冬のルンゼ 谷川岳一ノ倉沢二ノ沢右俣
 
 
       
1970年代は、海外へ行くクライマーが目立って増加した時期だった。彼の地の山に登り、私も含めて改めて氷雪のコンディションの見極めや機動的な登山スタイルの重要性に気づかされた人が多い。アルプスの氷雪ルートでは所要時間を守らないと危ない目に遭う。それは国内の冬のルンゼ登攀にも当てはまった。客観的なリスクが大きな環境では、早く登ってしまうことが何より安全であり、その軽快な行動スタイルこそが氷雪ルートを登る醍醐味だった。プレス加工されたアイゼンやネジ込み式ピトンとダブルアックス技術。時を同じくして機動的な登山スタイルに適した用具や技術がもたらされた。意識が変われば、山を見る目もおのずと変わる。これまで見向きもされなかった冬のルンゼが、新しい波の中で注目されるようになった。

冬のルンゼは、これまでの一ノ倉の冬の登攀、例えば衝立や中央稜、烏帽子奥壁などとはまったく異なる世界だった。なにより登っている最中のドキドキ感、登り切った時の開放感は他のそれでは体験できない強烈なものだった。それまでの登山の通念では忌避されるようなエリアを挑戦対象にするわけで、思い返せば、それは当時の若者世代が共有していた権威や既成概念に対する反発の自分なりの表出だったのだろう。

二ノ沢では本谷と左俣は登っていたが、登り切ったところが沖ノ耳という魅力的な右俣には二の足を踏んでいた。禁断の味には毒がある。東尾根の一ノ倉側は北面にあたり、雪は比較的安定しているにもかかわらず晴天の左俣で雪崩に襲われた。まして右俣の開けた最上部は真東を向いており、クライマーには大きな脅威だった。

本谷と左俣を登った翌年のシーズン初めは、幽ノ沢左俣滝沢からスタートした。当時は、このルートをさすがに日中に登る発想はなく、急峻な大滝の氷柱をラストが登り切ったところで夜が明けた。不確実性とアイスクライミングの困難度でそれは前年を上回る体験だった。そこでようやく一年越しの懸案に答えを出す決心がついた。

さいわいコンディションに恵まれて雪はほどよくしまっていた。右俣は浅いルンゼからやがて大きく開けて岩と氷雪のミックス壁に突き当たる。思いのほか早く沖ノ耳に日が差し始めたが、はやる気持ちを落ち着けて滝沢リッジ最上部にのびる肋稜を目指した。ルートの真上には今にも崩落しそうなブロックがせり出し、日の出とともに小さな氷塊が飛んでくる。神経をすり減らすここからの3ピッチが右俣のヤマ場だった。この日も、終了点には明るい日差しがあふれていたが、もう二度と冬のルンゼを試みる気は起こらなかった。


          ルンゼのつめから急峻なミックス壁が立ち上がる


             ベルグラの壁にフットホールドを刻む荒木

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