金峰山の休日 嗚呼「選択と集中」


ネコ2匹に足枷され、ここしばらく日帰り以上の山には行けなかったが、彼らの番をしてくれるという奇特なひとが現れて久しぶりに3日間の山旅を楽しんだ。私の山登りは40年以上になるが、これまで金峰山に登ったことはなかった。若い頃は山登りの趣味のちがいで登らず、また、百名山ブームが始まって後は、その喧騒ぶりを耳にするにつけ、関心は持ちつつも登る機会を失っていた山のひとつだ。

そんな山に誰がした、と問われれば、私だって原罪の一端を負っているのを認めざるをえない。商売上ないしは生活上やむをえぬ事情にせよ、百名山関連の出版物に手をそめ、盲目の追従者を心ならずも増やすことに加担してしまったのだから。

流行りものはすぐに廃れるのが世の習いのはずだったが、ブームは収まる気配もない。環境省を頂点とする公の利権までこれに便乗し、評論家が言うところの「選択と集中」が山の世界にも蔓延。車社会の発展がその背景にあるにせよ、深田さんが好きだった多くの山では最短コースに人が集中するという結果を招いた。もとより、大きさや高さといった属性は、山の魅力の根幹をなしているといってもよい。それらをないがしろにするような山の登り方を疑問にも思わない風潮が、ブームを境にすっかり幅をきかせてしまった。かくして山々はいつか昔日の威厳を失っていくのである。

      

朝方の雨は伊東を出てからどうやら上がり、身延線まわりで甲府に着いたころには、雲間から夏の日差しがもれていた。お昼過ぎに駅の南口を出たバスはやがて市街地を出外れ、左右から山足が迫る亀沢川の谷に入る。甲府から金桜神社へ向かう道は2本。1本はこのバスが通る西側の道で、他の1本は荒川の昇仙峡をまわる道である。バスで50分ほどの道のりを、若き日の深田さんは夜行列車で駅に着いたその足で歩いている。その健脚ぶりをたいしたものだと思う一方、おそらくは当時、それは歩くに足る道のりだったのだろうと羨ましくも思う。

金峰山の表参道は、荒川の右岸に足を伸ばすいくつもの支稜を縫うようにたどる、懐の深さがその持ち味である。ひとつの山頂に至る登路としては、黒平(くろべら)を登山口としても今どき珍しい長丁場だ。金桜神社は山頂の五丈石を奥宮とする金峰山信仰の里宮。現在の社殿は昭和期の大火により消失後再建されたもので、重厚というよりは朱塗りの瀟洒なたたずまいに見えた。

ここから猫坂の峠を越え、表参道最奥の集落黒平へ至る道が近年まで通じていた。その後、峠の東側に御岳林道が開かれると猫坂は廃れ、直接荒川をさかのぼる野猿谷林道が工事中で通れない今、御岳林道が黒平へいたる唯一の道となった。神社を出たのは午後1時半。黒平までは11キロあまり。半日しか動けないとあっては、せめて黒平までちょっと気合を入れていくか、といつものようにすたすた歩き始めた。

    黒富士(右)と鬼頬山の稜線
車道の最高地点まで250メートルの標高差。道はゆるやかで知らぬうちにピッチが上がった。御岳の集落から東の山腹を通っていた道は、やがて尾根を乗り越えて西側へ移る。カラマツ林の切れ目に太刀岡山から鬼頬(おにがわ)山へかけての恐竜の背を思わせるプロフィール、そして雲間に塔のように聳える黒富士の雄姿がひときわ目を引く。今日のように時間さえ許せば、こんなアプローチは歩くのに限るとつくづく思う。


                                上黒平のたたずまい

道が下りに転じると燕岩岩脈が正面に現れる。蜂の巣状節理を見せるその断層面の直下を回りこんで寒沢を渡り、下黒平へとゆるく登り返す。すぐ上の山の鼻を回り込むと上黒平。ひらけた南斜面に畑が広がり民家が散在している。山間に営々と受け継がれてきた人々の暮らし…。それを思うと、なぜか初めての土地だというのに、懐かしさに目頭が熱くなりそうだ。よくは分からないが、私はこんな風景に弱いのである。

集落の外れにお社があり、荒川林道を右に分ける。適当な泊まり場を探しながら精進川沿いに行くと、うまい具合に伝丈沢が出合う手前に小さなキャンプ場があった。炊事用のあずまやが建っていて、4時40分、少し早いがその軒先を借りることにした。金桜神社を出て3時間少々の道のりだった。

夜半にざっとひと雨きたが、朝はさわやかに明けた。今日は富士見平まで下ればよく、急ぐつもりもないが、手持ち無沙汰で5時半に出発。キャンプ場の手前に金峰山への登山道を示す道標があった。車道を伝丈橋まで行かず直接上の林道へ出る、地形図に記された道である。すぐ笹かぶりになったが、古い道でよく踏まれている。強引に林道へ上がると、その先は法面に断たれて取り付く島もない。地形図にはこの破線のほかに林道途中から実線車道が記されているが、入り口から藪に覆われて歩ける代物ではない。これから先、行程前半の造林記念碑まで地形図の破線は寸断されていて、ロッジの長沢洋さんの情報と私が係わったガイドブック(北村武彦さん執筆)が頼りである。

そのまま林道を40分ほど進んだ辺りに小さな道標があり、暗い植林の中に細い道が登っている。これに入ると、あっけなく防火帯が伐られた尾根の背に乗った。季節は6月も初め、藪も伸びておらず、ワラビがあちこちに出ていてどこでも歩ける。常緑樹の多い伊豆の山では、森の景観はとうに真夏だが、さすがにまだ緑は鮮やかで目が洗われるようである。
    
   林道からの取り付きを示す道標

                          造林記念碑(左)から林道を横切って
                             向こう側の切り明けへ

防火帯を上り詰めると左から古い道形が現れ、しばらくは1670メートルのコンターに沿ってゆるやかに上下する。シカやサルの鳴き交わす声がこだます、天国のようなプロムナードは、ふたたび明るい防火帯となり、水路が現れて草に覆われた林道に出た。ここに造林記念碑が建ち、すぐ下手に作業小屋があるがひと気はない。周辺の笹は先端をシカに食われて、みな同じ高さに刈り込まれている。

地形図の破線はここからはじまっている。明瞭な道をたどれば、いつかツガやシラベが生い茂る重厚な林相に変わり、唐松嶺の尾根を左へ回り込む。神子ノ沢から右の小沢に入って、赤テープを目印に滑滝を右の踏み跡から越えれば、ゆるやかな登りで水晶峠。足元には石英の破片が散らばっている。

峠から黒木の山腹をからむように水流のない御室川の河原に出る。この河原伝いにたどると、峰越林道からの道と合わさり、まもなく左岸の樹林に入る。御室小屋は扉のない廃屋だが中は片付けられており、雨露をしのぐには充分だろう。時刻は8時30分。

御室小屋



峰越林道からの登山者が多いとみえ、道は一段とよくなった。これで山登りはもう終わったような気になってしまうのが近頃の私の弱点で、いったん気が抜けてしまうと、なかなか元には戻らない。とはいえ御室小屋から山頂へは標高差660メートル。一気に詰め上げる豪快な登りを楽しみにしてきたが、情けないことに身体がぜんぜんゆうことを利かないのである。


                五丈石が頭上に見えて焦りを誘う

傾いた一枚岩を登る鎖場や次々と現れる梯子にペースを狂わされ、高所にでも来たような倦怠感に襲われる。森林限界を抜けてから立ち休みの回数も増え、頭上で手招きしている五丈石が無用の焦りを誘った。疲労困憊の体で10時20分、山頂の一角にたどり着いた。

初めて昨夕以来の数組の登山者に出会い、私もとりあえずザックを下ろした。それにしてもなにやらざわついているな、と思って最高地点の方へ様子を見に行きかけた途端、信じられない光景に目が点になった。山頂の広場を埋め尽くす人人人。これは深田さんの祟りか、はたまた高速千円の祟りか…、そもそも今日は休日、私のようなヒマ人が山にやって来るべき日ではなかったのである。

どこから登ろうとも同じ山頂にはちがいない。しかし、その落差はあまりに大きすぎた。展望を楽しむゆとりもなくなり、食事も喉を通らず、そそくさと山頂を後にする。とはいえ、稜線も人また人。逃れるように富士見平まで下りてくると、時刻はお昼をやっとまわったばかり。行き交う登山者も多く、ビールでも飲めるのならともかく、ここも長居するところではなかった。

明日は黒森をまわって信州峠を越えるだけだが、こんな時間から昼寝もないので、瑞牆山を越えて不動沢へまわることにする。案の定、下山の人たちで道は縁日のような賑わいである。とはいえ不動沢の下りは静かだろうという願いもむなしく、この道もツアーの大部隊が我が物顔で歩いていた。結局この日は終日行動となって、5時、みずがき林道の広場にザックをおろした。


 県境近くの小さな湿地にクリンソウの群落を見る

金峰山の表参道という極上の登山コースの後には、不満を言えば自分にも還ってくる思わぬエピローグが私を待っていた。因果応報、自業自得というべきか。せめて山旅最後の日は、バックパッカーとなって有終の美を飾ろうと賑わいの去った広場を6時に出発。小川山林道から林道松平線、さらに黒森線と静かな林道を歩きつなぎ、信州峠の東にある名もない小さな鞍部から県境を越える。かすかな踏み跡をたどって鮮やかな新緑の中を潜り抜けると、カラマツ林に信州の涼風が吹き渡っていた。            
                           (2009・6・6〜8)

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