ロゴをクリックでトップページへ戻る

 山と遭難

すこし昔の山岳雑誌を数年分もらい受け、ならばこの機会にと古いほうから順番に通読したことがある。そして山には遭難が必要欠くべからざる一種の華だったことを思い知らされた。

ある号に「ヒマラヤ某峰へ遠征隊が出発した」という記事があったとする。その数ヵ月後の号に「ヒマラヤ某峰にて遭難、○人死亡」。

同様なことがその数年分だけでいったい何度繰り返されたことか。壮行会の写真が出ていることもある。花束を受け取る隊員。その隊員が何号か後には花を供えられる身となって載っている。国内の遭難を含め、毎号毎号まさしく死屍累々である。

こと雑誌に限ったことではなく、世の山岳書においても同じである。ひとくちに山岳書といっても範囲は広いが、時代時代の先鋭的な登山を記録した本の中に遭難の二文字が一度も出てこないものがあるだろうか。おそらく一冊もない。よしんば成功裡に終わった登山だったとしても、その山が過去にあまたの挑戦をしりぞけてきたことを書かずにはいられない。すなわち多くの命をのみこんだ山であることを語らずにはいられない。

「自分が初登攀に成功したというだけでは不十分だ。他人が失敗しなければいけない」(上田哲農『日翳の山ひなたの山』より)とはけだし名言である。「山から帰ってきた人に聞くがいい。彼らがもっとも生き生きした目つきと口調で語るのは、彼らがもう少しで死にかけた話だ」と深田久弥は書いている。

マッターホルンにはウインパー初登頂後の悲劇がなくてはならず、エベレストではマロリーが消息を絶たなくてはならず、北鎌尾根では松濤明が風雪のビバークをし、谷川岳は世界一の遭難死者数を誇る。山は遭難の逸話によっていつも深みを増してきた。 

また、人は夭折によってはじめて世に知られることがある。すでに栄光があればそれを永らえる。登山では、体力が充実し、しかも命知らずな若い時代にぎりぎりの目標に挑むことが多いから、おのずと遭難による夭折がつきまとう。若くして山に逝った登山者にたまたま文章の才があり、書いたものが多く残されていれば、たちまち本が編まれる。登山史上重要な遺稿集ともいうべき本がたちどころに何冊か頭に浮かぶ。非業の死(私はそれを必ずしも非業だと思わないが)が山岳書に重みを加えた例など数え切れない。山岳小説というものが山岳書の主流になりえないのは、実際の山に小説より奇な事実、ことに劇的な死がごろごろと転がっているからである。もっとも、事実に頼りすぎるのが山岳書の本質的に持つ限界だろうというのが私の常々考えているところだが。

遭難実話集といった本も多い。古くは春日俊吉や安川茂雄によるものが有名で、とくに前者の講談調の文章を一時期私は好んで読んだ。今でもときおり読み返す。

「しかるに嗚呼!その日の午後五時三十五分、何とも形容のできぬ悲痛な面持をして、リーダー松村守夫君が実に意外な、この場合、信じ得べからざる兇報をもって、嶺の頂上から戻ってきたのである」(春日俊吉『山岳遭難記1(朋文堂)』より)

こんな文章を読むと、子供のころ南洋一郎訳のアルセーヌ・ルパンを愛読した私はうれしくなってしまう。

これらの著者には遭難の実態を描いて他山の石としてもらおうという意図があったのかもしれないが、残念ながら読者は勉強のためにこの手の本を読むわけではない。人は救いがたいほど悲劇を好む。いかな悲劇でも自分と無関係なら楽しみとして読むのである。同好の士の遭難ならば他人事ではないと思ったとしても、そう思うのは他人事だからである。

いずれにせよ、いくつもの遭難が書かれ、そして読まれ、魂を揺さぶられた若者は自らも(名の知られた)困難に向かい、その死によって新たな伝説となったりもした。しかしそれもすこし昔の話になった。山の遭難の様相や扱われ方が変わってきたからである。冒頭で私が、遭難が華だったと過去形で書いた所以である。

まず、めっきり世間の関心をひかなくなってしまった。よほどのことがなければマスコミはかつてのように大きく取り扱わない。中高年が登山人口の主流になったからである。死んでも夭折ではないからである。登山が健康増進活動の一環でしかないからである。散歩中に転んで打ち所が悪くて死んだのと大差ない事故では記事にならない。まれに前途ある若者が真に冒険にふさわしい山で力及ばず果てたとしても、世間の興味は、もうそんな重箱の隅にある山には及ばないからそれも記事にはならない。  

だが、それよりもさらに大きな変化は、科学で何でも解明できるという考えがますます社会に蔓延し、結果、遭難の原因をすべて自他の過失のせいにするようになったことである。

黒と白に物事を分けるだけで、そのあいだにある無数の色調を見ない。心まで数値で推しはかろうとする。清廉潔白のみを是とする。健康の裏にひそむものを隠す。山での出来事をすべて形而下に置く。

とんでもない料簡違いである。運命をないがしろにしてはいけない。人智など到底及ばぬものの前に多くは斃れたのだ。数え切れないほどの魔が山にひそんで、彼らが来るのを舌なめずりして待っていたのである。

私は山での死を讃美しているわけではない。むしろ、山の死であろうが何であろうが、死に様に高下をつけたがるのは生きている人間の勝手な思い込みにすぎないのではないかと疑っている。だが一方で、もしそんな思い込みが山の世界からまったく失われてしまえば、同時に、山で遊んでいた芸術たちは手を振ってどこかへ去っていくだろうとも思っている。

ホームへ  山の雑記帳トップ