野性の日高 千呂露川二岐沢


この夏は久しぶりに日高山脈へ行ってきた。北海道の山は、なんといっても手つかずの自然の豊かさと野性味が魅力だが、とりわけ日高はそれが際立っている山域である。

カミサンとふたりで伏美岳を振り出しに、ピパイロ、1967、戸蔦別、幌尻と縦走。7月も終わりというのに、まだ梅雨の明けない本州とは違い、連日の晴天。百名山の幌尻岳以外は出会う登山者も少なく、素晴らしい展望に恵まれた。気がかりだった縦走路も歩きやすく、そのうえ予想外に花の多いコースで、とても充実した3日間だった。

現金なもので、あまりうまくことが運びすぎると、なんだか物足りない気分にさせられる。そして、確かに何かが足りなかった。それは日高の野性味を象徴するヒグマである。彼らの気配が、すっかりなりを潜めていたのである。伏美岳の登山口付近と七つ沼カールの干上がった沼底に、また縦走路の掘り返しにヒグマの痕跡をわずかに認めることはできたが、今回、彼らの気配を察したのは、その時だけだった。

北海道の山では、とくにパーティーが少人数の場合、ヒグマの気配を感じつつ歩くのと、感じないまま歩くのとでは、山登りの次元がまったくちがうような気がする。ヒグマのいる山の自然は、もちろん人に挑みかかるような自然ではないが、あっけらかんとした自然ではない。そこには、本州の山では感じ取れないはっきりとした一日の輪郭を肌で感じるのだ。そんなことを想うにつけ、今も鮮やかにあの夏の日高の山旅がよみがえる。  
   
     

黒々とした大きなヒグマの糞。それを初めて見たのは、札内川八ノ沢を登った時だった。カールバントを登りつめた稜線の縦走路をふさぐように鎮座するその大きな糞は、あたかも自分の領地に踏み込んできた闖入者を威嚇するかのようだった。私とカミサン、そして寺田政晴さんの3人は、入山2日目のその日、カムイエクウチカウシ山を越えて、九ノ沢カールにキャンプしたが、私たちは道中のいたるところで糞や掘り返しを目にしていた。そんなこともあって小心を笑われそうだが、夜、小用に立つ時も鈴をつけた。そして用を足しながら、カール底に転がる月光に照らされたモレーンのひとつひとつが、いまにも動くのではないかと目を凝らしたものだった。
   
  出くわした特大の糞。人の4.5日分はあり

3日目の行程は、まさに彼らの縄張りとオーバーラップしていた。私たちは約1時間歩くごとに糞を目にした。その糞は、昨日見た乾燥したものとはちがって新しかった。私の頭髪のように白いものが混じった黒色だが、鮮度?が新しくなるにしたがってコゲ茶色に変わる。同じコースを彼も縦走してるんじゃないの、とつい冗談が出るが、この冗談はブラック過ぎて笑えない。実際、歩きながら糞が次々に新しくなる様子を観察できるのはおもしろいが、このまま行けば、いつか「当人」とハチ合わせするかもしれないのだ。 

そしてとうとう、その日の行程半ばにあたるナメワッカ分岐付近で、排泄直後の人間様の色とたいして変わらない、湯気の立ちそうな糞に出くわした。あたりにただよう濃厚な獣臭…。緊張がいっぺんに高まった。

間のわるいことに、これまでは見通しが利く草地と露岩の快適な稜線だったのに、ここからはハイマツのブッシュ帯に変わる。おまけに霧雨である。日高の山に詳しい梅沢俊さんは、ハイマツのなかにヒグマはいないと言っていた。しかし、ガスとブッシュで視界が閉ざされていては、梅沢さんの言説も気休めにしかならない。突然、目の前に現れたらどうしよう。

意を決し、寺田さんが先頭でハイマツのなかに突入する。足許には明瞭な踏み跡があるのだが、膝の高さから上はハイマツが覆いかぶさり、手足のほかに全身を使わないと前へは進めない。果てしなくつづくブッシュ漕ぎにもがき喘ぐうち、いつかヒグマのことは忘れていた。

4日目は、エサオマンの北カールから新冠川の支流を下り、新冠二股でキャンプした。足場のよくない小さなゴルジュ伝いの行程だったこともあり、この日、ヒグマの痕跡はぷっつりと途絶えた。近くには10人ほどの大パーティーがキャンプしていたおかげで、久しぶりに緊張が解けて寛いだ一夜だった。

5日目は、黒部の奥ノ廊下を彷彿させる新冠川の美しい本流を登った。つめは天国的な風景がひろがる七つ沼カール。その沼底に、このカールの主であろうかヒグマの足跡が縦横についている。それでも、3日目のような緊張感はもう薄れていた。私は、ヒグマのいる環境に自分がすっかり慣れてしまったような気でいた。


            新冠川の美しい本流を行く。先頭を行くのは寺田政晴。

そして6日目、縦走を切り上げて千呂露川へ下る日がやってきた。幌尻岳からの下山は、額平川コースが普通だが、日程が長いのでスケジュール変更もありうるから、無責任な車の予約はできない。とはいえ、下山後に林道を歩くとしたら国道まで40キロ、まる1日がかりである。一方、千呂露川の林道は20キロそこそこで、これなら半日でなんとかなると思った。

下り口にあたる北戸蔦別岳の稜線は、以前からヒグマの出没情報が多かったが、古い掘り返しをいくつか見ただけでヒグマの気配はほとんどなかった。彼らは季節によって活動の場を変えるというのが定説のようで、夏は稜線付近でセリ科の植物ハクサンボウフウの根をあさり、秋は低地へ下りて木の実を食べるという。その説にしたがえば、谷に下るととりあえず彼らには出遭わずにすむはずだった。

ヌカビラ岳から下りたった二ノ沢は、出水の直後なのか踏み跡も定かでなく、ほとんど沢歩きのようだったが、二岐沢に合流したところで荒れた林道跡に出ることができた。もうヒグマとはち合わせする心配もなくなった、とほっとした矢先のことだった。

こぶしを握って小指の側を土に押し付けると、小さな足型のようなものができる。これに足指の部分を付け加えてやれば、かわいい仔熊の足型だ。泥流がひいて固まりかけた土の上に、そんな足跡を見つけた。あまり明瞭なので、いったい誰がいたずらをしたんだろう、などとも思うが、もちろん悪戯などではない。そして、少し離れて大きな親熊の足跡が、荒れた林道の上に踏み乱れている。爪の跡までくっきり残っているところをみると、ついさっきまで彼らがここにいたことは明白だ。

親熊の真新しい足跡(右と左の写真)。爪の跡まではっきりとわかり、戦慄が走った。







地下足袋は北海道の山では
定番の私の足ごしらえ。

二岐沢に沿った廃林道の両側は、胸丈ほどのネマガリダケのブッシュにおおわれている。もしも親と仔が、道の左右に分かれて行動していたらと思うと、緊張が稲妻のように3人の間を駆け抜けた。私たちは、しまいかけていた鈴をザックから取り出し、大声を出しながら歩いた。これが本当のカラ元気というのだろう。

さいわい、不安な道は長くはつづかず、ひらけた取水ダムに出てひと息つくことができた。しかし、もうヒグマに出遭うことはないだろうという楽観はどこかへ消し飛んでいた。山はすべて彼らの領地で、そのなかに入れば、彼らはどこにでもいるのだ。

それから私たちは、追っ手から逃れる敗残兵よろしく、背後に得体の知れない気配を感じつつ夜更けまで千呂露川の林道を歩きつづけた。日高の野性味が凝縮されたようなこの山旅は、最後まで強烈な印象を刻みつけ、いつか私はすっかり北の山のとりこになっていた。(2003.8.12)

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