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   御嶽外道南部を歩く(羅漢寺山塊) 2015.1.8



実際の御嶽外道は吉沢から沢沿いに北上し、外道ノ原を経て現在のパノラマ台へ至る。このときの山行はその道の西側の尾根をたどってみようという計画だった。したがって厳密には外道とは言えない。

地形図で見るからに自分好みの稜線で、このちょうど一年前にひとりでたどったことがあった。取り付きの藪さえ突破すれば、あとは作業車が通れるほどの道が通じており、かつての北仙開拓に導かれる。今でも人が住んでいそうな家が一軒残っている。作業小屋の横には古いカローラと軽トラが打ち棄てられていた。かつてはここまで車で来られたのだろうが、その道はとっくに朽ちている。

昭和45年、大阪から名古屋に引っ越してきたとき、いろいろと手伝ってくれた父の会社の人が乗っていたのがこのカローラで、乗せてもらったからよく覚えている。当時は車なんてえらく贅沢品だったが、買えるくらいの収入がこの開拓地ではあったのだろうか。もっとも、新車で買ったとは限らないが。

人の生活の跡はいろいろと想像をふくらませる。

外道ノ原の上部にちょうどひとりが入れるくらいの穴のあいた花崗岩があって、その中で座禅を組んでいる写真をおとみ山に撮ってもらい、それが今の『山梨県の山』(山と溪谷社)の著者近影となっている。(本の奥付に写真協力・富田雄一郎となっているのはこの近影写真のことである)。ここではたわらさんの撮った、同じ岩でおとみ山が座禅を組んでいる写真を載せておいた。最後に太刀の抜き岩で記念写真を撮ってもらった。

(2021.1) 

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