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            大西山(12月9日)

山宿の朝は快晴に明けた。窓から見下ろすまだ陽の射さない隣の家の屋根にはうっすら霜が積もっている。身体がしゃきっとするような初冬の朝である。ところがどうだ、身体はいっこうにしゃきっとしない。

温泉宿に泊まった翌朝はいつもこうだ。頭が重く、身体がだるい。これは泉質が身体に合わないのだろうか。いや違う。どこの温泉に泊まったときでもこうなのだから。

酒飲みの貧乏人がたまの贅沢すると必ず発症するという、いまだ特効薬のない奇病〈二日酔い〉である。別名〈宿酔〉という。まったく文字通りである。

せっかくお金を出して泊まっているのだから、朝はゆっくりしたい気もするが、山登りを控えていれば、そういうわけにもいかない。朝食はいちばん早い時間に予約してある。とりあえず身体をしゃきっとさせるために風呂につかるが、昨晩同様やはり熱くてゆっくり入ってなどいられない。風呂からあがると朝食となる。食欲があるわけではないが、ケチなので残らず平らげた。

そそくさと宿を出て、車を飛ばしてやってきた小渋橋からは朝の赤石岳を望むことができた。望遠レンズの効果で、白籏史朗さんの写真では川にのしかかるようにそびえ立っていた赤石岳は、肉眼ではずっと遠く小さいし、まだ朝の逆光なので山肌もはっきりとしない。

『中央構造線博物館』という建物があったので、そこの駐車場の隅に車を止めさせてもらう。ずんぐりと盛り上がった大西山は、ここから標高差が千メートルもあるとはとても思えない。ちょっとした裏山のようにしか見えない。

青木川を渡って、集落の中の道をゆるく登っていく。

『静かなる山』に、大の犬嫌いの川崎精雄さんが犬に吠えつかれれて閉口したとある。その犬が増殖したのだろうか、登山道が始まるあたりの家では、ずらっと並んだ犬小屋から十頭はいようかという犬にいっせいに吠えたてられた。もう川崎さんは決してここに近づかないほうがよろしかろう。

登山口には大きな説明板があった。「途中唐松峠までは中道街道と呼ばれ、古来天竜沿岸地域と大鹿村を結ぶ重要な路線で、人や物資の流通ルートであった」とある。

相当に等高線の詰まった山だから傾斜は急だが、そこは古くからの峠径、大きくジグザグをきって登っていく。最初は〈大西山へ〉という標識がひんぱんにあったのが、径形が怪しくなるとだんだん少なくなり、一度は屈曲を見逃して作業道に引き込まれたりした。どうも山の標識は、一目瞭然の場所に多く、わかりづらい場所には少ないような気がする。

ひたすらの登りが続き、ようやく尾根筋が近づくと、スズ竹が径を覆ったりしていて、歩きづらいところもあった。〈宿酔〉の持病が発症中の身には相当にこたえる登りだった。ただ、登るにつれ木の間にだんだんと姿を現してくる真白き峰々が、眺めがよいと聞いた頂上での期待を高め、なんとか身体を鞭打ってくれる。

登り着いた尾根は、広々とした背の低い笹原の落葉松林だった。「天竜川の谷の彼方に恵那山から南駒ヶ岳へかけての山々が、ずらりと見わたせる」と川崎さんは書かれているが、そちら側の眺めはなかった。落葉松の成長は早い。川崎さん一行の登山は昭和五十年の正月だったという。四半世紀たって、すっかり景色を隠してしまったのだろう。

低い笹原と入れ替わって、またスズ竹が現れる。径はまだ刈払いして間もないようだ。スズ竹の藪は突破するのに並々ならぬ苦労を強いられる。赤ん坊など背負っていては歩けない。この刈払いがなければ前進を諦めただろう。

伐採で小広く開けたところを過ぎて、大西山の最後の登りは本当に辛かった。十歩進んでは息をつきながら、ようやくたどり着いた〈宮〉マークの彫られた古い石標のある、南アルプスの眺めの素晴らしい場所はすでに頂上の一角と思われた。だが、地図に三角点があって、しかもそこが最高点である以上は、そこに達しない限りは気分がよくない。川崎さん一行はついに三角点を発見できなかったとある。ようし、僕がそれを見つけてやろうと、ひそかに期するものが出発前からあったのである。

しかし、刈払いされたさらに続く径を、もう下りになろうという所まで時には藪に分け入りながら進んでみたが、結局見つけられずじまいだった。いったいどこへいってしまったのだろう。地図で見るかぎり、径が三角点を避けて通じているとは思えないのだが。きっと誰かが記念に持ち帰ったのだろう。三角点を土産にするとはまったくもって不逞の輩である。

ともかく、石標のあったさっきの場所まで戻って昼食とすることにした。きっとそこが川崎さん一行が頂上とした場所でもあろう。

少し木の枝がうるさいものの、まさに絶景。白籏さんのガイドにあるとおり、南アルプスの聖岳をのぞく三千メートル峰がずらりと並ぶ。仙丈ヶ岳こそ枝ごしに垣間見るだけだが、白峰三山は前衛の山の上にまさしくその名のとおりの姿で銀嶺を三つ突き出させ、塩見岳は相変わらず雄々しい兜形に立ち、そして何と言ってもここでは荒川岳、赤石岳が大きい。

西側から眺めるせいで、午後になると光線の状態がいいのがうれしい。甲州側から南アルプスを眺めようと日帰り登山するとき、眺めのいい場所についた頃には、すでに逆光気味になっていることが多い。その意味ではこちら側の山は有利だ。

昨日の戸倉山とはうって変わって風もなく、せっかく買った渓の防風着も出番がなかった。午後の陽射しが暖かい。パンをかじってのいつもの昼食。たとえ百円のパンでもこの風景の中ではどんな豪華料理にも勝る。

よちよちと歩き回る渓の写真を撮る。その背景には白銀の峰々が。まだ知らぬこれらを歩くのはいつの日か。それを果たしたのち、またここに来て、親しくなった峰々と、それを初めて間近に見せてくれた大西山に久濶を叙したいと思う。でも、もうその時には渓は背中にはいまい。

親子で歩いて登るのだろうか。山などまっぴらと友達と遊ぶ年齢になっているかもしれない。それならそれでいい。いずれ子は親を離れ、親も子から遠ざかる。渓を背負って山を歩いた日々はただ親の想い出でしかない。

登りに三時間かかった山径も、下りはその半分あまりで登山口へ戻った。車に戻って、あらためて振り返る大西山は、登るのに三時間もかかるとはやっぱり思えない、ちょっとした裏山にしか見えなかった。

帰りがけ、小渋橋に車を止めて、赤石岳に最後の挨拶をした。大西山から見るより距離は短くなるのに、白籏さんの写真のイメージの強い僕には、やはり遠く感じる。まだ登らない山だというのも遠く感じる理由だろう。いつの日にか登り終えたのちここで振り返る時、もっと近くに感じるだろうか。

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