百蔵山(大月)

『山梨県の山』の取材で百蔵山に登ったのは2004年の2月のことで、ちょうど8年ぶりとなった。ガイドブックに載せたのはごく一般的な山ばかりだから木曜山行のメニューにはなかなか登場しないが、たまには登ってみなければと思っているうちに8年たってしまったわけだ。山梨県の山とはいっても大月以東はかなり遠いし、東京の山のイメージが強い。同じ距離を移動するなら信州方面へ行きたいから、そちらへ行くのは信州が雪に埋もれた冬にどうしてもなってしまう。

今冬は県東部の雪が多いので、笹子トンネルを東に抜けるとあたりが白くなった。猿橋駅で横浜QQさんと合流して登山口へ向かい、自分のガイドブックどおりの行程をたどるつもりが、出だしの車道歩きで道を間違えた。ガイドブックをよく読まないせいである。

先回工事中だった百蔵浄水場はすでに完成しており、その先の山道への入口は少し位置が変わっているように思った。山の南面だが日影の径には雪が凍りついている。頂上直下は急登なので凍っていると嫌なところだが、幸い日当たりがいいのでほとんど土が出ていた。

頂上の様子はほとんど変わっていない。私たちの入れ替わりで先客3人が下ったあとは誰も登ってこなかった。風は少々あるものの、日ざしの暖かい南側の草地で1時間のんびりした。上半分を雲に隠していた富士山もその間にはほぼ全体を現した。

猿橋駅の北側、山を取っ払って造成した桂台の分譲地は、家に帰ってから以前の写真を見ると倍くらいには家が増えたようだ。ここからの眺めでもっとも目につく8年間の変化であろう。

帰りはアイゼンをはいて、適度に踏み固められた雪道をズンズン下ればあっという間であった。


高座岩(信濃富士見)

去年の秋にはじめて訪れて、その傾斜の緩さと眺めの良さと適度な距離で、雪さえあれば冬にスノーシューで行くには絶好だろうと思って今回の計画を立てた。もっともこれも雪あってこそ、半分は車道歩きなので、そこに雪がなければ目も当てられない。

今週はじめに降った季節はずれの大雨でロッジ周辺の雪はかなり融けてしまった。さすがに2000m近い入笠山あたりでは雨ということはなかろうが、それにしてもふかふかの雪ということもあるまいと思っていたらそのとおりで、雪はたっぷりあるものの、この数日の暖かさでいったん融けかけたものが再び凍ってすっかり硬くなったという状態だった。

しかし氷化しているところは少なく、すたすたと歩ける。雪のたっぷりある上をもぐらずすべらず歩けるのだから珍しい。快適なスノーハイキングとなったがスノーシューはまったく不要で、結局高座岩の入口まではザックのお荷物となった。

高座岩への尾根道に入ると、それでも深くもぐるところもあり、スノーシューが威力を発揮した。稜線には縦横無尽におびただしい鹿の足跡があるが、人の足跡は皆無で、冬以外でもここを歩く人はお隣の入笠山に較べるべくもないことを思うとそれも当然であろう。ところどころで鹿の群れに出くわした。

あいにく展望には恵まれなかったのは残念だったが、いたたまれないというほどの寒さでもなかったのは幸いで、高座岩の下で風をよけて長い昼休みとした。帰りはスノーシューを持ってきた甲斐があるように、雪深い急斜面を一気に下った。


海ノ口城山(信濃中島)

この冬、信濃川上ではマイナス23度まで下がったという話を聞いていたので、海ノ口でも相当な寒さになっただろうと、少々そちら方面の山を選んだのを後悔していた。前日にはこちらでも雪模様となったので、スノーシューとアイゼンの両方を用意していくことにした。

昨朝は野辺山の国道の温度表示はマイナス10度で、まあこの冬としてはそれほどの寒さではなかったが、それでも予報と違って空に青いところはまったくなく、気温以上に寒々しい。しかしおかげで沿道の落葉松には霧氷がついて美しい。八ヶ岳や他の山々は見えないのに、行く手に浅間連山だけがくっきり見えているのが珍しかった。野辺山高原から海ノ口へ下っていくと、周辺の雪はぐっと少なくなった。そこでスノーシューは置いていくことにした。

海ノ口城址は武田信玄が初めての武勲をあげたところとして、数年前の大河ドラマの年にはそこそこ訪れる人もあったらしいが、そのとき立てられた看板もすでに古びている。車が入れるならまだしも、30分は歩くとなれば冬に訪れる人などもはや皆無に近いだろう。

気温が低く日も射さないおかげで霧氷が落ちずに残っている。たとえ寒くともその中を歩くことができるのは極寒のハイキングならではである。海ノ口城址を過ぎると、遠く頸城の山々と北アルプスの最北部が、そこだけぽっかりと空が開いていて眺められた。わずかに白い頭を出しているのは雨飾山だろうか。

ちょっとした岩場をなかば四つん這いになって登ると城山の頂上は間もない。昨日はこの城山を頂点とする馬蹄形の稜線をたどったわけだが、そこここに人工的な掘割らしい跡が見られる。全体が山城だったのだろう。

城山の三角点名は栃山だが、2年前に登ったときにさんざんその三角点を探したのにどうしても見つからなかったのが、今回目の前にあったのには驚いた。4等三角点だからさほど古い物ではないにしろ、この2年の間に設置されたというには古びている。これには狐に鼻をつままれたような気分になった。帰ってから国土地理院のサイトで調べたが、再設置したような記録はなかった。

城山からの下りの尾根は、ますます霧氷が美しい。下るうちにはみるみる青空が拡がりはじめ、山歩きの最後には八ヶ岳もすっきり姿を現して見事なフィナーレとなった。


ゼブラ山(霧ヶ峰)

ゼブラ山へスノーシューの予定だった今週の木曜は朝起きたらあいにくの雨模様、現地ではひょっとして雪かもしれないが、雪が降りしきる中を歩くのも面白くないと思って中止にし、金曜日に順延した。金曜は打って変わって広く晴天の予報であった。

順延でも参加できたのはFさんだけで、結局私とふたりだけでの出発となった。去年もスノーシューでのゼブラ山を計画して、その日の都合でお隣の小日向山に変更した経緯があるから、たとえ少人数でもチャンスを生かさなければならない。勝手知ったるゼブラ山も雪の季節は初めてである。

現地では新雪だったかもしれないという期待は裏切られ、雪の状態は、雨で少し融けたのが朝の冷え込みで表面のみ凍っているといった具合で、つまりスノーシューに最適のコンディションというわけではなかった。一歩一歩、ほんのわずかな間をおいて足はぐっと沈む。まあとにかく雪はたっぷりとある。もちろん人の足跡など皆無である。予報ほどいい天気ではなかったが、みるみる青空が拡がってきた。展望の期待が高まる。風もなく陽気は春めいて、スノーハイキング日和だ。

頂上直下の広場まで来ると、スノーシューの一団が歩いたと思われるトレースが突然現れた。ここまで来るのにもういいかげんラッセルには嫌気がさしている。しめた、これで頂上まで楽ができると思ったのも束の間、トレースはまるで関係ない方向にそれていった。八島湿原の方からくる簡単なスノートレッキングコースがあるのかもしれない。

しかたなく最後の難関の斜面にアタックしたが、傾斜は強まる上に雪はますます深くなり、ラッセル要員もいないときては前進が困難になってきた。それでも大きくジグザグを切って登っていったが、頂上直下70mくらいのところで、頂上まで登らないと見られないだろうと思っていた北アルプスがずらりと並んでいるのを見て気が萎えてしまった。なんだここでも見えるじゃないか。すぐそこに頂上が見えているが、ここからが無雪期でも苦しいところである。この調子では小1時間はかかるだろう。昼飯時もとっくに過ぎている。

「やめますか」「そうしましょう」大人は無理をしないのである。
四捨五入で登頂としましょう。大人は大雑把である。
北アルプスの展望を前に昼食とした。

夏の倍以上の時間をかけて登ったのが、下りは夏以上に早かった。足など痙攣したことはないと豪語していたFさんが、いよいよ車に帰着する直前に痛い洗礼を受けたのだから、足の負担はかなりのものだったのだろう。

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