ロゴをクリックでトップページへ戻る

白山書房『山の本』38号に書いたものです。ロッジを始めてからというもの、横山厚夫さんはほとんど毎月のようにお泊りになってくださって、ご一緒して山を歩かない月もほとんどありません。僕が高校時代、学校の図書室にあった『登山読本』以来存じ上げているのですから、その方と同じ山に登っているとは、これはなんという不思議でしょう。

                    高登谷山

南が明るく北が暗いのは北半球ならどこでも同じ。奥秩父の主稜が甲
武国境にある間も、その例にもれない。例えば将監峠、雁峠、そして雁
坂峠。南の甲州側に明るく、北の武州側に暗い。ところが、甲武信岳を
西に越え、主稜が甲信国境をたどるようになると、北側の空もぱっと開
け、明るい雰囲気になるから不思議だ。梓山、居倉、大深山、そして御
所平。千曲川源流の扇状地を寄せ集めたような信濃川上村である。

歳月を経た言葉とは大したもの。奥秩父と聞くと、本来の秩父の奥山
が持つ、重畳とした山なみ、深い森林に覆われた険しい谷といった、重
厚だが少し暗いイメージが浮かぶ。

ところが、名目上は奥秩父に属するこの村の山々にはそんな気配は微
塵もない。明るい高原の気がある。

僕は明るい山を好む。明るい尾根をぶらぶら歩くのが好きだ。山登り
は明るい場所を求めて高みを目指す遊びだと思う。だからそんな明るい
川上村の山が以前から好きだった。

久しぶりに訪れて下さった横山厚夫さんご夫妻と、さあどこかへ登ろ
うじゃないの、高登谷山はどうだろうという話になった。

僕はこの山を横山さんの本で知った。1才になったばかりの娘を背負
い、これも横山さんを真似た女山とのはしご登山で初めて頂上に立った
のが2年と少し前。横山さんとの初めての山となった前号の女山の紀行
でも書いたことだが、縁というのは不思議なもの、今度はまた高登谷山
を一緒に登ろうというのだから。

1月半ばに観測史上2番目という1メートル近い雪が僕の住む八ヶ岳
南麓に降り、その後も1週間に1度の割合で降った。僕の村より標高の
高い川上村となればなおさら降っただろう。さらに、高登谷山は1800
メートルを越える山、積雪も相当なものだと思われた。

横山夫妻と僕たち夫婦、それに3才の娘、そして犬のクリオの5人と
1匹は、せっかくの快晴、ま、とりえあえず出発して、難しいことはあ
とで考えようということになった。

大雪原になった野菜畑の中、圧雪で白く舗装されたような信州峠への
一直線の車道から、高登谷高原別荘地へのこれまた一直線の道が左に分
かれる。目指す高登谷山の台形が大きい。別荘地内に入って、登山口を
示しているはずの道標は、うずたかく道路の両脇に積まれた雪に埋もれ
て不明。記憶を頼って車を走らせ、何とか登山口を見つけた。

トレースは全くないものの、幸いスパッツ程度で何とかなりそうな雪
の量だ。横山夫妻は尻皮を装着。聞けばカモシカのが最高だが手に入ら
ないので犬の皮だとか。今日は生の犬も連れている。全身尻皮のクリオ
は準備万端、早くも雪の中をすっとんでいく。

問題は娘だ。もう随分歩けるようにはなっているが、さすがにこの雪
では無理だ。歩きたがるのをなだめすかして背負子に乗せる。冬の間に
自重の増えた僕に娘と背負子の重さが加わって、90キロを越える。よ
おし、この重さで僕がラッセルしようじゃないですか、と威勢のいいの
は登り出す前だけだった。結局トップを登ることなど一度もなく、ひた
すらトレースを追うだけ。重さが災いして、ズボズボと足のもぐること
もぐること。その上、登山道はすこぶる急な鉄砲登りときている。横山
さんは「僕らはどこでやめたっていいんですからね」と気を使って下さ
るが、そういうわけにもいかない。遅れながらも何とか半分雪に埋もれ
た標柱の立つ頂上にたどり着き、重い背中の荷物をやっと降ろし、やっ
と周囲を眺める余裕ができた。

八ヶ岳の眺めはいわずもがな。横尾山の上には甲斐駒、仙丈が、早川
尾根の向こうに頭ひとつ突きだした北岳がりりしい。近くには瑞牆山が
頭を覗かせている。眼下の野菜畑はあくまでも白い。もう昼時、早朝な
らばさらに眺めは広く遠いだろう。

とはいえ、ゆっくりそれを眺めていられるほど真冬の風は甘くない。
頂上の東側に風を避け、雪の吹き溜まりを踏み固め、慌ただしく腹ごし
らえ。娘が寒いを連発するので、わずかな滞在で下ることになった。
急な下りも雪があるとためらいなく足が出せる。それこそあっけない
程速く登山口に戻った。

[付記]

この10月末の日曜日、3たびこの山を訪れた。冬のメンバーにわれら
が白山書房簑浦夫妻が加わるという布陣。登山口で用意をしていると、
はや下山してきた人が「もしや横山さんでは」。聞けば『山の本』でお
なじみの内田敏男さん。こりゃまた奇遇。簑浦さんとは初対面とか。さ
らに、頂上で出会ったご婦人ふたりが「もしや横山さんでは」。なるほ
ど、メジャーな山はどこも満杯であろう錦秋の好日に高登谷山なんぞに
登っているのは、つまり横山さんを知っているような人なのだと笑った
次第。それ以外にはただのひとりにも出会わなかったのだから。

ホームへ  山の雑記帳トップへ