ロゴをクリックでトップページへ戻る

            飛龍山(11月10日)

実際の距離はともかく、山梨県内の山で、時間的に僕の住んでいる場所から遠いのは、静岡県境の白峰南嶺と、東京都や埼玉県との境にある雲取山や飛龍山である。

前者は、標高差や登山道の状態のせいでほとんど日帰り不可能だが、後者は、三條の湯の手前まで延びている後山林道の終点まで車で入れば日帰り可能なことは知ってはいた。それでも、柳沢峠を越え、ほとんど東京都との境まで行って、さらに後山林道の悪路を奥まで行くのが億劫で、ようやく雲取山に登ったのは渓の生まれる前年の初冬だった。

その時にいっしょに飛龍山にも登ってしまうつもりだったのだが、三条ダルミからの急な登りをこなしてやっと辿り着いた雲取山の頂上から飛龍山を見て、こりゃ駄目だとあっさり改心して、またの機会にしようと、ヨモギ尾根を下ってしまった。このヨモギ尾根の途中、地図にはない、奥後山から西へ下る作業道があって、後山林道終点に出ることができた。後山林道を自家用車で入って来る人は日帰りで雲取山をただ往復することが多いだろうが、このコースを整備すれば、周遊コースとして利用価値が大きい。おっと、余計なお世話か。

この時は帰って来てから、皆に、東京へ遊びに行って来たと報告したものだ。


渓の誕生日に飛龍山を目指したものの、天気が悪そうなので小楢山に転進したことはすでに書いた。十月半ばであれば、東京都水源林の紅葉は、色付きの悪い年とはいえ、さぞや素晴らしいだろうという期待があったのである。

同じく柳沢峠を越えて行く山域でも、一ノ瀬から登る雁峠から将監峠にかけては、近いこともあって、ほとんど年に一度は出かけるほど僕の好きな場所である。ここも東京都水源林で、新緑や紅葉が素晴らしい。山梨県の中でも最も美しい林のひとつが東京都の管理下にあるとは悔しいではないか。しかし、大都会の生活を支えるためには膨大な美しい森が必要なことを思うと、何となく痛快でもある。全ての基本は水である。水を育み、貯える森をもっともっと大切にしなければならない。難しいことではない。林に分け入り、森を歩き、山に登ればいいのである。それだけで人の気持ちはそれらを大切に思うようになっていく。

十一月に入って、飛龍山は晴れたら登る山の第一候補であったが、最初の休みは身体の調子が悪く、遠い登山口まで行く気になれず、滑沢山で軽くお茶を濁してしまった。そして次の休日、前日の予報は好天を約束していた。よし、飛龍山だ。

最近、朝になっても登る山が決まっていないことが多い。これは、県内のまともな登山道がある山で日帰りのできる山は、ほぼ登り尽くしてしまったことに原因がある。渓の生まれる前には、木々の葉が落ちたシーズンともなれば、得体の知れない山を捜し出しては遊んだものだったけれども、様子のわからない藪山は、赤ん坊を背負ってとなると、こんな親でも少し躊躇してしまう。

今回のように前日から登る山が決まっていると寝覚めがいい。さっさと出かけられる。暗いうちに起きて、猫以外の家族を全部車に放り込んで、さあ山に登るぞと、いつものようにまず山から下る。変な家族である。

車を二台持っている。犬を連れていったり、悪路だったり、雪道がある場合には軽のワゴン車で行く。この八万円で買った軽ワゴン車を手に入れてさっそく出かけたのが雲取山だった。それまでは、後山林道を唯一の車だった大きな乗用車で乗り入れるが億劫だったのである。

もともとあったその乗用車は高速道路で遠征する時、楽をするために買った。排気量は軽ワゴン車のほとんど八倍ある。この両極端の車や、これまで乗りついできた車は僕を山へ運んでくれた重要な足だった。車がなければ山には登れなかったといってもいい。功罪はあろうが、公共交通手段が手薄な田舎に住む人間にとって、車がなければ気軽に登山などできないといっても過言ではない。山にからめた自動車論を展開するのもおもしろそうだ。

さて、柳沢峠の急坂は非力な古い軽自動車には辛い。何台もの車に追い越されながら登る。峠を越えても先は長い。よくもこんなところにという切り立った断崖を穿って車道は続く。絶壁を彩っているはずの木々の色付きは、今年はやはり悪いようだ。

ようやく後山林道に入って、ここからは軽ワゴン車の本領発揮である。短いホイールベースは悪路になるとすこぶる乗り心地が悪くなるものの、小回りがきくということはこんな道では何物にも代えがたい。後ろのチャイルドシートでは、物凄い揺れの中、渓は安眠している。頼もしい。

この林道も新緑の時季にでも歩けば楽しそうだが、そうなれば日帰りは無理だろう。それに車の入れる道を歩くのも何となく癪だ。どうせなら、後山川右岸の高みにあるという旧道を歩いてみたい。

林道終点の少し手前に車を止める。駐車場がほとんどないので、時期よっては相当な混雑となるのではないだろうか。林道通行の規制がない以上、しかるべき駐車スペースは確保すべきだとは思う。しかし、そのためには山を崩さなければならない。難しい。

朝食を終え、渓を背負って歩き出す。沢の左岸の高みに径は続く。実に素晴らしい林である。新緑の時季ならば身体中に生気がみなぎってくるだろう。

三條の湯までは人と出会うかもしれないのでクリオをつないで行く。名前どおり真っ黒の犬なので、熊と間違えられて、びっくりされても困る。

早く山の中を駆け回りたくてクリオはぐいぐいと引っ張る。三條の湯から少し飛龍山の登山道に入ったところで放した。あっという間に飛龍山方面へ消える。必ず高い方向に走っていくのは山が好きな証拠だろう。

今まで何頭かの犬を山で試したことがあるが、全く登らない犬もいた。山好きの犬がかわいいにきまっている。山好きの人に悪人はいない、なんていう幻想が以前流布していたことがあった。他人が言ってくれる分にはいいが、もし、自分のことを善人だという岳人がいたら、それだけで相当な悪人である。ま、人は人、少なくとも山好きの犬には悪い犬はいないのである。

猛スピードで先行したクリオのあとを、僕たちはゆっくりと登っていく。右下に聞いていた三条沢の水音がいつしか聞こえなくなると、中ノ尾根を乗り越えて、左下にカンバ谷を見下ろす径となる。やがてカンバ谷の源頭部の水場に着いて、渓をベビーキャリアから降ろし、一服した。

高度計で千六百メートル。地形図の破線より百五十メートル近く高い。この先、北天のタルで縦走路に出るまで、地形図の破線と実際の径は随分違う。

孫左衛門尾根を回り込むと初めて飛龍山が姿を現す。まだまだ高い。常緑の針葉樹が多くなって奥秩父らしくなってくる。もっとも僕のイメージでは、雲取山から雁峠にかけての東京都水源林の山々は、奥秩父でもないし、奥多摩でもないし、どうにも宙ぶらりんな位置づけとなっている。

北天のタルで主稜縦走路に合する頃には、ガスが湧いて、それが山の深さをいっそう感じさせたが、期待の展望が不安になる。

縦走路といっても、雲取山から雁峠にかけては、ひたすらピークを巻いてつけられていて、これを歩いても本来の縦走とはいえないだろう。水源林巡視路をそのまま登山道として使ったのだろうが、随分根性のない話ではないか。とはいえ、根性のないことでは人後におちない僕も、その径を辿る。造られたばかりの恐ろしく立派な桟道が次々と現れる。さすが大東京の予算がつぎ込まれているだけのことはある。山梨県で立てた道標などひとつもありはしない。

霧は後山川の谷にのみ湧いていたものだったらしい。飛龍権現のある場所で南の前飛龍に続く尾根を西に乗り越すと、突然明るくなって真っ青な空がのぞいた。木造トタン屋根の飛龍権現の祠は台風のせいかだれかの仕業か、台座からはずれてひっくりかえっていた。

展望がないと聞く飛龍山は後回しにして、大展望があるという禿岩へ向かう。飛龍権現からわずかで分岐があって、少し入ると岩場に出て展望がひらけた。なるほど、ここが禿岩か。

遠くかすむ長大な山の連なりは南アルプス。遠くとも白峰三山と甲斐駒の見慣れた山容はみまごうはずもない。奥秩父の盟主とされる金峰山はここからは見えない。ここでの王者はそれを隠している北奥千丈岳と国師ヶ岳である。奥秩父最高峰に恥じない膨大な山姿が見事である。乾徳山や黒金山すらもその支尾根の突起に過ぎない。国師から甲武信にかけての奥秩父主稜の上には八ヶ岳がわずかに顔をのぞかせている。そしてすぐ目の前の山々、笠取山から唐松尾山の黒木の森から出た何本もの尾根は、やがてことごとく落葉松の黄葉に彩られて南下する。それらの間を縫って流れる沢はすべて多摩川に集結して東京湾に注ぐのである。北には和名倉山が実に大きい。僕の懸案の山のひとつである。

一ノ瀬の民家がわずかに一軒見えているだけで、見渡すかぎり山また山である。この国は山の国だとあらためて思う。首都の外れの光景がこれだもの。

水源林事務所の人だろうか、三人が弁当を使っていた。突然現れた犬と赤ん坊にごはんを喉に詰まらせてしまったかもしれない。

僕たちも昼食とした。といってもただパンをかじるだけ。岩を見ると興奮する渓は早くもボルダリングにせいを出すので目が離せない。

三人が去ったあと、喜々として岩を攀じる赤ん坊の写真を何枚も撮った。困った赤ん坊である。親は恐がりで、岩登りは敬して遠ざけているというのに。

飛龍権現に戻って飛龍山への径に入る。最も高い地点を通り過ぎ、少し下ったところに三角点があって、山梨百名山の標示もその脇に立っていた。三角点が山頂にあるとは限らない。どうせ立てるのだったら本当の最高点にすればいいのに。ともあれ、せっかくなので記念写真を撮った。南側が開けているが、もう霧の立ち込めた側に入っていて何も見えなかった。

ほとんどの人が飛龍権現から往復するのだろう、北へ向かう主稜の径は突然藪っぽくなる。適当に藪を漕いで下っていくと、行きがけに歩いてきた径がすぐ下に見えたので、ひょいっと降り立つと、すぐ先がもう北天のタルだった。

誰にも会わぬまま三條の湯までぶらぶらと往路を下った。お隣の雲取山に較べてなんと静かなことだろう。山梨と東京の差だろうか。

禿岩ではしゃぎすぎた渓は疲れて、ずっと白川夜船である。三條の湯の手前で、朝同様、念のためクリオをつないだ。林道終点までには、そろそろ夕暮れだというのに何人もの登山者とすれ違った。前夜泊の優雅な人たちだろう。優雅とはほど遠い僕たちは、赤ん坊背負って犬連れて、駆け足でまたひとつ新しい山との邂逅を果たした。

丹波山村営の温泉で汗を流したあと、もう真っ暗になった青梅街道をわが軽ワゴン車はエンジン音も高らかにひたすら柳沢峠へと登る。峠を越えると遥か下に甲府盆地の灯りがまたたいている。今やもう街の灯りのみが恋しい。下りに下ってやっと辿り着いた塩山で満を持しての祝杯をあげた。

人心地ついて、すっかりいい気持ちにもなったが、また千三百メートルの山の上まで帰らなければならない。我ながら何ともご苦労様なことだ。でも、もう運転手は君だと、助手席で親父はじきに白川夜船となった。

山旅は赤ん坊背負ってに戻る   トップページに戻る