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            水ヶ森(2月9日)

荒川の左岸、甲府市と牧丘町の市町界を南下する尾根で一際目立つ盛り上がりが水ヶ森である。といっても、鋭く天を突くといった山ではない。ずんぐりしたどっしり型の山である。兜のような姿を尾根から文字通り頭ひとつ突出させている。

この市町界尾根に沿って北の乙女高原から林道が造られている。水ヶ森の部分ではその林道が鉢巻きのように山を分断しているので、そのせいでも同定がしやすくなっている。『悲しきドーテイ』である。

もっとも、僕が初めて水ヶ森に登ったのはこの林道を利用してのことだった。どこかの帰りにこの林道を走っていて、ふと思い出して登ることになった。たかだか三十分で頂上に立ててしまい、これでは水ヶ森に登ったとは堂々と言えないし、山にも申し訳ない。いつかはちゃんと麓から登ってみようと思いつつも、はや十年の年月がたってしまっていた。



いつものようにわが軽ワゴン車は三人と一匹を乗せて甲府盆地へ降りていく。南アルプスと八ヶ岳が白く眩しい。甲府の街中を通り抜け、昇仙峡へと向かう。以前は有料だった、昇仙峡のはるか高みをとおる道を奇岩を眺めながら走る。やがて旧道と合流して、まもなく右に細道が分かれる。今回の登山口に選んだ高成町への道である。この集落から市町界尾根の弓張峠へ達し、水ヶ森へ登ろうという算段である。

くねくねと続く道を行くとやがて忽然と高成町の集落が現れる。甲府市内とはいっても色々なところがあるものだ。廃屋然とした家もあるので実際に住んでいる人はもう少ないのかもしれない。

集落を通り抜けると舗装がなくなり俄然道が悪くなる。道はさらに奥に続くようだが、適当な場所に車を停め、歩くことにする。自由の身になったクリオはさっそくあたりを探検にでかける。

渓を背負って歩き出してまもなく、これからどんどん悪くなると思っていた道は突然見た目も新しい舗装路になった。あとで調べたところによると、僕の古い地図『茅ヶ岳』にはない道が、やはりその地図にまだない荒川ダムによってせきとめられた能泉湖にむかって延々と続いているのだった。山奥に行くほど良くなる不可解な道を他に何個所も知っているが、なにか魂胆でもあるのだろうか。

ともあれあまり歩きたくない舗装路を行く。しばらく歩くと舗装路は沢を渡って一八○度向きを変える。その屈曲点から沢沿いに延びる林道が分かれる。これが弓張峠への道である。

甲府市部分林管理事務所という建物の前で一服する。あたり一面の落葉松林はここを拠点に整備されたのだろうか。新緑や紅葉は美しいが、こうも落葉松ばかりだとさすがに食傷する。

車が通れるような道をさらに行くと、コンクリート製の立派な道標が弓張峠を指していた。地図の破線からそこで別れることになる。径は地図上の弓張峠のわずか南西の突起から西に派生する尾根に乗る。尾根をしばらくたどったあと南向きに方向を変えて、前述の突起の南西の鞍部に出る。これがすなわち正しい弓張峠の位置で、水ヶ森林道が尾根と接している。振り返ると南アルプスが白銀の頂稜を連ねていて、この展望こそ甲斐の冬の低山歩きの醍醐味である。

水ヶ森へは巻き径もあるようだが、半ば藪に埋もれていそうなので、忠実に尾根をたどることにする。こちらは藪というほどの藪はない。地図上の弓張峠から容赦のない急登になる。かの詩人尾崎喜八さんは、無沙汰していた頂上に着いた時、一言「久濶!」と言ったという話を何かで読んだ。かっこいいなあ、いつか僕もそれをやってみたいと、今回水ヶ森はちょうどいいと思っていたが、もっとうまい径のつけようがあるだろうにと悪態つきながら、やっと傾斜がゆるんで頂上に辿り着いたときに、この詩人ならぬ身から出た言葉は「空腹!」だった。

いつのまにか寝てしまった渓を三角点のそばにそっと降ろす。十年たてば記憶も薄いが、当時はもう少し展望が開けていたはず。木だって十年も立てば成長する。ブリキ板に書かれて落葉松に打ちつけられた山名標は幹の中に半ば埋もれて、まるで木に食われたかのようだ。

すこし先まで行って眺めが良さそうな場所を探したが、結局三角点のそばで昼食とした。気配を察して渓も目を覚ます。クリオもおすそわけを待っている。全く人の気配がすることもない山頂で一時間半ものんびりしてしまった。

もし今度登る機会があれば東側から登ってみたいと思う。その道筋は僕の足跡のもっとも多い地図のひとつ『川浦』の範囲にある。僕好みの廃れかかった山径が多く、しかもそれでいて明るい雰囲気のする山域である。

帰りは藪くさい尾根を北へ向かった。いったん下った鞍部から次のピークにかけては檜の植林がまだ低く、南アルプスが逆光のすこしけだるい姿で眺められた。植林作業道と思われる径を下ると、やがて地図の破線と合流して、それは地図どおり沢沿いに続いた。朝方登った弓張峠への分岐でもう一度位置を地図で確認したのち、往路をのんびり下った。

甲府の街中を通って帰る途中、久しぶりに山村正光さんのお宅に寄ってみた。幸いご在宅で、水ヶ森に登った帰りだと報告すると、あんな山に登る馬鹿はそうはいない、と過分なおほめの言葉をちょうだいした。

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