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せっかく書いたこの山の紀行はどこかへ行ってしまった。そこで急きょでっち上げた。

            戸屋山(12月22日)

かつて、僕はこの文章をワープロ専用機で書いていた。今の仕事をはじめるまでは、パソコンを必要としなかったし、周りが騒げば騒ぐほど疑うひねくれたところがあるから、遠ざけていたところもある。それでも、ペンションなんていう商売には今やパソコンがないわけにもいかない。でも、パソコンを使いだせば、ワープロはご用済みになる。

今までワープロで書いたものは、そのワープロでなければ読み出せない。そこで、それらをテキストファイルにして保存することにした。それなら、どんなパソコンでも読みこめるはずだ。それが役立って、こうして自分のサイトに文章を載せることができたわけだが、この戸屋山の項だけはどこの宇宙に飛んで行ったのか、捜してもみつからない。本棚やたんすのひっくり返して出てくる性質のものではないから厄介だ。ことほど左様に、デジタルデータは一瞬にして消える。別に消えたって困るのは自分だけだが、よく考えると、自分だって本当は困りはしない。

大切なデータはバックアップしておこうなんて言うが、人間が生きていくのに自分の頭に入りきれないほどの過去の情報は必要ない。本来、自分の頭にしまっておけるだけで充分なのである。それを、デジタル時代になって、いとも簡単に情報を蓄積できるようになったから、皆がせっせと記録にいそしんでいるのが現代人の姿だろう。記録すること自体が目的となって、記録されたものは別に活用されていないのは、デジカメで撮りまくった画像がコンピューターの中に2度と見られることもないまま、眠っているがごとしである。

かく言う僕自身がこんな愚にもつかない文章を書いているのだから何をか言わんやだけれども、戸屋山の文章がどこかに消えたので、頭にきて書いたという次第。



戸屋山もこれまた、『藪山辿歴』と山村正光さんの『中央沿線各駅登山』を参考にして登った山だった。国道20号が長野県に入る国界橋から取りつき、藪尾根を登る。出たところが平久保の池という人口池で、僕が登ったときには、白州町営の宿泊施設ができていて、それを知らない僕は、どんな幽邃な雰囲気なところだろうと期待していただけに、あごが地面まで落ちてしまったおぼえがある。

このときは、尾根を車道が隧道で抜けているところまで歩いて、そのあと適当にくだって国道に出、車を取りに戻ったのだが、最後の国道歩きがやけに長く感じたのを覚えている。

その後何回か訪れたこの山は、今では三角点の30p手前まで遊歩道ができていて、もはや藪山とはいえないが、それでも、国界橋からのルートは、歩く価値のあるルートだとはいえる。

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