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森林書房『遊歩百山』7号に書いたものです。この山で初めてかもしかに遭遇しました。その後よく出遭うようになり、数え切れないほどです。すべて日帰りの山で出遭っているのですから、個体数も増えているのでしょう。小川山は廻り目平からも登りましたが、そちらの方が容易のようです。その後、八丁平からの道に多かった倒木も片付けられ、ずいぶん歩きやすくなりました。10年もたてばいろいろと山も変わりますね。瑞牆山麓もこのガイドを書いた頃とはまるで変わってしまいました。


                                                                  小川山

今回は小川山の山行記だ。いつも同じでもつまらないので、春日俊吉&中村謙調でいきましょう。(知らぬ人は古本屋へどうぞ。)

「嗚呼!古き良き小川山」

小川山と聞いて、ロッククライミングを想起される人は、まごうことなき現代青年である。しかし、それではこの山のほんの一端しか知らぬ。なるほど、信州は川上村、廻目平では、週末ともなると若人の声が屋根岩の峨々たる山並に谺する。屋根岩の奥を探って見られよ。県境を越えて、甲州側を覗いて見られよ。そこには原始の森が眠っている。古き良き奥秩父がそこにある。倒木を越え、また潜り、その山頂に立って存分に風景を縦にするがよい。遠く金峰山の御像岩の金字塔が、我々に祝福のエ−ルを送るかのようだ。

「つまらぬ標語はやめてくれ」

我が一行(といっても女房とふたり)は11月の連休も終わった5日、紅葉も盛りの小川山を訪ねるべく、一路瑞牆山荘へと自動車を飛ばした。増富ラヂュ−ム鉱泉を瞬く間に過ぎて通仙峡に入ると、数年前までは埃舞い立つ砂利道が、今では快適なドライブ・ウェ−だ。せせらぎに沿って遡れば、秋色はいやが上にも濃くなる。

東洋一とも謳われる金山平の白樺林の片隅には、奥秩父をこよなく愛した木暮理太郎翁の石碑が、岳人の訪れをひっそりと待っている。ここはひとつ先達の業績に敬意を表すがよかろう。我々近代人はついつい文明の利器に頼りがちであるが、時間に余裕があれば、この径を歩いてみるのもまた一興かと存ずる。

瑞牆山荘の前に自動車を置いて、いよいよ歩き出す。しょっぱなからの急登を喘ぎ喘ぎ行けば、見晴らし台に飛び出る。おお、瑞牆山だ。だが、いかんせん最近は落葉松が伸び過ぎてせっかくの絶景をスポイルしている。わずかに行けば富士見平だ。

数日前まではキャンパ−で賑わったであろうこの小平地も今やひと気なく、ただ落葉が秋風に物哀しく舞っているのみだ。ここで大日岩へ向かう径を右へ分ける。瑞牆山への径が天鳥川の河原へ下るころ、右へ分かれるのが小川山への愛らしい小径だ。

何度か瑞牆山へ登った際、やれ『この自然いつまでも』だの『緑はぼくらの宝』だのという迷惑千万な札が登山道のそこかしこにあって閉口したものだったが、われらが小川山の登山道にはそんなものはひとつもない。地元小中学校の遠足で、教育の一環として妙な標語を考えるのだろうが、そんな馬鹿げた教育は一刻も早くやめてくれ。よかれと思ってやっているから、よけい始末に終えぬ。

「かもしか君のつぶらな瞳」

天鳥川の左岸の高み、飯盛山の北側を径は緩やかに登っていく。小さな支尾根を回り込んだ所で、先を行く女房が、突然吃驚したよにこっちを振り返り、一点を指差しているその方向に目をやると、おやおや、かもしか君が目と鼻の先で、じっとこちらを見つめている。まるで彫像のようにピクリともしないなんたる幸運、胸にはカメラがぶらさがっていた。シャッターを切る事、2回。少し近寄って3回目を押そうとした時、かもしか君はぱっと踵を返すと、彼方へ走り去った。「さよなら、かもしか君。またどこかで会おう。そのつぶらな瞳に幸あれ」と願わずにはいられなかった。

「 瑞牆山へ送るエール」

源流近くなると径は右岸に移る。かなり大きな造林小屋が半ば朽ちかけている。おお、さては付近の目にも鮮やかな落葉松の黄葉はこの小屋が盛業を極めし頃の産物であったかと、昔日の杣人の御苦労が偲ばれた。また左岸に渡り、大日岩の径を右に分け、八丁平に到着だ。

ここから県境稜線を北へ行く。難儀な倒木帯と歩き良い疎林帯が交互に現れる。これも一種の縞枯れ現象か。途中、径の左側にポッカリと飛び出た露岩帯があるので、是非登ってみるがよい。瑞牆山がもう眼下に小さい。名立たる山々が「やあ、こんにちは」とばかりに顔を出す。双眼鏡を見ながら瑞牆山にエールを送ると、頂上の10人程が一斉にこちらを向いたのが面白かった。しかし、かの山の賑わいに比べて、この山の静かなことよ。

この先、径は頂上直下の、2347標高点の西を巻いているが、ほんの1分藪を漕いで、そこまで行ってみるとよい。あとわずかで頂上だが、残念ながら、あまり展望が良くないので、昼飯はここで食うに限る。奥秩父の大観を目の前に飯を食う心地良さ!そのうまさ!我々もそこで1時間余りも休んだ後、荷物を置いて頂上に向かった。頂上は、しゃくなげに囲まれた小さな切り開きだ。開花期はさぞ美しかろう。三角点が我々を迎えてくれる。恒例の頂上での握手。一点の曇もない秋空が我々に祝福を送る。しかし、行程はまだ半分だ。10分滞在後、往路を一気に駆け下る。

「哀しき自動車登山」

時間があれば大日岩を経て帰ろうと思ったが、秋の日はつるべ落とし。八丁平に着く頃にはすでに時間切れだった。しかも大日岩経由のプラス1時間はビールを遠ざけてしまうすでに身体にビール切れ警報が発令中だ。昼食以来、水気は遠ざけている。素直に往路を戻ることに何の躊躇もなく決定。天鳥川沿いの径からは、瑞牆山が夕日を受けて神々しい。

瑞牆山荘前の車に辿り着いた時には、もう真っ暗だった。林道を飛ばして増富荘着。風呂から上がった頃には、もうほとんど身体の水分はなくなっていた。しかし鳴呼!日帰り自動車山行の哀しさよ。あと一時間半、ビールはお預けだ。ほとんどミイラと化した我が身に鞭打って、家路を急ぐ。赤信号が提灯に見える。我慢の甲斐あって、家へ帰り着いて飲んだビールのうまさ!思わず誓う、来週の山行。酒なくてなんのおのれが山登りかな。

結局、ただのアル中だった というわけで、春日俊吉&中村謙調が最後はただのアル中登山者調になってしまった。

1992年11月5日

瑞牆山荘(二五分)展望台(一○分)富士
見平(一○分)八丁平分岐(一時間)八丁平
(二時間)小川山(三時間)瑞牆山荘

二万五千分の一地形図=瑞牆山

アドバイス

八丁平から小川山まで、ガイドブックによ
っては四時間以上かかると書かれているもの
もあるが、我々が別に歩くのが早いとも思え
ないので、このコースタイムで歩けると思う
。但しこの間、倒木が多く、体力を消耗する
ので注意。瑞牆山荘か、富士見平小屋か、大
日小屋に一泊する計画ならば余裕のある山行
になるだろう。自家用車でなければ、信州側
に降りると面白いだろう。増富温泉では何件
かの旅館で入浴のみの利用ができる。

瑞牆山荘 0551-45-0521
富士見平小屋、大日小屋、及び増富温泉の
問い合わせは増富観光協会 0551-45-0127

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