本社ヶ丸(笹子・河口湖東部)

11月の木曜日が5回あることを忘れていて、最終週は未定にしてあったのだったが、リクエストを募ると本社ヶ丸ということになった。これは『山梨県の山』に載せている山なのでたまには出かけてみる必要があるのだが、すでに6年もご無沙汰のままだった。現在、このガイドブックは増刷のための修正作業中なので、その意味でも好都合であった。実際、リニア新幹線工事関連による車道の変更や、伐採による登山道の変更があって、ガイドブックの内容を変更しなければならないことがあった。もっとも、山道に入ってしまえば、樹林が伸びて展望がなくなっている場所があったくらいでさほどの変化がないのは、人為以外に山を変える要素はほとんどないことを示している。

清八峠への取り付きは沢沿いに続いていたはずが、ヒノキの植林地の中に付け替えられていた。まだ幼木なので今のところ展望はいいが、変電所から無数に派出された電線が多すぎる。いずれ暗い森となるだろう。

峠道ががぜん良くなるのは、もう峠が近づいて落葉松林を抜け、広葉樹の自然林に入ってからで、清八峠から本社ヶ丸にかけてはそれが圧巻となる。あいにく葉が落ちきっているが、新緑や黄葉の時季のすばらしさが想像された。

造り岩からの展望に歓声があがる。荷物をデポして本社ヶ丸を往復したのち、長い昼休みとした。下りはちょっとひねったコースとするつもりだったが、展望を見ていたらそんな気もなくなって、往路をそのまま下ることに決めて、ここで思いっ切りゆっくりすることにした。

風もなく暖かく、長く休むにはうってつけの日和であった。とおく槍穂高までが光っている。富士山の展望が抜群なのに、総勢5人のいずれもがそちらに背を向けて昼飯を食っている。富士山に慣れているせいなのかひねくれているのか、おそらく富士山に普段縁のない人なら、全員が富士山を見ながら飯を食うだろう。

造り岩からの展望は御坂山地随一であろう。それを堪能したのち峠を下った。

倉見山(河口湖東部・富士吉田)

去年の12月最初の木曜山行が倉見山だったが、雨のために中止、しかしせっかくなので河口湖までは出かけ、現地在住の渡邉玉枝さんの案内で蝙蝠穴などの溶岩洞穴を見学した。それを覚えていたので、今年こそはと思って再度計画に入れたのだったが、幸い好天に恵まれた。

今回も渡邉さんが同行してくださることになったが、お会いするのはそれ以来1年ぶりだということに驚く。1年が過ぎ去る早さもさることながら、とにかく今年の5月の快挙以来、渡邉さんの顔を新聞テレビ雑誌で何度となくお見かけしたから、1年ぶりだとはとても思えなかったわけである。

八ヶ岳南麓は初積雪で真っ白だったが富士五湖地方では雨だったらしく三ツ峠の頂上付近がうっすらと白くなっているだけだった。

数年前に西桂町で整備した厄神社からの登山道を登り、堂尾山経由で下ることにする。これなら町民グランドを基点に周遊でき、マイカーでは都合がいい。もともとこの道を歩いて倉見山に登ってみたいというのが眼目であった。

むろん登り降りのコースの選択は地形図を見て決めたわけだが、これが正解で、小気味良く高度を上げる登山道、ほとんど頂上に達してから初めて望む富士の大観、そしてほどよい傾斜で足元に気をつかうこともなく、富士を眺めながら降れる尾根道はおそらく仕事道の流用だろう。この尾根は植林されてまもないのでとにかく明るい。

堂尾山から起点へ戻る道は少々味気ないが、三ツ峠駅から登り、寿駅に下る気軽な山歩きのコースとして出色の出来と感じた。ヤマケイのガイドブックで私はこの山を担当しているが、それは東桂駅から登って向原峠経由で寿駅に戻るコースである。登りは東桂駅からと三ツ峠駅からの両コースは甲乙つけがたい良さがあるが、下山は堂尾山コースが格段にすばらしい。機会があればぜひとも書き換えたいものだ。

頂上のひとつ南のピークでのんびりと昼を過ごした。風が強い日だったが、不思議とここだけは吹かない。ここで遅ればせながら渡邉さんのエベレスト2度目の登頂のお祝いをした。63歳の登頂のときは雪の文台山でお祝いしたが、あれから10年か。他に誰ひとりいない倉見山で、今回も、もっとも地味なお祝いの会であったことだろう。世界一の山への登頂祝いを日本一の山を観ながらするのは期せずして気がきいているではないか。

丸山〜槍〜木賊の頭(八ヶ岳東部・谷戸・瑞牆山・御所平)

横尾山から飯盛山にかけての稜線は世にも展望のいい稜線だが、やはりその主役は、派手さから言って八ヶ岳ということになろう。つまり、それが見えないと楽しみも半減どころではないわけだが、冬型の気圧配置になると天気のいい甲州でも、あいにく信州境の八ヶ岳だけは日本海側の天候の影響を受け、すっぽりと雲に隠れてしまうことが多い。

この12月は例年になく寒く、連日甲府盆地側がすっきりと晴れてはいても八ヶ岳は雲に埋もれていることが多かった。昨日はわざわざ東京から鉄人M夫妻も参加することになっていたので、なんとか八ヶ岳が姿を現してくれないものだろうかと願っていたが、願いがかなったどころか、12月に入って、もっともいい天気となったのである。昨日まで雲に隠れていた八ヶ岳は滅多にないような白さで青空に並んだ。風が強くても閉口だがそれもほとんどない。

三沢からの林道が尽きるところまでは雪に踏跡があったのが、登山道に入ると途絶えた。林道だけを歩いた人があったらしい。あとは全行程ケモノの足跡以外に雪の上を歩いた形跡はなかった。

丸山を越えると展望の主役は金峰瑞牆となる。狭い槍の頂上でその眺めを楽しみつつ昼休みとしたが、1時間近くいる間に寒気が入ってきたらしく、出発するころにはじっとしているのが辛くなっていた。槍の北の斜面を下るときがもっとも寒かっただろう。南北に延びる稜線の北側ではともすれば膝下くらいまで積もった雪が、南側の斜面を登るときにはほとんどない。

木賊の頭の西肩はすばらしい八ヶ岳の展望台である。逆光気味となった八ヶ岳をしばし眺めたのち、ケモノの足跡に先導されて山道を下った。出発点にたどり着いたのは日没後で、最近では珍しい、7時間の長丁場となった。

臼旅ヶ尾根(茅ヶ岳・若神子・韮崎)

茅ヶ岳がニセ八つと言われるのは、八ヶ岳並みの長い裾野を持つことがその理由のひとつだが、ではその何本もある長い尾根で一番長いのはどれだろうと考えて地形図をながめると、北杜市と韮崎市の境界尾根がどうもそうらしい。

茅ヶ岳の頂上から南に発した市界尾根は饅頭峠を経てぐんぐん延び、最後は塩川に落ちる。そのぎりぎりのところで中央道に切られて終るのは残念だが、長いだけでなく、ほぼ最後近くまで車道に切られることもなく続くのは他の尾根にはない特徴で、なるほどこれはおもしろそうだと去年の冬に中央道付近の末端から饅頭峠まで歩いてみたのであった。

歩いてみてすっかり気に入って、昨日の木曜山行の計画に入れたわけだが、昨日は逆に饅頭峠から下ることにし、御岳道の鳥居から出発した。

古くからの作業道や地図にない林道が錯綜する稜線で、登りよりは下りがずっと難しい。一度登った経験がなければ昨日も最後まで正確に尾根をたどるのは難しかっただろう。途中、何度か行きつ戻りつした。

去年の暮れにもこの尾根の一部を歩いて、そのときにウスタビガの繭が多いのに驚いたが、今年も去年にも増してたくさんあり、おそらく100個は採ったのではないだろうか。他の山では最近滅多に見ないので、ウスタビガの生育に都合のよいなんらかの理由があるのだろう。それにちなんでこの尾根を臼旅ヶ尾根と名づけることにした。

     
旭山〜堤山(谷戸)

毎年、最後の木曜山行は近所の軽い山を歩いたあと納会をすることになっている。今年は、悩んだ結果、近所に残ったほとんど最後の課題とでもいうべき、旭山と堤山の縦走をすることにした。年末はあわただしいので、日を早めて昨日実施した。

2山とも地形図に山名が載っているのだからたいしたもの。旭山には車道が通じているし、頂上付近は史跡だったり桜の名所だったりするので、車で行く人はあるだろうが、歩いて登ろうという人はまれであろう。堤山には道らしい道はない。その2山をつないで歩こうという物好きなどまずあるまい。

どこからともなくやってきた我が家の新しい犬、チャコスケが山を歩けるだろうかと試しに連れて行く。短い足のわりにはよく歩いたが、年をとっているせいか、登りになると極端におそくなる。

旭山からは迷路のような作業道をたどる。沢を渡って堤山の登りになるともう道はない。藪の切れ目をたどって頂上に立つ。といっても、なんの目印があるわけでもない。このあたりが一番高そうだという地点を頂上とする。

午後はロッジに戻って今年一年を画像で振り返り、夕方からは小淵沢のレストランを貸し切っての納会となった。11人が飲んで騒いで和気あいあいと今年の木曜山行をしめくくった。

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