がんこ山(谷戸)

「がんこ山」というのはよくよく聞くと「松尾山」だったという記憶もあるのだが、そのあたりがあいまいなので、ここではがんこ山としておこう。

津金の藤岡神社の石段にはじまる尾根が、笠無に登るもっとも美しいラインだと地図を見ていて気づき、木曜山行でそれを登ったのはもう6年前になる。この藤岡神社の石段は車道で断ち切られているので登る人はあまりいないが、地図にも記号が出ているくらいの石段で、近所でこれより長い石段は見たことがない。

石段もさることながら、神社裏手の林に立ち並んだ石仏群が見もので、これは神仏混淆の名残であろう。樹林がなければ甲斐駒がすっきり眺められるだろう場所からか、駒ヶ岳講の石碑がいくつも見られるのも面白い。この神社について須玉町誌で調べたことがあるのだが、これだけの遺構がありながら記載がないのを不思議に思ったおぼえがある。調べ方がまずかったのかもしれない。

さて神社の裏山ががんこ山というわけだが、こんな山を選んだのも、私の誕生日を祝ってくださるというので、会場は自分で選ばなければならなくなったからである。車横付けでほとんど歩かずに済み、しかも誰もいないところなどいくらでもあるが、ちゃんと山を歩いてからとなると条件は厳しい。

がんこ山なら山を越えたところに車道があるから、あらかじめそこに食材その他をデポしておき、いったん戻って山越えしてからそこに至るということが可能である。上に人家がいっさいない、おあつらえ向きの河原があるので、そこを会場と決めた。

野外での遊びは天気頼みだが、これはおそろしいほどの好天となった。こんな日にがんこ山ではもったいないとは思ったが、こればかりは仕方がない。神社裏手からの薄い踏跡を登ると、中腹からは林の雰囲気がよくなって、枝越しに真っ白な八ヶ岳や南アルプスが眺められるのも楽しかった。しばしの急登をへてたどり着いた頂上からは歩きやすい作業道が尾根に通じていて、会場の河原まではそれをたどればよい。

おそらくこの場所で焼肉の煙があがったのは有史以来はじめてであろう。最初は寂しい人数だったはずが、いつの間にやら総勢8人となって、わいわいと誰の迷惑にもならない場所で騒ぐうちには2時間あまりがすぐにたってしまった。

九鬼山(都留)

お金をもらってガイド記事を書いた初めての本が山と溪谷社の『東京周辺の山』だった。寺田政晴さんの紹介だったが、寺田さんが私にいくつかの山を割り当ててくれて、その中のひとつが九鬼山だったのは、私が富士急行沿線に住んでいたことがあったからだろう。

もっとも、九鬼山には登ったことはあったが、鈴ヶ音(鈴懸)峠からの尾根道は歩いたことがなく、家内に送迎を頼んで調査に行ったのがもう12年前になる。その頃すでに、この山の真下を通るリニア実験線のトンネルは出来上がっていたが、今は開通のための本工事が始まっていて、麓では大工事の真っ最中である。

このガイドブックはいまだに現役で売られている本だから、たまには現状を確かめる必要があると思って今回の計画になったわけだが、タクシーを使うでもしなければ縦走は厄介だ。そこで鈴ヶ音峠にあらかじめ自転車を置いて、朝日小沢から九鬼山に登り、峠まで縦走することにした。これはガイドの記事とは逆コースになる。ガイド記事では札金峠から田野倉へ下っているのだが、今回は車回収の都合上、朝日小沢から登ることにしたのである。朝日小沢側からは初めてである。

当初、朝日小沢から札金峠へ登るつもりだったが、下調べすると朝日小沢からの登路は九鬼山北東直下で縦走路と合流するものが踏まれているらしい。ネット上に出ている地図を見てなるほどと思ったが、行けばわかると思っているから真剣には見なかった。せめて一般道との合流点だけでもチェックしておけばいいのに、それをしないから径を失ったのである。もっとも、径を失ったことと迷ったこととは同義ではない。自分がどこにいるのかがわかっているかぎりは迷ったことにはならない。

手造りの標識に従って沢沿いの径から杉の植林地に入ったところで径を失った。というのも、二日前の大風で植林地の中は折れた枝だらけでどこが径かもわからない。ままよと方角を定めて尾根筋を目指したが、それがすこぶる急登な上に足元がグズグズと崩れやすくて登りにくいことおびただしい。

半分四つん這いで大汗かいて尾根筋に出たが、しかしそこから縦走路へ合流するまでの樹林の雰囲気がこの日の全行程を通じてもっとも気分が良かったのだから怪我の功名とも言えた。

頂上から札金峠への径に合流し、急登しばしで到着した頂上にはひとりだけ先客がいて、昨日は結局それ以外に登山者とは出会わなかった。大菩薩から奥多摩にかけての大展望が楽しめるが、南側が暗い森で日ざしがないので、昼食場は鈴ヶ音峠へ少し進んだ藪の中とした。山頂のすぐ南の、富士見台と呼ばれた場所も、檜が育って、もう名前を返上しなければなるまい。

鈴ヶ音峠まではいくつもの突起を越えていく。かつて樹林の雰囲気が良かった印象のあった付近はことごとく以前の雑木林は伐採され、檜の苗木が植えられていた。今でこそ眺めがきくが、それも時間の問題だろう。

これも大風の影響か、尾根をふさいだ無数の倒木を乗り越えて、鈴ヶ音峠へとたどり着いた。踏跡はしっかりしているが、かなり藪がかかっているのは以前と同じ、その上倒木が増えたので、以前よりは難易度が増しているように感じた。

兜山(塩山)

桃の時期に合わせて登る人も多かろうと思ったが、駐車場には1台の車もなく、拍子抜けした。しかし夕狩沢に向かって歩き出したら、続々と車がやってくるのが見えた。

まあ、その対策として夕狩沢のコースを選んでいるのだから問題はない。沢沿いのコースには以前より道標も増え、テープも邪魔なほどぶら下がっており、何の問題もなく歩ける。芽吹きをもっと期待していたが、ちょっと新緑というには早い。カタクリがところどころで群生しているので、それが知れ渡ればもっと人気のコースになるに違いないと思う。まだつぼみが多いが何輪かは花をつけていた。傾斜もほどほどで歩きやすい、誰にでもおすすめできるコースである。

誰ひとりに会うこともなく兜山の三角点へ着いた。ところがその先の展望場へ行ったら、ちょうど昼時ということもあり、大勢が弁当を広げていた。いくつかの団体が集結したのだろう。どのくらい居るのだろうと数えてみたら40人は越えていた。

こりゃかなわんと、さっさと辞して、静かな場所をさがす。兜山の頂稜はミズナラの多い美しい雑木林で、なんとなく人工的に感じる地形である。山城でもあったのかもしれない。展望などなくともよほど落ち着ける場所がいくらでもある。そんな一角に陣取って、おとみ山とふたり、のんきな山上のひとときを楽しんだ。こんないい日にたったふたりとはもったいない。

例年なら盆地が桃色に染まっているわけだが、今年はちょっと遅い、全体的にまだ桃は5分咲きというところだろうか。そのかわりに桜がどこでも満開である。山から下ったのはまだ午後早かったので、あとは盆地周囲の桜見物のドライブとしゃれこんだ。


夜叉神峠と高谷山(夜叉神峠)

夜叉神峠への道すがら、韮崎の山際の桜は今が盛りだったが、芦安の谷に入ると少し春が後退した。車で夜叉神峠への道を登るのは久しぶりである。ぐんぐん登って峠入口の駐車場に着いたら、まだ冬の様相であった。

登山道は落葉松の植林地に通じるが、間伐のせいでかなり明るくなっていた。峠近くなると登山道には雪が凍りついていた。雲が多いので白峰三山の展望はどうかと心配だったが、かろうじて下半分を見ることができた。いつもにぎわっている夜叉神峠も、先着の10人ほどのグループが下ると静かになった。

ここに滞在して絵を描いているというSさんを残して、高谷山を往復した。高谷山こそもう20年ぶりである。ほとんど記憶にない尾根道は、深山らしい雰囲気がある。頂上からの眺めはもともとあまり良くなかったのが、木が育ってさらに悪くなっているように思った。高谷山の往復に他の登山者とは出会わなかった。

峠に戻って、絵が出来上がっていくのを眺めながら昼休みとした。ながく滞在している間には、間ノ岳の稜線が見えたりもしたが、結局三山の頂上はどれもお出ましにはならなかった。

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