雨畑のブルートリオ

伊豆半島の付け根伊東に移り住んで8ヶ月、五十肩が一向に快復しないまま、町裏に連なる標高500メートル前後の里山歩きを繰り返していたが、7月に入ると蒸し暑さに加えて刺し虫が飛び交うようになり、さすがに楽しめる山ではなくなった。

そんな折、伊東にやって来るまでは疎遠になっていた平塚の古い山仲間から、雨畑の山に誘われた。東京にいた頃とは勝手がちがい、中央沿線の山々にはすっかり縁が薄くなってしまった。その代わり、南アルプス南部の山が格別近くなったわけではないが、少なくとも奥秩父や八ヶ岳などとそれらの山々をここからは同等の距離感覚でとらえられる。

          

身延の奥、雨畑川流域の山々は、多重山稜が尾根上のいたるところにあり、知る人ぞ知るマニアックなヤブ山登りのエリアである。私と仲間はこの夏、その核心ともいえる大笹峠から青枯山、青笹山、青薙山のブルートリオを縦走、布引山を経て笊ケ岳を往復、奥沢谷を下山という欲張りな1泊2日の計画を試みた。

出発点の雨畑から大笹峠まで長い林道歩きが控えているのがコースの難点で、この部分を午前中に片付けるつもりで朝5時半、雨畑を発った。ところがなんという幸先のよさ、そしてまたなんという他力本願! 勢い込んで出発はしたものの、出だしの10キロくらいを歩いただけで車に拾われ、汗もかかないうちに大笹峠に着いてしまった。車を過度に活用する登山スタイルには常々嫌悪感すら覚える私だが、全長28.5キロ、標高差1400メートルもある林道歩きから解放されるとあっては、底の浅い他力否定論などたちどころに消し飛んでしまった。おかげで体力を温存して午前8時前、勇躍大笹峠を私たちはスタートした。

丈の低い笹と疎林の気持ちのよい尾根には予想外の刈り払いが入っていたが、束の間で道は笹の下に埋まった。小河内山を越えると尾根は背を広げはじめ、最初の難関水無峠山の登りとなる。ところどころに現れる標識を拾いながら、背丈を越える笹の斜面を押し分けていく。登るぶんにはコースを外す心配はまずないのだが、平坦な山頂部に出ると、尾根の走行に沿って船窪がつぎつぎに現れ、踏み跡が乱れてくる。

← 笹薮に埋まった登路。水無峠山付近


どれも地形図には表れない深さ5メートル前後の船窪ばかりだが、中に入ると見通しは利かず、人間を惑わすには充分だ。とくに、歩きやすい船窪の底を通っている踏み跡はクセもので、必ず途中で途絶えてしまう。閉じている船窪なら見当をつけて強引に笹ヤブを突破していけばよいが、沢の源頭部へひらけている船窪は注意していないとルートを大きく外してしまう。

私たちも最初は踏み跡が明瞭な船窪の底をたどっていたが、ときどきルートを外れてしまうので、楽に歩ける誘惑を振り切って低木のヤブが行く手をはばむ船窪の縁をつないでいった。歩く側の観察力と洞察力が試される、まさに自然がつくりだした迷路である。

見通しさえきけば楽しい山歩きだが....。青笹山手前の鞍部付近 →

三ノ沢山、青枯山、青笹山と山頂部はいずれも似たような地形で、急な雨畑側の斜面を意識したルートファインディングをすすめる案内書のアドバイスはまことに的確だった。とはいえ、注意はしていても、イタドリ山の下りでは少々てこずった。

ここはピークともいえないような尾根上の小さな起伏から、右の雨畑側へ大きな支稜が派生している。そして主稜線はこの支稜の左山腹に姿を消してしまうのである。念の入ったことに、支稜には踏み跡まであるから紛らわしい。正しいコースは左寄りだが尾根の体を成していないので、コンパスを頼りに斜面を強引に下っていくと、左右からかすかな踏み跡が収斂して標識が現れる。やがて左右が落ち込んだ尾根の背に乗り、丈の低い笹で覆われた小笹平に出ることができた。


                    イタドリ山を下ったオアシス、小笹平

小笹平は大井川に注ぐ東河内の源流にひらけたオアシスのような鞍部で、のんびりしていきたいところだが、時計はもう午後5時になろうとしている。このコースを1泊2日で踏破しようという計画がいかに図々しいものだったかよく分かった。もし大笹峠までの林道をすべて歩いていたら、今頃はまだ青枯山あたりの笹の中で喘いでいることだろう。気は急くが、折からの厳しい日差しと笹こぎに消耗し、青薙山への登りを明日に持ち越して、2137メートルの疎林に囲まれた小ピークでツエルトをかぶった。

天候に恵まれて久しぶりに味わうツエルトの一夜は快適だった。なにより薄い布切れ一枚だけの自然との一体感が心地よい。高曇りの空にはまだ薄日がもれている。天気がもってくれることを祈りながら午前5時半に出発。

足場の悪い青薙崩(あおなぎくずれ 多重山稜地帯では地名まで多重!)を渡り、青薙山と所ノ沢越を結ぶ稜線に出ると途端に踏み跡がはっきりしてきた。もうこの先はただ歩くだけだろうと甘くみていたが、このコースはやはりひと筋縄ではいかなかった。

会社勤めをしていた頃、若い同僚が青薙山と所ノ沢越の間でルートを見失い、霧の中で2日間右往左往した末に同じ道を引き返している。とはいえ、この稜線は白峰南嶺の看板コース、年間少なくない数の登山者が歩いているはずである。たいしたことはないだろうと私たちは高をくくっていた。それが稲又山の山頂を少し下ったあたりから、これまではっきりしていた踏み跡がだんだん怪しくなってきた。小規模な倒木帯がいくつか現れ、それをくぐったり、乗り越えたりしているうちにいつか踏み跡を見失ってしまった。

この辺りから所ノ沢越にかけては尾根が形を成しておらず、山腹といってもいいようなメリハリのない斜面を、樹齢の揃った若いダケカンバが覆っている。おそらく山火事か皆伐の名残にちがいないこのダケカンバ林の中にも大小の船窪が隠されている。

幸い樹間に布引山がのぞいているので進行方向を誤るおそれはない。密生する若木を分けながら歩きやすい所を進み、沢の源頭部をつくる小さな船窪の縁にはい上がると、倒壊した作業小屋のわきに出た。この辺りから再び尾根が形を整え、それとともに踏み跡もはっきりしてきて、ようやく所ノ沢越に出ることができた。

この鞍部が実質的な私たちのヤブ山登りの終点だった。布引山へは深い樹林の中にはっきりとした道が続いている。その気持ちのよい登りを終えて、さらに日本二百名山の遊歩道を笊ケ岳へ往復するのは、なんだかこの山行にそぐわないような気がした。面白さでもう満腹になってしまった私たちは、かくして奥沢谷への急な山道を駆け下りたのだった。

このコースはおそらく私たちとは逆の行程が正解なのだろう。てこずる場面は常に下りで、登りだったらなんの問題もないと思われるからだ。だからといってつまらない山登りだったわけではなく、実際はその反対だった。クライミングや沢登りと同様に、もてる能力を総動員する山登りは常に痛快である。それにしても白峰南嶺侮るべからず。
                 
                   (2005・7・15〜16)

           布引山直下、布引崩の源頭から見る青薙山(右奥)と青笹山(左奥)

       

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