『山と溪谷』2002年9月号の巻頭、「Scene」というコーナーに載った記事です。「十余年のあいだに道幅が4倍の広さに。踏みつけによる影響がひと目でわかる櫛形山登山コースの今と昔」という題がつきました。別に意識して撮った写真ではなかったのですが、較べてみるとこの違い、たった10年余りでこんなになってしまうのだなあと思いました。今度このダケカンバの下を歩くのはいつの日でしょうか。
現在、櫛形山へ登るのに最も利用されているのは、池の茶屋林道終点からの道だろう。1850メートルまで車で登ってしまうのだから、駐車場から櫛形山最高点奥仙重まで1時間とはかからない。 89年の初夏、僕が初めて櫛形山を訪れたのも、この道を利用してだった。駐車場から、わずかばかりの急登をこなせば、早くもその名の由来となった長くゆるやかに隆起した頂稜の漫歩が始まる。サルオガセが垂れ下がる古い落葉松の林を縫うようにして人ひとり分の幅の道が続く。途中に枝振りのすてきなダケカンバがあって、その下に妻を立たせて記念撮影した。 去年の9月、10余年ぶりに再びこの道を歩いた。やあ、おまえも元気だったかと、懐かしいダケカンバの下に妻を立たせ、定点撮影となるかどうか、かつての構図を思い出しつつ撮った写真は、ほぼ狙いどおりに写っていた。新旧2枚の写真を並べてみる。人の変化を言うと恐いからここではおくとして、あの、人ひとり分の幅だった道の広がり様はどうしたことか。 林道終点の駐車場付近の整備を見れば、この道を歩く人の増加がうかがい知れるというもの。かの『花の百名山』として喧伝されだしたのも、車道が舗装拡幅され走りやすくなったのも、それによって個人の登山客はもとより、大規模な山のツアーがこの山奥の駐車場から登り出すようになったのもこの10年ではなかったか。 これは無数にある同様の例のひとつに違いない。人だけが自然に対して悪さをする。山を歩く者とてひとりの例外なく加害者であることを、忸怩として頭の隅に置いて、たまには思い出しても罰は当たるまいと思う。 |