伊東庵氏のこと      長沢洋


伊東庵氏との初対面は2000年の晩秋だった。その7月にロッジ山旅は妻ひとりでとりあえず細々と営業を始めたばかりで、私は前の勤め先でまだ仕事をしていた。その年いっぱいで退職するまで、たまに帰ってきては助っ人をするといった日々が続いていた。

そんなとき、先年亡くなった寺田政晴さんがお客さんを連れて来てくれるというので、仕事を終えてから高速道路をとばして帰ってきたことがある。そのお客さんというのが伊東庵氏だった。それ以後、伊東庵氏はロッジ山旅のご常連となって、杯を酌み交わした夜は数えきれない。

山と溪谷社にお勤めだった伊東庵氏は、当時ガイドブックを担当していた。はっきりと聞いたわけではないが、その暮れに『東京周辺の山350』というガイドブックの一部を私が担当することになったのは、そのときお会いしたことがきっかけとなったと私は思っている。これが私の頼まれて(金をもらって)物を書いた最初であった。

その後『山と溪谷』誌の編集部に移動した伊東庵氏から何度も仕事を仰せつかった。山と溪谷社を退社後は、フリーの編集者として、日本経済新聞の「ふるさとの百名山」という連載記事に私を数多く起用してくれたのも伊東庵氏であった。

伊東庵というペンネームは、退社後に伊東に移住したことに由来する。ランニングを好む伊東庵氏は都内在住のころは都内を、今は伊東の海岸や裏山を走っている。その成果は私なんぞには想像もできないような登山を実現させることになるが、では登山のためのランニングかというとそういうわけでもなく、ランニングそのもの、つまり肉体の酷使が伊東庵氏の趣味ではないかと疑われるフシもある。ランニングで身体を酷使し、それで得た体力を使って山でまた身体を酷使するのだ。
     男山にて 2003年秋
3年前、ロッジの屋根裏で野良猫が子猫を2匹生んだ。1匹はそのまま私に飼われ、もう1匹は伊東庵氏へ養子に行った。これで私と伊東庵氏はついに親戚になった。伊東庵氏が前から飼っていたネコにこのネコが加わって、伊東庵氏はさらにネコオヤジとなった。文字どおりネコをネコ可愛がりする。ネコまみれで山登りもままならない。

そんなネコの世話の合間に書いた文章を私のサイトに載せてもらえることになった。これも親戚づきあいの一環で、私はネコの縁に感謝しなければならない。ここでは編集者と執筆者の立場が逆転したのである。

伊東庵氏は物静かな紳士である。しかしその内に秘めたる闘志の激しさはこれらの文章を読んでいただければわかると思う。登山家はサディズムとマゾヒズムのせめぎあいに支配されていると常々私は思っている。その互いが激しいまま表裏一体となるとき、俄然成果を現す。そのひとつの例を伊東庵氏の文章に興味深く見るのである。

伊東庵
自己紹介

 1947年生まれ 獅子座 高知県に出生 山岳出版物の元編集者。もっぱら体力任せの山登りにうつつをぬかしていたが、よる年波には勝てず今は伊豆の伊東でネコ2匹とともに侘び住まい。  


伊東庵氏の稿は、登山家で『空へー エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか
』(ジョン・クラカワー、文藝春秋社)、『K2 嵐の夏』(クルト・ディームベルガー、山と溪谷社)などの翻訳者としても知られる海津正彦氏が主宰するたおり同人が毎月刊行している小冊子『たおり』に載った文章の一部に写真を加えたものである。

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