丸川峠から柳沢峠(大菩薩峠・柳沢峠)

丸川峠と六本木の間の稜線を歩いてみたいとずい分以前に思ったのは地形図を見るだにいかにも私の好みのラインだったからだが、今まで歩き残していたのは車の回収が厄介だからであった。

柳沢峠への車道も広くなったことだし、峠にあらかじめ自転車を置いておけばこの行程も可能になるなと今回計画した。裂石から丸川峠への尾根道の樹林がすばらしいことは前回歩いたときに知ったが、それが葉の落ち切った年の瀬だったので、これは新緑にこそ歩いてみなければと思ったのもすでに8年前である。いやはや、行ってみたいと思っていても次々に行かないことには月日はすぐにたってしまう。

あらかじめ自転車を置いてという計画は、塩山のFさんの、車を出しましょうというありがたいお申し出で長い峠道を自転車で下らずに済むことになった。

丸川峠への尾根のすばらしさは、その半分の行程あたりで、ブナの大木が次々に現れるころから本領発揮となる。登るにつれミツバツツジの花も見事になって、これはすごい景色だと立ち止まることが多くなった。わりと急な尾根だが、次々と現れる亭々とした大木たちを愛でていると疲れを感じている暇もない。

丸川峠あたりでは、まだ芽吹いたばかりであった。丸川荘の只木さんは留守だったが、中村好至恵さんが描いた、トイレの内装の絵を見学したりしているうちには泉水谷の方から竹かごを担いで帰ってきた。私も面識があるし、同行したアルプ美術館の鈴木さんも面識があるので、久闊を叙すことになった。

只木さんが担いでいた竹かごの中はたくさんのコシアブラであった。なんとそれをすぐにおひたしにして我々にふるまってくれた。一同驚喜したことは言うまでもない。

丸川峠から六本木へはほとんど登り下りはない。古い時代の水源林事業で整備されたのだろう径は登山道というには立派すぎるくらいの石垣が随所に組まれ、ところどころには大きな自然石を敷いた石畳のようにもなっている。只木さんが、大菩薩でも最もすばらしい苔の径だと言ったとおり、累々と積み重なった大岩のことごとくが、しかも多くの種類の苔におおわれている様にはまた感嘆しきりであった。

丸川峠から柳沢峠まで誰ひとりに出会うこともなく、これぞ山歩きといった醍醐味を満喫した。私はぶどう沢峠付近の地形や林の雰囲気が気に入って紅葉黄葉の時季にもまた訪れてみたいものだと思った。

老婆心ながら、このコースは私たちが歩いたように裂石起点にする方が、逆コースより断然楽しめると思われる。

高烏谷山(信濃溝口)

毎年恒例になったかの感のある大鹿村行きは、今回、地元北杜市、横浜、名古屋、大阪からひとりづつが参加するという珍しいことになった。最初の計画では、日帰りにはちょっと遠い大川入山に登るつもりであったが、それでは参加者の合流が難しいので、1日目は行きがけの駄賃の山として高烏谷山に登ることにした。

余談ながら、高烏谷山は「烏」という字だと思い込んでいたが、頂上の標識に「鳥」の字が使われており、あらためて地形図を見るとやはり「鳥」となっている。こちらが勝手に思い込んでいたのかと帰ってから調べると、たとえば駒ヶ根市のサイトでは「烏」なのである。「鳥」と「烏」の両方の字で検索をかけてもそれなりにヒットするので、どうも両方の字が混在して流通しているらしい。

それはさておき、山梨を出るときは重く雲が垂れ込めていたのが、伊那谷へ入る頃から青空がのぞきはじめた。登山口の高烏谷神社に着いたときには日ざしも強くなって、ハルゼミも鳴き始めていた。赤松の大木がすばらしい高烏谷神社の参道から登山が始まるのがこの山の美点のひとつである。標高的にもう暑いかもしれないと思っていた登山道は緑に日ざしはさえぎられ風が適度に吹いてなんとも涼しい。

過去に2度高烏谷山に登ったのはいずれも冬で、頂上まで車で行ける山だから車が通行できない間に登ろうというのが理由であった。もう林道も通行できるので車で来た観光客で頂上がにぎわっていたりしないかと心配していたが、幸い頂上には誰もおらず、広い草地に寝そべって折りしも太陽に重なるという金星を観察したり、雲が流れては現れる中央アルプスの残雪の山を同定して1時間あまりを過ごした。

下りはあっという間に車に戻り、一路大鹿村を目指した。毎度温泉に浸かる赤石荘で前日からこの宿に泊まっている大阪の梟マムさんと合流、一風呂浴びた後、延齢草に向かった。

延齢草では山の珍味を楽しみながら夜が更けていったのは、これも毎度のことであった。梟マムさんはひとりヤギの乳搾りに参加、その成果は翌朝の食事で提供された。

笹山(鹿塩)

大鹿山行の2日目は鳥倉山か笹山と考えていたが、天上に達する車道が通行可能と聞いたので笹山と決まった。今回はその道を登るかと4WD車で来ている。

村内の小渋橋のたもとにウエストンの碑ができるのだが、ちょうどこの日が台座に碑石が乗せられて完成するとあって、その工事中の様子を見ることができた。日曜日あたりに除幕式となるのだろうか。完成した姿はこれからいつでも見られるのだから、完成前の様子こそ貴重である。

宿の佐藤さんを道案内に山道をぐいぐいと車は登る。もういい加減登ったところに忽然と集落が現れるのにはやはり驚かされる。去年の秋に二児山に登ったときには舗装工事中だった黒川牧場手前の車道はすっかり舗装路になっていた。

牧場最上部の駐車場には他の車はいなかった。すでに2000mを越えていて、こんなところまで来てしまっていいものかしらんという気分になる。この駐車場から笹山手前にまで山腹を削って車道に近い道が造られているが、それを歩いたのでは興味も半減というわけで、適当なところから稜線に登り、わずかながらでもこの山地の太古の雰囲気を楽しむことにした。

最近大風が吹いたらしく、多くのまだ葉に色を残した倒木が道をふさいで歩きづらいが、それをまたいで歩くぐらいはしないとあまりにも労力節減である。黒河山の三角点を過ぎ、なおも針葉樹のいい香りを楽しみながらひと山越えると笹山に達する。最高点からは立ち枯れの木に邪魔されて眺めははかばかしくないが、少し南に下ると、塩見岳から南の山々がずらりと並んだ。残念ながら赤石岳は雲に隠れている。文字通りの笹山で、雲がまるでないような日なら、笹原を移動すると白峰三山も仙丈ケ岳も眺められるし、西の高みへ行けば中央アルプスも一望できるだろう。それらが雲に頂上を隠していたこの日は何と言っても塩見岳が王者であった。

この広い山域に我々だけが遊んでいると思うといくら滞在していても足りない気もする。後ろ髪を引かれる思いで笹山をあとにした。帰りは大道を歩いたが、それこそあっけないくらいに駐車場に戻ってしまった。大晴天の日にまた訪れたいものだと思う。

御正体山(御正体山)

去年の10月20日の木曜山行と同じコースを設定した。去年は誰も参加者希望者がいなかったが、それでもひとりでも登ろうと思ったのは、その一週間前に死んだクリオの追悼の意味もあった。奇しくもその2年前の10月20日にクリオと御正体山に登っていたし、それを含めて御正体山には4度クリオと登っていた。

幸い河口湖のWさんが同行してくれることになり、たったひとりの木曜山行という、今までに一度もなかった事態は避けられた。そのとき初めて立ち入った、頂上から石割山へ続く稜線の樹林の雰囲気がすばらしく、この掲示板に「ツガやモミなどの針葉樹の大木に、ブナをはじめとする広葉樹の大木が競うように亭々と立つ様は、ちょっと他では見られないと思う。新緑のときにまた来たいね、とWさんと話し合った」と書いたが、それを実現させようと今回の計画になったのであった。だからWさんも誘おうと思ったが、今はそれどころではないだろうというのはご存知のとおり。

予報は曇りだったが、展望を楽しむ山行でもないので雨さえ降らなければ良しと思っていたが、御坂トンネルを抜けると富士山はすっきりと見えていた。結局、帰りの山中湖畔からも見えていたので、1日中ほとんど隠れることはなかったことになる。

沢沿いの径は植林地を抜けると俄然美しさを増した。沢沿いから尾根道に移ると、ギンランがやたらと多い。今年はギンランをよく見かけるが当たり年なのかもしれない。それにしてもこれだけ咲いているのは初めて見た。

道坂峠への稜線に出ると傾斜は強まり、登るにつれて森が深くなっていった。傾斜がゆるみ行く手が明るくなると頂上へ着く。去年、祠にクリオの写真を納めたが、かなり色あせながらも残っていた。

頂上から少し南に行った森の中で昼休みとした。柔らい土の上にシートを引いて寝転ぶと実に落ち着いた気分になった。大木のある山はいいなあと思った。

今、丹沢あたりのブナは枯死していたり樹勢が衰えていると聞いているし、実際、何度か訪れたときにそれを感じた。しかし道志川を隔てただけの道志山塊ではそれはないように思う。山伏峠へと下る稜線のブナの数は、おそらく山梨県でも屈指であろう。展望には恵まれない山だが、そんなことはちっとも問題にならない、森こそを楽しむ山である。また訪れたいと思う。

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