代の唯一の北アルプスだった燕岳から上高地への縦走の際頂上を踏んでいる。それだけを登る山と考えていなかったので、あまり調べてみることもなかったが、その話を聞いて、早速手持ちのガイドブックを開いてみたのであった。

掘金村の三股というところまで車で入れることがわかった。そこから標高差千三百メートル余り。日帰りできないことはない。長年の習性で、日帰りできるかできないかということが山を選ぶ基準になっているのが情けない。とにかく、夏休み明けに登りたい山の第一位にランキングされたのである。


九月に入って二回目の休日、前日の予報は好天を断言していた。迷わず蝶ヶ岳に行き先を決めた。展望の良さを身上とする山は、よほどの好天が約束されていないと御神輿があがらない。

まだ暗い中、峠から甲府盆地へ降りていく。高速道路が八ヶ岳の近くにさしかかると、星も消え、雲ひとつない空が白みはじめて、黒い見慣れた山並みが青く、そして赤くなっていく。それを横目に見ながら、わざわざ遠い山に行かずとも、八ヶ岳のどこかに潜り込もうかとつい浮気心を起こしたりした。

諏訪湖を通り過ぎ、塩尻峠の下を塩嶺トンネルで抜け、松本平に飛び出ると、これはいったいどうしたことか、黒い雲が低く垂れ込めた空が拡がっていた。「おいおい、よしてくれよ」と妻に八つ当りする。

松本インターチェンジを通り過ぎ、梓川サービスエリアの食堂の北アルプス側の窓際でうどんをすすっていると、垂れ込めた雲に隠されていた蝶ヶ岳とおぼしきあたりの頂稜が見え始めた。いったいにこの辺の山は、特徴のない稜線が続くばかりで常念岳を除いては同定が難しい。だからこそ常念岳が目立つともいえそうだ。その常念岳はいまだ顔を出さない。

豊科インターチェンジで降り、屏風のように連なる山に向かって車を飛ばす。

初めての登山口から登るときは、そこまでの道が不安である。自家用車で行くときはなおさらで、道の状態はどうだろうか、駐車場所はあるだろうかとかと気が重い。有名山岳なら問題はないが、無名の藪山に行くときなどは、取りつき点の発見こそがその後の勝負を決することも多い。完全登山口ガイドというのを書けば、売れるのではなかろうかと考えたこともあった。山梨県のあらゆる山の取りつき点だけを明示して、あとは他のガイドを参照して勝手にどうぞというわけだ。しかし、藪山へ登ろうなんていう人は登山口の発見すらも楽しみのひとつなのだから、余計なお世話かと思い直したのであった。

豊科インターチェンジから三股へは迷うこともない良い道で、途中からは路面も黒々と舗装したてのようだった。今はどんな山奥の道でも舗装してあって、悪路用の四輪駆動車も活躍の場がない。僕も以前はその手の車に乗っていたが、馬鹿馬鹿しくなってやめてしまった。舗装路を走るのなら普通の乗用車がいいに決まっている。

最後にはこれもまだ作られて間もないと思われる完全舗装のまるでスーパーマーケットのそれのような大駐車場のすべりこむ。ハイシーズンにはここも車であふれかえっているのだろう。常念岳と蝶ヶ岳を結んで一泊二日の周遊コースを設定できるからだ。今朝は四五台が置いてあるだけで、閑散としたものである。行く手の稜線の上に光っているのが蝶ヶ岳ヒュッテだろうか。

用意を済ますと車止めをすり抜け、しばらくは林道歩きとなる。林道終点には登山指導所が建っている。以前はここまで車が入ってこられるようだったが、駐車スペースが少ないので手前に大駐車場を作ったのだろう。確かにこの広さではどうしようもない。

常念岳への径をすぐに分け、沢沿いに歩いていく。立派な吊り橋を渡ったのち、急登となり、一汗かかせられる。

漱石は山道を歩きながら考えたらしいが、僕は登山をしているときにまとまった考えが頭に浮かぶことなどまずない。なんともとりとめのない想念が浮かんでは消え、消えては浮かび、まるで脈絡のない夢の中をさまよっているかのような頭の中なのである。これが急登ともなると、たまたまその朝、車の中で聞いていて印象に残った音楽のワンフレーズが繰り返し頭の中でひたすら反芻されていることが多い。いつぞやは、人に借りてきたテレビゲームを、僕は苦手でしないのだが、妻がするのを横で見ていて、その中でひんぱんに繰り返される無機的な電子音の曲が山に登るたびに頭の中に充満してきて困ったことがあった。

山に登る時は当然ただ歩いている時間がもっとも長いのだから、そんな思考の断片がひらひら飛びかっているような状態もまたひとつの快感といえるのかもしれない。もっとも、思考といえばきこえはいいが、ひどいときは歩き始めてすぐにもう夜の宴のことを考えていたりするのだから大したことはないのである。

蝶沢の瀬音が耳に入って、南北に延びる木の根の張り出す尾根の急登となった。それをこなすと豆打平と書かれた平坦地に出る。標高は二千メートルに近い。うっそうとした針葉樹の森は地表が苔に覆われ、まるで親しい奥秩父の山にでもいるようだ。

すでに付近を霧が漂いはじめていた。たまには木の間に常念岳から蝶ヶ岳にかけての稜線や、常念岳そのものが姿を見せる径なのかもしれないが、まるでそんなものは目に入ってこない。せっかくの頂上からの大観も望みが薄いかと思うとだんだん足が重くなってくる。小学生の低学年くらいの男の子を連れた夫婦が下ってくるのとすれ違った。お互いに子連れということで言葉をかわすが、恐ろしくて頂上の様子は聞けなかった。もし霧でなんにも見えなかったなんていわれたら、気が萎えてしまって、とても残りの標高差七百メートルをこなせない。また来ればいいやというほど近い山ではないから、景色が見えないからといって下ってしまうにはもったいないし、といって何も見えないのに苦労して登っても馬鹿馬鹿しいし、と心千々に乱れながらも一縷の望みを抱いて上へ上へと歩を進めていくのだった。

そんなわけでこの登りは辛かった。もう主稜線も近いと思われるころ大滝山への径を分けた。ひと月前ならば繚乱のお花畑だったろうすでに枯れ草色になりかけた草原をゆるく登っていくと、突然空が明るくなって、青い色が透けて見え始めた。「おおっ」と思わず叫んで小走りになった。急に走ったので足がつりそうになる。尾根の向こうから槍が穂高がせりあがってくる。ほとんど諦めていただけに、感激は大きかった。

蝶ヶ岳ヒュッテの脇を通り抜け、方位盤のある小高い丘に登って渓を降ろすと、軽くなった身体でなめるように山々を眺めまわした。登りの辛さはとっくに消し飛んで、今ここにある喜びだけがある。でももうわざわざ三角点ピークにまで行ってみる気はなくしていた。そんな暇があったらゆっくり目の前の大観を楽しみたい。

写真で見慣れたあまりにも有名な山岳景観だが、本物はやはり違う。写真と違うのは、音、匂い、風、の触感のあることだろう。それはそこに大気があることによって感じるものだ。だから、逆にすぐれた山岳写真には大気感がある。

稜線を境に安曇野側には雲が垂れ込めている。常念岳も見えない。だが、ここのメインはなんといっても槍穂連峰である。より高い山々を眺めるための山登りは厳然としてあって、だからといってその山自体をおとしめることには決してならない。それどころか、日本百名山があるならば、それを最も気高く美しく眺められる山はそれだけで名山の資格がある。

富士山頂からは、日本で一番高い場所から人里を低く見下ろす快感はあるものの、こと山岳展望に関してはなんとも物足らない。それはそこより高い山がないからである。それでは本邦第二の高峰北岳はどうだろう。ここから畏敬をもって眺められるのはまず富士山だけである。実際富士を撮らんがために北岳に登る写真家も多い。

槍穂連峰を眺めるために蝶ヶ岳を、白峰三山を眺めるために鳳凰山を神は与えたもうた。実に絶妙な距離と標高差をもってこれらは存在する。蝶ヶ岳からの穂高と薬師岳からの北岳の距離が寸分変わらないのも偶然としてはできすぎている。

以前見たNHKの『花の百名山』の中で、案内役の蝶ヶ岳ヒュッテの美人の女主人が「蝶ヶ岳は日本一の山である」と語っていた。むべなるかなと思った。僕も今日一日はそう思う。美人には弱い。

大展望を期待して三脚を持ってきたので、いろいろと位置を変えては親子三人槍穂をバックに写真を撮ろうとするが、渓はあらぬ方を向くばかりでいっこうにカメラの方を見ようとしない。そりゃそうだ。両親はすぐ隣にいるのだから。

そんなことをしたり、パンをかじったりしているうち、冷えた足の筋肉が本格的に痙攣を始めた。まったくこの持病には困ってしまう。足の表と裏が同時につるので伸ばしようがないのだ。あとは下りだけだからなんとかなるだろうが、妙なところで症状がでたら進退窮まりかねない。実際、日帰りで赤岳から権現岳へ縦走したとき、六十段もある源治バシゴの途中で足がつって、どうなることかと思ったことがある。

塗り薬をすりこんだり、マッサージをするうちなんとかおさまってきた。湧き出した雲に穂高も隠れつつあった。さあ潮時だ。

豆打平まで一気に下って一休みした。午前中の霧はすでになくなりつつあり、このあと駐車場まで下るあいだにはすっかり晴れ渡って、駐車場からは蝶ヶ岳の稜線が西日にシルエットになっていた。

堀金村の公営温泉に浸かった。今はどこに行っても立派な温泉があってありがたい。露天風呂でのんびりしていると、このまま泊まっていければいいなあ、と日帰りが恨めしい。

温泉からあがれば、一刻も早く水分を補給しなければ命があぶない。地元まで帰ってからでは間があきすぎるので、豊科市街で補給することにした。こんな時は妻がアルコールを嗜まないのでありがたい。とりあえずの補給を終えるが、山梨まではまだ遠い。最寄りの酒屋で缶にはいった大人の飲料を買い込み、助手席で夜景を眺めつつ、ちびりちびりとやりながら中央高速をひた走る。

幾千幾万もの家の灯りが次から次へと遠ざかる。世にも心地好い疲労感は、酒の酔いで倍加される。僕は束の間の優しい感傷家になって、柄にもなくその灯りのひとつひとつの幸せを願ったりする。

後ろのチャイルドシートではすでに渓は夢の中。夢に現れるは高山蝶舞い飛ぶ花の稜線か。

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