慢心 穂高岳屏風岩



雨上がりの下部岩壁2ピッチ目を行く若き日のネコオヤジ、ビレイは荒木省一。平たく言えば「酔漢、濡れ岩と戯れる」の図だが、この後に問題の場面がやってくる。
                                (1975年5月下旬) 
 
       
父親がおもしろがって幼い私にお銚子に一杯飲ませたのが、そもそもの始まりだった。高校生になると仲間と誘い合わせ、ひと目を避けて山で酒盛りに興じた。以来、そんな私に薄々気づいていた寛大な親にも迷惑を掛けないよう、酒の上の行状にはつねに気をつけている。もちろん、酒酔い登山は楽ではないし、危険でもある。しかし、クライミングではセルフコントロールの可能な範囲の難しさなら、ほろ酔いも結構わるくない。ロープでビレイされているぶん安心感もある。もちろんそれは、ロープのもう一方の端にいる相手が寝ていなければの話なのだが、それだけでもない…。

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その気になれば毎週行ける谷川とはちがって、私にとって穂高はよそ行きの山。いつも新橋あたりで懐具合を気にしながら飲んでいる人間が、銀座へ繰り出すようなものである。目にする木々、空の色、河原の石までが品性に満ち輝いて見える。あと一週間もするとニリンソウの白い花で林床が埋まる森を抜け、横尾谷の河原に立てば左手に屏風の大岩壁が姿を現す。すぐ先の岩小屋(当時は充分使える状態だった)から雪解けのせせらぎを対岸へ渡れば、岩壁の基部へ通じる一ルンゼ押出しは目の前。徒渉に備えて気もそぞろに靴を脱いでいるとパラパラと雨粒が。まさに浮かれ気分に水である。
 
岩小屋で雨が上がるのを、天井のボルトにぶら下がったりして待っていたが、一向に止む気配はない。いつか昼になり、弁当を出して仲間のひとりがワインボトルの栓を抜いた。総勢4人、各自が1本、ビバーグの楽しみに用意していた計4本はたちまち空いてしまう。本日はこれまで、後で横尾へ買い足しに、などと諦めかけていた矢先、雨雲のカーテンが開いて再び花崗岩の白い岩肌が姿を現した。
 
いったん緩みかけた気持ちをリセットし、私たちは腰を上げた。ワインボトル各自1本程度のことで貴重な半日を棒に振るわけにはいかない。ビバーグ可能な横断バンドへ上がるには時間も充分。濡れた岩がすぐに乾くわけはないが、下部岩壁はボルトラダーが主体だ。多少の悪コンディションでもなんとかなる。徒渉は痛いほど冷たかったが足首程度で、酔いを覚ますほどではない。残雪を伝い夏より楽に壁の下に着く頃には、青空がのぞいて日が差し始めた。

下部岩壁は3度目だからなんの躊躇もない。酔い覚ましにはちょうどよい4ピッチの快適なスラブを終えると、浅いカール状地形が現れる。雪解けの時季には、上からの落石が集中するところで長居は無用。後続を迎えたらさっさと立ち去ろう、など考えながらビレイポイントを探す。ところが、あるはずのものがない。やむなくピトンを打とうと腰のハンマーホルスターに触れたとき、初めてハンマーがないことに気がついた。当時からハンマーレス(ハンマーを携行しない)は普通に行われていたが、それはゲレンデやショートルートに限られた。今回は屏風でも難ルートのひとつ東壁ルンゼを予定しているから、ハンマーは必携のはずだった。

とりあえず、岩棚に転がっているこぶし大の石でピトンをたたき込む。ゴボゴボという鈍い打撃音は相当怪しいが、腰を下ろせるのならまあいいか。後続のロープを手繰り寄せる間にも、ビュンビュンと小石が降ってくるので油断ならない。後続のAはしびれを切らしていたのだろう、合図と同時にぐんぐん登ってくる。岩棚に腰を落ち着けたわずかな一瞬、睡魔が襲った…。

意識がふっと遠のきかけた、まさにその時、ものすごい衝撃が下半身に掛かり、手の中のロープがズルズルと走り出す。ルート上のボルトの何本かはリングが欠損していて、怪しげな靴紐のようなスリングにすげ替えられていたから、そのどれかが切れたのだろう。後続の墜落時のショックは比較的軽微なはずが、ルートが左上しているぶん、左に大きく振られて遠心力が働き衝撃が大きくなった。急峻なスラブに放り出されたAは、アブミを失ったものの手持ちのスリングでやりくりし、幸いなことにケガもなく元気に岩棚にやってきた。

私はといえば岩棚からずり落ち、振り返るとピンと張り詰めたビレイループの先に先刻石で打ち付けたピトンが1本、辛うじて私の身体を支えていた。酔いも眠気も一度に失せて、寒けがそれにとって代わった。酒は、飲んだ後が怖い。

 

屏風岩東稜の2ピッチ目をフォローする海藤嘉一。初見のルートにも関わらず図々しさが過ぎた。岩に取りついてから二人でテラスに揃うたびに飲み、終了点でワインボトル1本が空く。登り終わるとしばらくして足が重くなり、最後は這って進んだ。飲んだ後に真の課題が待ち受けている。                       (1974年5月下旬)





 横断バンド大テラスの
居酒屋「屏風」で青春の宴
  (1975年10月上旬)

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