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笠無から比志の塒にかけての稜線はテーブルマウンテンと言ってもいいほど平坦さで、これを一つ一つの名前に分けるのは無意味に感じる。比志の塒もたまたま三角点のある場所を頂上としているが、その手前の方が若干高い。必ずしも山の名前は頂上を指すわけではなく、全体を指していることが多い。どこにでもころがっているような山の頂上にいちいち名前を付け出したのは近代登山が始まってからのことだと思う。ともあれ、この平坦な稜線には藪もなく道標もなく、実にのんびりと歩くことができる。ゆっくり酒を飲んだり、昼寝をしたりしたいような場所がそこら中にある。

                        比志の塒(とや)

山に憧れて山梨の大学へ進学したものの、いつしか全く山登りなどしなくなって8年、そんな僕を再び山に登らせるきっかけとなったのが、山村正光さんの『車窓の山旅・中央線から見える山』(実業之日本社)だった。目からうろこが落ちる思いで、一晩かかって一気に読んだ。初めて名を聞く山ばかりが出てくるというのに、よく読めたものだと思うが、すぐれた文章にはそんな力がある。それまでかえりみることもなかった地元甲斐の山々へと、15年後の今に至る巡礼の始まりであった。

同じ出版社の、横山厚夫さんらによる、いわゆる『山旅』シリーズがそれから僕の山の指南役となった。そして、後にそのシリーズに加わった『甲斐の山旅・甲州百山』で、山村さんが奥方の故郷須玉町比志の裏山という理由で選んだ山が今回紹介する「比志の塒」である。

釜無川の支流塩川が須玉町大豆田でそのまた支流の須玉川を分ける。

東西をこの二つの川に挟まれた山域を通称津金の山と呼ぶ。クリスタルラインと今風に名を変えた高須林道の乗越す樫山峠を北の起点として、南は斑山の尾根が平らになるまでをおおむねその範囲、と僕は勝手に解釈しているが、あたらずとも遠からじだろう。

一応名のついた山は、北から笠無、比志の塒、雨竜山、斑山とあり、およそガイドブックとは無縁の山域である。もっとも、山は大きくないし、取り付きの標高がそもそも高いのだから、体力的にはどうということもなく、これらの登山はむしろ地形図を読む知的遊戯に属する。だが、地形図だけが頼りの山をある程度は自由に歩きまわれるようになるのにはそれ相応の場数を踏まねばならない。

僕が比志の塒の名を知って、実際に登ったのはその5年後だった。南側の、車道が乗越している大尾根越路(おおおねこうじ)から登ったのだが、地形図には現れない変化に富んだ登路で、地形図の限界も知ったのだった。

好ましい自然林がふんだんにあり、日本の名だたる山々を間近に見ることのできるというのに、まるで人けがなく、もちろん道標は皆無、赤布の類も異例に少ないこの山域がすっかり気に入ってしまった僕は、理由はそれだけではないにしろ、この地方も同時に気に入って、住居まで移してしまった。晴れて津金の山が地元の山になったわけだ。まだ歩いていなかった、樫山峠から比志の塒に至る尾根を歩いて朱線をつなげたい、と思いついたらすぐ出かけられるのは地元ならではのこと。それが去年の12月だった。

高根町と須玉町の境をなす樫山峠までは車が舗装路を運んでくれる。すでに標高1300メートル。目指す比志の塒の三角点は1452メートルなのだから、ほとんど平行移動のようなものだが、なかなかどうして、いくつもの突起があって、軽い縦走気分である。膝まで達しようかという落葉が尾根を埋めて、そこには葉が落ちきってこのかた人が歩いた形跡は皆無だった。東には、木々の間にすでに頂稜に白粉を塗った金峰山が瑞牆山を従えて威風を放っている。それを見ながら、がさごそと落葉かきわけ僕と相棒の黒犬クリオが進む。

笠無の東にはふたつの小岩峰があって、南に主尾根を分ける西側の峰に灌木を手がかりによじ登るとすっきりと八ヶ岳が眺められた。ここまで来たのだからと笠無へちょっと寄り道する。海岸寺峠からの往復しかしていなかったので、ここにも朱線がつながることになった。

主尾根に戻って南下する。これまでに比べるといくぶん薮っぽくなるものの、それもわずかの間だった。やがて大きな岩を縫うように尾根をたどるようになる。ひとつの大岩の上には甲斐駒講の信者によると思われる明治年間の石碑があって、そこからは左右に奥秩父や南アルプスの素晴らしいパノラマが得られた。

岩尾根が終わると実に素敵なミズナラ林の広い尾根をゆるく上下するようになる。よほど注意していないと見過ごしてしまいそうな大尾根越路への主尾根の分岐を過ぎると、もうそこは比志の塒の長い頂上だった。南の端に三角点ががちょこんと突き出していて、それがなければ絶対に立ち止まらないところである。眼下に比志の集落が見える。今日はここが折り返し点。

それにしても、これほど山登りというよりは山歩きという表現が似合う尾根道も珍しい。車の恩恵といえばそれまでだが、およそ文明のお世話にならない遊山などないのである。

もっとも、便利には不便はつきもの、車へと往路を戻らねばならない。来た道だというのに二度道を誤りかけた。行きと帰りでは景色も違う。油断していると痛い目にあうのがこの手の山だが、その痛さもほどほどなのがいいところ。しかし、間違った道を戻るのは短い距離でも辛いものだなあ。

2001年12月中旬

2万5千分の1地形図=谷戸

参考タイム 樫山峠(50分)主尾根の分かれる岩峰(50分)比志の塒
笠無往復は30分プラス

アドバイス 主尾根の分かれる岩峰は南から巻いてから登った方が登りやすい。

静山度 ☆☆☆

推奨度 ★★

難易度 3

立ち寄り湯は、高根町営のたかねの湯と大泉村営の泉温泉センターがある。設備では前者、泉質では後者を推す。

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