御坂峠の茶店で働いていたとき、富士吉田(だったと思う)の焼却場から電話があって、峠にある太宰治の文学碑の除幕式らしき写真がゴミの中から何枚も出てきたという。作業をしていた人が文学碑を覚えていて、親切に知らせてくれたというわけだ。

保存を頼んで後日実物を見ると、そのとおり除幕式の写真で、まだ幕をかぶった碑や、井伏鱒二や青柳瑞穂、太宰夫人の美智子さんや長女の園子さんらが写っているのであった。それらの写真は複製後、引き伸ばされて今でも茶店に飾ってあるはずだ。

ことの真相は、富士吉田に住んでいた山梨日日新聞の元カメラマンが亡くなって、遺された写真の類が処分されたのが焼かれる前に拾われたということだったらしい。

碑の周りにいる何人もの参会者の中にひとりの青年が写っていた。それが新聞記者になりたての若き高室陽二郎さんだった。なんでそれがわかったかというと、高室さんが何かの用で茶店を訪れたとき、ご自分で発見したのだったと思う。あるいは、この写真が見つかったことは山梨日日新聞にも出たから、高室さんは当然それを見たはずで「あっ、これは俺だ」と気づいたのだったかもしれない。昭和28年10月、高室さんは山日の記者として除幕式を取材に来ていたのである。となるとそれを撮ったカメラマンも知っていたはずだが、そのことは聞いたかどうか忘れてしまった。

高室さんが山梨大学山岳部の仲間と南アルプスの冬季全山縦走を成し遂げたことを私は知っていたから、茶店に来られたとき、そのことで二言三言しゃべったことがある。茶店の従業員とのそんな会話を高室さんが覚えておられるはずもないが、私はしっかりと覚えている。ところが山の世界は狭い。ロッジ山旅を始めてからいつしかご縁ができて、何度かロッジを訪れてくださってもいる。

その高室さんが去年の暮れ『山と人』という本を出版され、それを祝う会が、2011年2月27日、甲府の湯村常盤ホテルで開催された。



山梨放送の社長まで務めた人だから、山はもちろん実業界でもおそろしく人脈の広い方だが、今回ばかりは山がらみの方々がほとんどだったのは、さすがに山の本のお祝いであったからだろう。私のような者にも案内が来て、末席を汚してきた。

高室さんは山日の記者から、北海道は増毛の高校教師を4年務めたのち、また山日の記者に戻るといった面白い経歴の持ち主で、その経緯は本に詳しい。その増毛での山仲間、袖木衆三氏が書いた詩が参会者に配られた。高室さんも、ずい分あとまでこの詩が書かれていたことを知らずにいたらしい。本にあるその挿話も感動的だが、詩そのものが実に感動的で、私は読んで胸が熱くなった。こんな詩を贈られた高室さんは幸福である。うらやましく思った。作詩者はかなり前にお亡くなりになったという。
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