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             古部山から徳並山(4月21日)

この年の3月の始めに、クリオを連れてひとりでこの山を目指して大和村の龍門峡遊歩道から尾根に取りついた。朝から天気が悪く、1128m標高点で南からの尾根を合わせる頃には雪が降り始めた。それでも岩がちの急登を1231.3m三角点峰までは登ったのだが、ますます雪が強くなり、嫌になってやめてしまった。

この時、この三角点峰に南西から立派な径が登ってきているのを見た。まだ出来て間もないと思われる、まるで公園にあるような、丸太で階段を造った径で、なんでこんなところにと驚いたものだった。まさか古部山までこの歩道が続くわけでもあるまいと三角点の北を見やると、残雪の薮尾根が延びているばかりだ。不可思議な思いを抱いたまま、今後の宿題にして往路を転げ落ちるように下った。そして、雪と濡れた落ち葉で実際に何度も転げ、手の平を深く擦りむいてしまったものだった。

横山厚夫さんに本を戴いた時の礼状に、この時のことを書き添えておいたら、ご丁寧に返書を下さって、横山さんが古部山を目指した時は水野田の導水管から取りついた由が書かれてあった。よし、今度はそこから登ってみようと思っていたら、意外と早くその機会がやってきた。

機会が早く来るも来ないも自分がその気になるかならないかだけのことなのだが、やっぱり初志貫徹しなかった山は気になるもので、わが峠はまだ新緑に程遠いが、初鹿野の里は萌えいづる春になりにけるかも、と出かける気になったというわけだ。

2万5千分の1『笹子』図幅の山ならばごく近所ではあるが、早出をするにしくはない。犬小屋兼用の軽ワゴン車に猫以外の家族全部放り込んで出発だ。

国道20号から日川沿いに上日川峠へ向かう県道に入ってすぐに2台ほどの駐車スペースがあったのでそこに車を停める。導水管はそのすぐ奥である。

この県道は上流のダム建設とともに整備され、今では上日川峠の手前2キロ位の未舗装路を除けば、そこまで完全なハイウェイである。高速道路を勝沼インターチェンジで降りたら、大菩薩峠に行くには裂石まわりよりむしろこちらの方が早いかもしれない。便利の代償として僕たちはもう古い本で読んだ日川源流の景勝に永遠に臨むことはできないわけだ。

導水管沿いには、まだ暖まらない筋肉にはきつい、コンクリートの急な階段が待っていた。脇にはワラビがはえ放題だ。目ざとい妻はそれを採りながら登る。昨日の酒のせいか身体の重い僕は、あまつさえもうひとつ身体を背負っているのでそれどころではない。この身体はいずれ背中から降りてこんどは脛をかじりだすという恐るべき怪物だが、これも身からでたサビの一種であるから文句は言えぬ。クリオはとっくに視界から消えてしまった。あいつにも荷物を持たせてやりたい。

それでもまだ階段があるうちはよかった。階段がなくなると草付きの急斜面となって、導水管を囲う金網にすがるように登るありさまとなった。それもようやく終わって、847m標高点から藪っぽい尾根となる。異臭がして、藪の中で一回目のオムツ交換。ベビーキャリアに藪よけを装着する。

升形山や淵ヶ沢山の藪の経験から、僕たちの使っているベビーキャリアの別売品にある雨除けが役に立つのではと購入しておいた。頭の上を覆うようになっていて、必要に応じてまえに透明なビニールを垂らすことができる。サン.レインカバーという商品名で、文字どおり日除け雨除けである。説明書に「赤ん坊を背負って藪を漕ぐとき便利です」とは書いてはいなかった。あたりまえである。これを装着すると随分いいようだが、背が高くなるので、枝をくぐる時はさらに大きく膝を折らなければ引っ掛かってしまう。

やがて下界からも目立つ電波反射板を通過すると、大きな石灯篭二基に迎えられる。その奥にある大岩に祠が祭ってあって、この岩が御神体かもしれない。

藪をかきわけひょっこり飛び出たところが音沢の頭三角点(水野田山・1030.8m)で、驚いたことには、ここからは砕石敷きつめた、恋人たちが肩寄せ合って歩くような歩道となっているのだった。

拍子抜けはするものの子供を背負う身には歩きやすい。坂には丸太の階段がしつらえてある。尾根の東側は見事に伐採された禿げ山となっている。径が白蛇沢から延びてきている林道とクロスすると、今度はその上が公園となっており、『大志戸木の実の里森林公園』と長たらしい名前が書かれた大きな案内板が立っている。地図が付記されており、これで春先に見た遊歩道の謎も解けたというわけだ。しかし、なんでこんな辺鄙な場所にこれだけの施設が必要なのかという謎は永遠に残る。

地図によると、林道は龍門峡入口にかかる龍門橋からくる道とつながるらしく、さかんに工事が行われている。こんな道路が何かの役に立つのかしらん。片手切の土屋惣蔵もびっくり仰天、両手離して谷底へまっさかさまというところだ。

公園にはフィールドアスレチックスの設備があって、せっかくだから丸太造りのおそろしく立派なすべり台で遊ぶ。様子を見に戻ってきたクリオをつかまえて、すべり台に無理やり乗せ、犬がすべり台が嫌いなことを発見したりする。それにしても藪山を登る途中に突然公園が現れて、そこの遊具で遊ぶとは前代未聞の珍事ではあった。

我にかえって古部山を目指す。1231.3m峰へは、前述のとおりの 遊歩道を辿っての再訪となった。この手の階段径は大抵歩幅が合わず苦労する。たまたまこの公園に遊びにきて、この先に何かあるかと思って登ってきた人はがっかりするだろう。突然といった感じで径がなくなって、何もないところに放り出されるわけだから。展望も皆無である。

三角点の少し南にコンクリート造りの祠がある。中に『奉納 大天狗宮』『奉納 大天嶽宮』と書かれた新旧二枚の札が置かれていた。どちらかが間違いなのだろうか。その祠の前にジュースの缶がころがっていた。春先にはなかったものだ。こんなところに登ってきてゴミを捨てることもあるまいにと拾い上げると、なんと未開封だった。気温が高くなるというのに水気のものを油断してあまり用意していなかったので、これも神の助けとばかりに5秒ほどお供えして飲んでしまった。

とにかくやっと本来の藪尾根となる。1273m峰を東から巻き気味に登り終えると、その先は西側が伐採後数年を経て、灌木が背丈より少し高くなっている。これがなかなかやっかいな藪で、全ての枝が身体を叩いていく感じがする。当然渓にも当るわけだが我慢してもらう以外ない。しかしそれも1270m圏峰までで、古部峠、再び登って古部山までわずかに残された気分のよい雑木林だった。

古部山の小さな標識があるところは山頂らしくない尾根上の一角である。展望もなにもないところだが、本日の最高到達点なのだから昼食とする。

遠く国道を行く車の音が風に乗って聞こえてくる。静かだ。全くの無音よりも静けさが際立つことがある。場違いな赤ん坊の声がしじまを破る。

わずかに1300メートルをこえるここは、わが峠と同じ標高で新緑には程遠い。だが、空気の温度や匂いは確実の春のものだ。眠くなってくる。春眠ところ構わずといったところか。

いつも山頂をあとにする時は後ろ髪を引かれる思いがしてなんとなく寂しいが、ここではあまりそれを感じない。山頂らしくない山頂というのもあるが、今日はここから徳並山を目指して下るにしろ、いつか北へ延びる尾根を辿りたいと思うからで、その時までのお別れだからだ。それではまた、ごきげんよろしゅう、また来るよと素直に言える。

下り始めると径は1292m標高点の南を巻く。ここが今日の白眉といってよかった。深く積もったミズナラの落ち葉をラッセルして進む。しかしそんな気分の良さもわずかで、まもなく大伐採地に出てしまう。よくもまあ、というくらいにきれいに南側が丸裸にされて、おかげで展望はよいが殺伐とした感じは否めない。明るい広葉樹の自然林あってこその里山である。いずれスギやヒノキでも植えられて昼なお暗い山になるのだろう。

徳並山までは、辿ってきた尾根を白蛇沢を隔てて眺めながらいくつかの隆起を越えていく。1115m標高点の、東大志戸山と書かれた札がかかっているピークあたりからまた両側とも樹林帯となる。

幾度もの登降と暑さでかなりよれよれになって徳並山に登り着いた。数年前の春先に勝沼の深沢入口から、いわゆる勝沼尾根をここまで辿ったことがあって、それ以来となる。

しばし久褐を叙したのち南に下る。ここから古部までは勝手知ったる二度目の径と思ったものの、最初の岩がちの急下降がまったく記憶にない。ベビーキャリアの不得意とする場面で、フレームを岩に引っ掛けやすいので気をつけなければならない。渓が腹を減らして泣き出したので、尾根が平坦になるところまで下って最後のミルク休憩とする。まだ中央自動車道が随分下に見えるが、さっきまで低かった音沢の頭はもう高くなっていた。

再び下りだしてほどなく飛び出た桃畑では、盆地ではとうに散ってしまった花がまだ盛りだった。まわりを山で囲まれたここは僕のイメージにある桃源郷にふさわしい。巡り巡って行き着いた先が桃源郷とは、これはまた美しいフィナーレと言わねばならなかった。

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