続 ストックワーク されど現実は…

十年ほど前まで、私は無雪期の山では、運動靴派であり地下足袋派だった。山が登りだけなら何を履こうが大差はない、というのは少々乱暴かもしれないけれど、それに対し山の下りでは、履物の機能の優劣は明白だ。登山靴なら少々雑に歩いても簡単に尻餅をついたりはしない。けれども、地下足袋や運動靴など軟底の履物は、足先の方にちゃんと荷重していないと、すってんころりんである。つまり誤魔化しがきかない。そして、誤魔化さないで長時間にわたって行動できるのは、脚の筋力がまともな若いうちだけである。下山で最も影響を被る筋は太ももの大腿四頭筋だが、ある調査によれば、60歳の大腿四頭筋の筋力は20歳の半分程度だという。

山の凸凹が足裏からじか伝わる快さは、ハードソールでは絶対に味わえない軟底の履物のよさである。しかし、年をとっても山を続けようと思うのなら、足裏の快感を犠牲にして登山靴派に転向せざるを得ないのである。

ところで、私のストックワークの探求、その後。二刀流はまだまだ荒削りだが、裏山歩きを繰り返して、それなりにペアのストックは手足の延長になりつつあった。9月にK君から笊ヶ岳登山を誘われた。目的のランカン尾根は、白峰南嶺の主稜から早川の右岸に伸びる一連の東尾根の中では比較的知られている登路のひとつである。

一日目は昼過ぎに雨畑湖畔に到着。ここに車を置き、戸屋の集落を経て大金山方面へ向かう南山腹の細い車道をたどる。タクシーなら集落まで、マイカーならその先まで入ることも可能だが、湖畔から頂上まで2200メートル近い標高差はこの尾根の大きな魅力でもあり、そのスケールを体感しないわけにはいかない。

集落から先は水が得られないとあって、2日分、ひとり4リットル近くの水のほか、酒などささやかな宴会セットも加わりザックはいつになく重い。車道は裾尾根の920メートルのコルを北面に回りこんだ先で、キャタピラー車しか入れない急勾配に変わる。この作業道は大金山と1828メートル三角点峰とのコルで左右に分かれる。尾根伝いを行く左の道をとると、すぐ先で終点となり、同時に私たちの体力も尽きてしまった。
とにかく暑いのなんの、熱中症を疑いたくなるような疲労感に、明日は朝から降っていたら下山しよう、なんて弱気の会話も飛び出す始末。結局、この車道歩きでひとり1リットルの水が汗とともに消えた。翌日は雨の予報が出ていたが、この日、静岡の最高気温は36.3度に達していた。

風の音で目が覚める。夜半にひと雨来たが、今はあがっているので、とりあえず1828メートル峰まで行ってみよう、ということになる。6時過ぎ、作業道が途絶えたすぐわきの樹林の中に踏み跡がつづいていて、カサコソと落ち葉を踏みながらゆるやかな尾根の背を登っていく。

林床には笹藪もなく、ストックを突いて好き勝手に歩く。尾根の背が広いと踏み跡は拡散するが、狭まると収斂する。こんなパターンを繰り返し、1828メートル峰下の急登にさしかかるあたりで雨粒が落ちはじめた。とはいえ、昨日の暑さを思えば、まだましというもの。急斜面にストックの突き押しが小気味よく、倒木の乗り越しも両ストックに支えられて体勢を崩さずスムーズに登っていける。

やがて周囲はシラビソの純林に変わり、登山靴で歩くのが惜しいような苔むした林床を踏んで、1828メートル峰の広い頂上に着いた。雨は本降りとなり、断続的に雨脚も強まった。樹林に覆われて空は窺えないが、雨雲が行き交っているのだろう。コースは、全行程にわたってほとんど樹林の中ということが分かっている。そうひどいことにはなるまいと楽観的に考え、登り続けることにする。

小規模な船窪がいくつか現れ、それを伝うように尾根上をたどると、急な短い下りとなり、小ギャップに下り立つ。樹林に覆われてはいるが、左右は切れ落ちているから気が抜けない。小ギャップからぐんと登り返すと尾根が広がり、なだらかな頂稜を南にたどれば、2125メートルの頭である。この下りが大ギャップのはずだが、ガスに包まれて先の見えないまま、左へ下る踏み跡に誘い込まれた。

すぐ、斜面と向き合うようなものすごい急下降がはじまる。だんだん踏み跡が怪しくなってきた頃、右のガスの晴れ間に白い大崩壊が現れ、ランカン尾根の稜線がのぞいている。降りしきる雨と雷鳴が焦りを誘った。下りにかかる前に地図で確認していれば、こんなことにはならなかったのだ。気を取り直し、倒木が折り重なって崩れ落ちそうな急斜面を登り返す。斜面の上端までいくと、大崩壊の右側に沿って踏み跡があり、急な下りでようやく狭い大ギャップの底に着く。

束の間のピンチが去ると、再び深いシラビソ林の尾根となる。小さな頭をいくつか越えていけば、いつか雷鳴は遠のき、低木が密集した小笊の頭を越える。さすがにストックのような長物は、シャクナゲやドウダンに絡まって扱いづらい。とはいえ、ブッシュ帯は長くは続かず、午後1時半、霧雨に煙る誰もいない笊ヶ岳の頂上にたどり着く。

ほとんど眺めのないランカン尾根のコース展開は、昔の東映のヤクザ映画の筋立てに似て、長い忍従辛苦で蓄えられたマグマを最後に一挙放出、完全燃焼で大団円を迎える、というパターンのはずだった。想定内とはいえ、肝心の大団円ならぬ大展望もなしとあっては、不完全燃焼このうえなし、ひと息ついたらさっさと下山するほかない。そして、この山行の本当の厳しさと直面する羽目になるのである。

布引山経由の下山コースは、整備された道であり、青枯、青笹、青薙とブルートリオを縦走した時のように、さっさと駆け下るはずだった。しかし、日没まであと約3時間半。それまでに、奥沢谷の徒渉地点まで下っていなければならない。となると、あまり時間に余裕はないのである。   

布引崩の縁を通過すると、いよいよ奥沢谷への急な下りがはじまる。雨に濡れた道はよく滑り、注意しているにもかかわらず、私はたびたび木の根を踏んで足をとられた。相変わらずの平衡感覚の悪さは仕方がないとしても、何かがおかしい。そして、やがて思い当たった。

濡れた道をうまく下っていけないのは、足先に荷重が乗っていないからである。足元が滑りやすくなれば、登山靴も軟底の靴と同様、足捌きに誤魔化しはきかない。そんなことは百も承知のはずだった。が、足先への意識を阻んだのは、皮肉なことに両手のストックだった。おそらく、滑る心配のない下りなら、さらに言えば、ストックを手にしていなければ、こんなに尻餅をつくはずはなく、気づきもしないにちがいない。

よく言われるように、下りだからといってストックを長く調整してしまうと、ストックを突くときに、腰が引けて尻餅をつきやすくなる。だから、ストックの長さは登り時のままである。それでも、足元が滑りやすいと腰が引ける。そこで、強い前傾姿勢を意識し、ストックはできるだけ前方遠くに突く、斜めに下るときは谷側にも突く、といった意識を持つことが大切になる。

とはいっても、布引山からの下りは標高差2000メートルを超えている。今の私の脚では、とても足先荷重だけではつづかない。時々斜面に対して横を向き、カニ歩きで大腿筋前面への負担を軽くする。ブルートリオの山行から還暦を挟んでわずか5年の間に、私の大腿四頭筋の筋力は情けないほど低下していた。

雨で水かさを増した奥沢谷を、ヘッドランプの灯りで徒渉するのだけは避けたかった。我ながらもどかしくなるような身体の動きに、つのる焦りと膝の痛み。それでも、時間は矢のように過ぎていく。そして、日没を迎えた午後5時40分、股下くらいの流れになった奥沢谷を対岸に渡り切り、ようやく家路につく見通しが立った。

ストックは私の場合、山の下りでは両刃の剣だった。とくに悪コンディションの下では、予備知識もなしに手にすれば、スリップする危険すらある。他方、陥りやすい問題点を理解していれば、バランスの支えとして大変役にも立つ。前の稿でストックについて、もっばら身体を支える杖とすることを「年寄り専用」、と他人事のように書いたが、そのスフィンクス的現実が、わが身にも降りかかっていることを、笊ヶ岳の下山はいやというほど分からせてくれた。トホホ…。         
                               (2010・9・22〜23 )

                             
         背の低いシラビソ林に覆われたランカン尾根の上部

       

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