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北岳

高い山ほど他国との障壁になって、その稜線がくにざかい国境となることが多いが、北岳は日本で二番目の高さを持ちながら、全山甲斐の国にのみ属する。甲斐ヶ根というかつてのゆかしい呼称もそれゆえだろう。もっとも、この名は間ノ岳、農鳥岳を加えたいわゆるしらね白峰三山の総称だという説もある。いずれにせよ、甲府盆地の西山に一等抜きん出て白い峰を連ねるさまは、甲斐の西のしずめ鎮にふさわしい。

白峰三山の中で、北岳は甲府市街からは前衛の山に隠されてほとんど見えない山である。そんな生活の場からの縁遠さが、この考えようによっては味もそっけもない単純な名前になったのかもしれない。文字通り方角の意だけしかない「北」に、例えば孤高な響きを見出して悦にいるのは、いかにも後の山好きの考えそうなことだ。私のことである。

しかし、私に限らず、とかく世の山好きというのは山を擬人的に見たがるもので、深田久弥にいたっては『日本百名山』で北岳を「謙虚」で「高い気品をそなえ」「いつも前山のうしろに、つつましく、しかし凛とした気概をもって立ち」「奥ゆかしく」「清秀な高士」で「颯爽としていて軽薄でなく」「俗っぽくなく」「惚れ惚れするくらい高等な美しさで」「哲人的で」と、さして山に興味のない人が聞けば、よくもまあ、と呆れられるくらいの賛辞を連ねている。が、これは山にだからこそ言えるのである。これだけの賛辞に堪えうる人などいるはずはないのだから。もっとも『百名山』の中でもこれほどの激賞は異例で、深田の北岳に対する特別な想いが察しられる。

私の住む八ヶ岳南麓からは、白峰三山を北から縦に見ることになる。だから、南の二山は後ろに隠れて、ひとり北岳が前山を抜いて恰好のよい三角錐をぐっと天に突き出す。 

真冬の朝、黒い早川尾根から顔を出した蒼白いピラミッドの、その先端から段々と赤味がさしていくのに見入ることがある。ときには友人と、ときには妻と、そしてまだ1歳にもなっていなかった娘とあの頂上で憩うていた日々を反芻しながら。

その頂上に立ったことのある山は、麓や他の山から眺めるとき、いかにも親しげに語りかけてくれるように感じる。「また来いよ」と呼んでくれているように感じる。まだ登っていない山はどこかよそよそしい。結局、そこにあった人生の確実な1日がそうさせるのだろう。

「ああ、あの時はあそこに居たなあ」と、かつて自分の在った遥かな場所を色々の地点から眺められるのは山以外にない。頂上はその象徴で、登山は畢竟、山の巡礼である。

どんな低い山でも、自分の足跡の残った山はありがたいものである。いわんや、北岳においてをや。

 ガイド

山奥まで延びた道路は、北岳さえも日帰り可能な山としてしまった。交通機関の発達と近代登山は不可分の関係を持っているから、いちがいにそれを嘆くのは考えものだが、際限なく山を楽にしてしまうのもまた間違いだと思う。ともあれ、日本第二の標高が低くなったわけではない。相応の体力と準備は必要で、山中一泊が望ましい。広河原から夏なお大雪渓の残る大樺沢を詰める。二股を過ぎると傾斜が強まり、やがて階段の連続で八本歯のコルへ飛び出す。目の前に姿をあらわした間ノ岳のボリュームにここでは圧倒されるだろう。高嶺の花の多い豪快な岩稜を登って頂上へ。富士山以外はすべて足下である。宿泊は北岳山荘か肩の小屋となる。翌日の行程に合わせて選べばよい。周遊なら肩の小屋へ泊まり、草すべり、白峰お池を経て広河原へ戻る。全行程約12時間。南アルプス市役所055―282―2111。

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