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『山と溪谷』2001年5月号に書いたものです。オピニオンのコーナーなので、もっとストレートな意見を書いたほうがよかったのかもしれませんが、正攻法の書き方は僕の好むところではありません。この文は、最後の「なんだ夢だったのか」という部分がなかったのですが、それじゃあちょっとという意見が出て、書きなおしたのでした。結果的にはこの方がよかったようです。その後全面的に書きなおして、最初の文とはだいぶん違ってしまいました。

快適な登山

山登りが趣味なら休日の朝は早い。寒い時季でも完璧なエアコンで起きるのが辛いということもない。最近は目覚ましにバッハのフルート曲を流している。数世紀も昔の音楽で現代人が気分よく目覚めるとは、人間の進歩なんて大したことはないのか。そうではあるまい。各人が部屋に居ながらにしてバッハが聞けることがいったい人間の進歩でなくて何だろう。

朝は栄養的にはこれ以上ないという触れ込みの食品を摂る。味がいまひとつだと言う人もいるらしいが、栄養と味は比例しない、まず栄養で味は二の次だ。健康第一の現代人には当然のことである。だが、栄養満点とはいっても現代人は疑り深い。登山の朝のために特別に組み合わせてもらった数種類のサプリメントを食後に飲む。完璧だ。

僕の車にはアイドリングなしでも車内を暖める装置がついていて、地球環境に配慮しつつ快適になれてうれしい。もっともこの車の排気など、もうそこらの都会の空気などよりよっぽどきれいなんですとセールスマンが言っていた。今度街に出たときにはこの車の排気を吸うことにしよう。

ほどよく暖まった車に乗り込んでナビゲーションシステムをセットする。この去年発売された登山用ナビは実に良くできていて重宝この上ない。登りたい山を入力すれば、自動的に尾根や沢を検出してもっとも効率のよい登山コースを設定してくれるし、当然、車道が続く限りは車を誘導してくれる。国土交通省から毎日出される情報を自動的にダウンロードする機能がついていて、工事情報、渋滞情報はもとより、最新の林道情報まで入ってくる。いつぞや、ナビに言われるがままに車を走らせていたら、山頂まで車道が通じていて、結局歩くことなく山に登ってしまった。このナビがなければ危うく車で登れる山に歩いて登ってしまうところだった。人生に無駄は禁物、全く便利になったものだ。

ナビのスピーカーからは、かつて片想いに終わった女性の声が優しく車を誘導してくれる。僕が合成した声だ。これだけ文明が発達したというのに女性ひとりの気持ちすら自由にならないのはけしからんことだが、それもいずれはデジタル技術が解決してくれるだろう。じつに楽しみだ。

さて、車が行けるところまでは来た。なるほどここから登るのか。これからは携帯ナビの出番である。車戴ナビからICチップを取り出して腕時計にセットする。いや、もう腕時計という名前はふさわしくないな。リスト型携帯ナビに時計もついているというべきか。車戴ナビは常にインターネットにつながっているから、今までにこの山に登った人間の情報が自動的に蓄積され、日に日に精度が高まっている。今や1メートルの岩場までわかり、危険個所は迂回するように指示がでる。そうそう、見たってわからないから無駄かもしれないが、念のために地図の入ったICチップも持っていこう。

携帯衛星電話で、半径2キロ以内に範囲を設定して天気予報を見る。大丈夫のようだ。気温は相当低そうだが、衣類の進歩は家の外においてもすでに寒さから人間を解放している。問題はむしろ暑さである。はやく冷暖房完備のマウンテンジャケットができればいいなあ。そうだ、どうせ歩いているんだから、その動きを利用して発電すればいいわけだ。これは我ながら名案かもしれない。

ナビに従って尾根に取りつく。山登りの目的は健康である。それには安全が大前提である。ナビは安全登山に不可欠だが見ながら歩くのは危険なことがある。音声案内機能付きのが売っていると聞いた。よし今度はそれにしよう、今ちょっと気になっているあの娘の声を作ってみようかな。そんなことを考えていると、つい脇道にそれてしまう。そのたびにナビが「ピピッ」と鳴って注意をしてくれる。「ピピッ」じゃ、やっぱり色気がないな。

でもおかげで無事頂上に着いた。すばらしい展望だ。なんと沢山の山々が見えることか。あの目立つ山は何ていう山だろう。これも今では簡単にわかる。携帯電話の画面に山を映してボタンを押すと……。へえ、富士山っていうのか。

しかし人間はわざと不便を楽しむことがある。こういうのを魔が差すというのだろう、ナビに頼らずに下れるかなと詰まらぬ考えを起こしたのが運の尽きだった。あっという間に沢筋に迷い込み、滝場で行き詰まってしまった。再びナビをオンにして、あらずもがなの登り返しをしているとき、心臓に圧迫されるような痛みを感じた。こんなとき無理は禁物だ。無理をしてあたら命を粗末にした人のいかに多いことか。愚の骨頂である。携帯電話で救助を頼む。ナビは自分の位置を相手に知らせるので心強い。ヘリコプターの音がし、救助隊員が上から降りてくるのに1時間とはかからなかった。いつも右腕にしている心拍血圧計が記録していた過去数時間のデータから、ごく軽症の狭心症と診断された。    

あせりが心臓に響いたらしい。馬鹿なことをしたものだ。機内で適切な治療が速やかに施され、安心と疲労でうつらうつらしているうち、ヘリの爆音が次第に吹きすさぶ風の音に変わって……。

 

妙な夢を見たものだ。外は相変わらずの猛吹雪。独りきりのツェルトは今にも破れそうにはためく。停滞してもう何時間たつのだろうか。安物の腕時計は止まったままだ。だがそれがどうだっていうのだ。暗くなれば夜、明るくなったら朝、それだけのことだ。

人は文明に寄り添い、しかも対立する矛盾をはらむ。登山はその象徴的な遊びである。だからシンプルなほうが面白い。こんな厳寒の山に独りいる自分に湧いてくる奇妙な笑み。

                 
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