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           蛾ヶ岳 2011.11.17



御弟子に電気が通じたというニュースをテレビで見たのはいつだっただろうか。ニュースになったのは、そこが山梨県では電気が通じていない最後の集落だったからで、へぇ、まだそんなところがあったのかという感想とともに、珍しい地名が記憶に残った。たぶん80年代半ばだったと思う。

その御弟子を初めて訪れたのは2004年4月のことだが、訪れたとは大げさで、北側から三方分山に登るとき車道から垣間見ただけだった。実際に仔細に眺めたのは2010年の1月、御弟子から蛾ヶ岳に登り、峰山に下って、折門を経て御弟子まで戻ろうという周回コースを計画してひとりで出かけたときだった。車道脇にある2軒には人影はなかったが、近くの茶畑には手が入っているように見えたから、すでに無人だが、まったく放棄されたというわけでもなかったのだろう。電信柱も残っていた。

蛾ヶ岳から西肩峠に下り、峰山から折門へと向かう途中、道を失った。ままよと急な山腹のトラバースを続けるうち、連れてきたクリオがそっちじゃないとでも言うように吠えた。たしかに危険な方へと突っ込みすぎている。すでに3時を過ぎていた。晴天の一日だったが、谷合はすでに夕暮れの気配である。あせっていたのだろう。

気を取り直して、沢への下降を試みた。木から木へと飛び移るように下ってなんとか沢身に降り立つと径形に出会った。ところどころに古い石組みが残っている。上流へわずかで下折門の廃屋が忽然と現れた。そこから上折門まで、日暮近い廃村に次々に現れる朽ちかかった家屋は鬼気迫る雰囲気で私を急かせた。行きがけにも通った、御弟子から折門との間にある峠に出たときにはさすがにほっとした気分になった。

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このときの折門集落の印象が強くて、木曜山行でもぜひにと思い、さっそく2ヶ月後の3月に御弟子から大平山に登り、帰りがけに上折門へ寄り道する計画を立てて実施した(参照)

そして1年半後、この写真集の蛾ヶ岳である。このころは木曜山行以外でも付近の山に出かけていたから、私のお気に入りの山域だったわけである。

たわらさんと、初参加のOさんと3人だけの山行となった。山梨県でも樹林の美しさが屈指の、蛾ヶ岳から大平山への稜線はすでにほぼ落葉しきっていたが、これが芽吹いたらすばらしいだろうと、翌年の新緑の時季にも木曜山行で出かけ、その緑のすばらしさに酔った。その後も何度か計画したのだが、悪天で中止になっている。


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