三猿の話

茅ヶ岳と金ヶ岳には気になる尾根や沢が多いから、暇があったら探りに行く。昨日はあまり天気は良くなかったが、山麓の、しかも沢をぶらぶらするだけなら展望がなくともかまわないだろうと出かけることにした。

目指したのは地形図を見るのが趣味の人ならちょっと気になる沢である。こんな地形のところならおそらく人跡はあるはずだと思っていたら案の定で、荒れ気味ではあるが車が入れそうな幅の道が終っても、その先に細々ながら径が続いていた。沢が狭まるといつのものとも知れぬ石垣が半ば崩れながらも径の下に残っていた。

やがてその径もなくなってしまったので、それを潮時と引き返すことにした。霧も出てきて独りで歩くには薄気味悪くなってきたせいもあった。晴れた日にでもまた再訪したいと思う。

その径沿いに誰が置いたのか古そうな石造物があった。稚拙な彫りながら三体の猿だとわかる。三猿となると「見猿、聞か猿、言わ猿」が通り相場だが、三体そろって手を合わせてお地蔵さまのように祈っているのは初めて見た。帰ってから調べたら埼玉秩父神社には「よく見てよく聞いてよく話そう」という「元気三猿」と呼ばれる三猿はいるそうな。しかし、ただ祈っている三猿はインターネットでざっと調べた限りでは見当たらない。

茅ヶ岳の三猿の裏側には、よくよく見るとそれぞれの背中に「事」「在」「行」らしき文字が左から彫られていた。

「事在行」と続けて読んでもなにやら意味ありげで、漢文として読み下せるのかもしれないが、ここは「猿」にかけて「事去る」「在り去る」「行き去る」と読ませるつもりだったのだと思う。「事去る」は物事が過ぎ去ること。「在り去る」はそのままの状態で経過すること。「行き去る」は書くまでもあるまい。

それにしても、おりしも前の年度が終わり、そして次が始まるときじゃないですか。奇妙に時節に似合う言葉ではあります。偶然とはいいながらなかなか面白いものを見ましたね。そこで私も「誰がこれを伝えザル」と三猿に加わる気分になって、掲示板でご報告することにしたのでした。

それぞれに身辺の変化もいろいろとあることでしょうが、今年度がこの掲示板をご覧の方々にとって良い年度になりますよう、この三猿とともにお祈り申し上げます。