八子ヶ峰(蓼科・蓼科山)

木曜山行の今年前半の最後は、先々週雨天中止にした八子ヶ峰となった。横山夫妻と深田久弥氏ご次男の澤二さんをゲストに、山を語り人を語り、話題豊富な高原散策となった。そんなふうに駄弁りながら歩くのに八子ヶ峰ほど適したコースは滅多にない。

 この東急リゾートからのコースは6月の初めに横山夫妻と歩き、その新緑の美しさに驚嘆したものだが、それからふた月もたたないうちに山は完全に夏の緑になっていた。朝からぎらぎらと夏の太陽が照りつけるが、出発点がすでに標高1600mとあっては、木陰に入ればヒンヤリと涼しい。

ひと登りで主稜線に出ると、あとはさえぎるもののない草尾根歩きだが、昨日はその恩恵を思う存分味わうことができた。八ヶ岳や南アルプスや中央アルプス、そして御嶽山がまず背後に現れ、登るにつれ、北アルプスと大きな蓼科山がそれに加わった。

夏休みとあってさすがに行き交う人もあるが、それも大した数ではない。夏雲湧く八ヶ岳に向かって、このうえなくのんきに歩いた。

八子ヶ峰は何度も歩いたが、すずらん峠側からばかりだった。東急リゾート側から歩いてみて、コースとしては圧倒的にすぐれていると思った。秋にまた来たいねと横山さんからのリクエストが出たが、こんどは逆コースにしてみるのも面白いと思う。


仙丈ケ岳(仙丈ケ岳)

9月最初はまだ暑いから少々高い山に登るにしくはない。人気の山も夏休み明けで紅葉には早いとあっては人影少ないのは何よりで、それを狙ってここ数年小屋泊まりの山行を計画していた。

仙丈ケ岳は私にとっては十数年ぶりで、これまでは日帰りばかりだったが、今回は年齢相応にゆっくりと小屋泊まりである。泊まることにした仙丈小屋の建つ場所には、前回は壊れかけた避難小屋があるだけだったのだから、まだまだ新しい山小屋ということになる。

始発のバスは1台増発したが、増発車には数人が乗るだけだった。北沢峠からは広河原への乗り換えをする人や甲斐駒へ向かう人が多く、仙丈ケ岳への登山道に入る人はごくわずかだった。

山も十年ぶりともなるとまるで記憶なんてあやふやである。こんなに歩きやすい径だったかしらというような径が4合目くらいまでは続いた。大滝頭から少々登って小仙丈岳のハイマツ斜面に出ると、いよいよ高山気分が増す。

途中、雷鳥の親子にも遭遇しながら小仙丈岳に昼ごろに到着、ここまで登ると目指す仙丈ケ岳もほぼ全容を現す。せっかくの小屋泊まりなのだから、最初からこの場所でゆっくりすることにしており、結局1時間あまりを過ごした。その間、ここを通過した登山者はひとりだけで、まずは独占といってよかった。

カールの淵をたどること1時間、たどり着いた頂上にも誰もいなかった。もう眼下の小屋に下るだけなのだから、また腰をすえてのんびりすることにした。1時間近く滞在する間には北岳の隣には富士山も頭を出した。好天の百名山の頂上を1時間も独占するなんて実に贅沢である。

小屋へは一投足である。手続きを済ませたら、小屋前のベンチで山々を眺めながら乾杯、これも小屋泊まりならではである。

この日小屋に泊まったのは20人弱といったところだろうか。7時半消灯だが、その1時間も前に他の人は寝室に入ってまるで静かになってしまい、我々だけが騒いでいるのも悪い気がし、消灯より早めにおしゃべりも切り上げて寝床に入った。

山では絶対ちゃんと寝られない私にとっては、無限とも思える朝までの修行時間が始まったのである。

酒の力で寝ようとするわけだが、これは逆効果だという。そういうものかとは思うが、飲まないわけにもいかない。しかし飲んでいると寝つきだけはいい。どうせ何度かは目が覚めるが、せめて最初のそれが日が変わってからになっていればいいなあと願って毛布をかぶったら、あっという間に寝てしまった。しかし目が覚めたときにおそるおそる時計をみるとまだ8時10分、消灯からたった40分しかたっていないのには心底がっかりした。それから長い長い夜だった。文庫本を用意してきたが、それも頭に入らないのは高度のせいかもしれない。

せっかく小屋に泊まったのなら朝の風景を見なければ意味がない。仙丈小屋は東側は稜線にさえぎられる。まわりがごそごそし出してからてからやっとうつらうつらとしたので少々遅くなったが、夜明け寸前に小仙丈岳への巻道を稜線へと急いだ。

かろうじて間に合ったご来光にシルエットの山々が浮かんだ。写真を露出を変えて何枚も撮ったが、使いものになるのは少なかった。それでも目で見たのだから文句は言うまい。小屋泊まりは大嫌いだが、この荘厳を見られるならまた誘惑されたら来てしまうだろう。

午後一番の帰りのバスが1時発だから時間は有り余るほどある。Sさんのスケッチに付き合って、馬の背で大休止、藪沢源頭で大休止と、これ以上ないくらいゆっくりと下ったが、それでも北沢峠でさらに1時間半の待ち時間があった。


王ヶ鼻(山辺)

とうの昔に車で頂上台地まで達することのできるようになっている美ヶ原だが、旧来の径、ことに三城からのそれが何本も残っている。茶臼山にはそれらを使って何度も登っていたが、3年前に石切り場から王ヶ鼻へ登ってみて、その径の状態の良さに驚き、去年も登ったし、今年も6月の新緑を狙って計画したが、その日は天気を考慮して鷲ヶ峰に行き先を変更してしまった。そこで再度計画に入れたのが昨日の木曜山行となった。

晴天の朝であった。毎度通いなれたビーナスライン沿いの落葉松はいくらか黄色味を帯びてはいるが、下界がまだ真夏日が続くような残暑とあっては秋空というにはほど遠い、展望を期待した北アルプスには朝のうちからすでに雲が湧いていた。

石切り場の駐車場に他の車はない。オートキャンプ場を抜けて山径に入ると、歩きやすい傾斜の径が続く。それに加えてこの径の何よりの美点は岩がほとんどないことである。

少々傾斜が急な落葉松林を抜けると松本平が眼下に拡がった。やがて鉄平石を敷き詰めたような径となり、王ヶ鼻の岩場の下に出る。ここで去年に引き続き、穂苅三寿雄さんの昭和初期の写真と同じ場所で記念撮影した。今回は念入りに構図を決めたので、かなり近いものになったが、小道具のパイプがなかったのは残念。昨日はおとみ山のお誕生日だったのだが、この2枚の写真の間には、そのおとみ山のこれまでの人生分くらいの歳月が流れているわけである。人の世が移ろっても変わらないのが山の良さだが、山だって細かいところは人為的に変わっている。しかしこの岩場がすでに80年近くもほとんど変わらないまま残っているのはうれしい。

王ヶ鼻のてっぺんには入れ替わり立ち替わり人がやってくる。おとみ山のお誕生日にと、皆さんいろいろのお祝いを持ち寄ってきていた。Fさんは保冷材で冷やしたビール、Oさんはケーキ、そして山歩大介さんからは百万円札の束(百万円の札束ではありませんよ、念のため)が贈られた。すっかりそれを忘れていた私は帰りの温泉でコーヒー牛乳を1本プレゼントしてお茶をにごした。何はともあれメデタイ王ヶ鼻でのお誕生日会となったのであった。

下りは王ヶ頭の下から、まだ歩いていなかったダテの河原コースを下ってみた。これもかつては牛馬の歩いた径であろう、ジグザグを切って歩きやすい傾斜に造られている。しかし下りやすさは木舟コースと名づけられた、かつて2度下った径には及ばないと思った。


伊那前岳(木曽駒ヶ岳)

駒ヶ岳ロープウェイを使った木曜山行を何度かしてきたが、千畳敷から簡単に日帰りできる山はそうないし、お金のかかる山だから天気が悪かったら嫌だし、と最近の山行計画にはなかなか浮かんでこなかった。

それでも久しぶりにロープウェイのサイトを眺めていたら、9月の平日限定の割引プランがあるのを発見、ならばそれに便乗しようと伊那前岳にだけ登るという妙なプランを思いついたのであった。9月の平日限定というのだからいかにその時期客が少ないか知れようというもので、乗車だけで何時間も待たされるのだけは避けたいという意味でこれまで9月にしか計画してこなかったのは正解というわけだが、しかしそのせいでいつでも同じ色合いの風景だというのも少々気にはかかる。

お金のかかる山はことに天気が心配だが、直前になって、それまで悪かった予報がまったくの晴天に変わった。そのわりには現地に向かう空には雲が厚かったが、駒ヶ根に近づくにつれてそれも薄くなってきた。バスセンターで始発を待つ人の列がこれまででもっとも長いのは割引プランの効果だろうか。

始発のバスは補助席まで使ってぎっしり満員で出発した。乗り継いだ始発のロープウェイには乗り切れない人も出たが、我々はなんとか乗り込むことができた。千畳敷に着くと目の前の宝剣岳方面は秋の青空だが、南アルプス方面には雲が湧いている。

乗越浄土までの急登は突然高いところまでやってきた身体には辛いが、昨日は気温が低くて助かった。とにかく時間だけはたっぷりあるので、休み休み登った。

乗越浄土まで登ってしまえばもう登りは終わったも同然である。ほぼ100%の人が木曾駒方面に行くが我々はその反対方向へ進む。南アルプスが出ていれば最高だったのだろうが、あいにく中央アルプスの山並み以外はすべて雲に埋もれていた。しかし花崗岩の白砂を踏んで歩く雰囲気は鳳凰三山のプロムナードにも比すべき快適さの雲上散歩で、難なく伊那前岳の三角点に着いた。

早いお昼休みとして1時間も滞在したが、その間誰もやって来なかった。ようやく2人連れが向うからやって来たのを潮時に、頂上を明け渡すことにした。

まだ早い時間だから乗越浄土へは千畳敷駅からは続々と人が登ってくる。カタログ雑誌に出てくるような若い人が多いのはさすが有名山である。

1時過ぎには下りのロープウェイに乗って、ごくインスタントな高山歩きを終えた。


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