御嶽参道で新年会(茅ヶ岳)

今年も木曜山行が始まった。年の初めの木曜山行は数年前から神社のある山の頂上や近くで新年会をするのが恒例になってきて、今年もそうすることにした。もっとも、歩く距離は年々短くなってきており、山行というには少々おこがましい。

参拝することにしたのは金桜神社である。言うまでもなく金峰山の里宮であり、山梨県では屈指の正月の参拝客の多い神社である。人の多い神社に参るのは閉口なのでこれまで正月に行ったことはなかったが、それでも5日ともなれば参拝客も皆無に近いのではないかと思ったのである。

しかし神社はまだまだ参拝者でにぎわっていた。さほど広い境内でもないので、昨日でこれなら元旦の混雑が想像された。

参拝をすますと峠から御嶽参道へと歩き出した。金桜神社を見下ろす山の上に社の遺構があるのを知っていたのでまずそこへ行って小さな石祠に参拝し、それから羅漢寺山方面へと登っていく。

金峰山の望める伐採地は景色を眺めながら宴会するには好適だがあいにく風が強くとてもそんな気分にはなれず、そこを行き過ぎて平坦な林の中に場所を決めた。広い林の中は風はほとんど吹かないし日当たりも良い。

今や歩く人もいない御嶽参道の脇で宴会が催されたことが今までにあっただろうか。今年の山行の無事を祈ってにぎやかに過ごした。

鶯宿峠〜風巻〜大窪(河口湖西部)

昨日はこの冬一番の冷え込みとなった。今回の計画は山の北側の登降となるのでひときわ寒さがこたえることになった。そのかわり展望の良さは最高で、北アルプスまでが諏訪口の空にずらりと並んだのであった。

計画に当初「鶯宿峠からトヤンハチ」としたのは間違いで、調べ直したら今回の目的とした1172mのピークは、鉄道省編『日本山岳案内』によると「風巻」であった。トヤンハチというのはその東のピークで、この呼称は小林経雄『甲斐の山山』による。『日本山岳案内』ではここは「東洞」となっている。現在の地形図では「名所山」となっているが、以前の地形図では「名所山」は滝戸山の東であった。山の地名はその麓によって異なることがあるのでややこしいが、ことに釈迦ヶ岳から西に延びる尾根筋では混乱しているようだ。

大窪から鶯宿峠の径は数年前に登ったときより荒れていて、以前の記憶がないと下からたどるのはかなり難しくなっている。もっとも、かつての峠道らしい部分が残っているのはごく一部ではある。

風巻の頂上で昼休みとしたが、日なたでもあまりゆっくりはしていられない気温だった。もう少し暖かい日ならごろりと寝そべってのんびりするにはいいところである。黒坂峠から鶯宿峠付近にかけてはかつて広い防火線が切られていて、白峰三山の大展望を楽しみながら歩けたものだが、今ではもう昔の話となっている。尾根道もかなり藪に阻まれるようになっていた。

風巻から大窪への破線は、なまじ地図が読めて破線を忠実にたどろうとすると最後は径ともいえないところを降る羽目になるから、破線からはずれて尾根どおしに降るのが楽だと思う。ま、これは要らぬ老婆心であった。

ともあれ、寒くはあったが、そんな日ならではの静けさと展望を楽しんだ1日だった。

加入道山(大室山)

前々日の夜に中央道勝沼大月間で雪による多重事故があった。八ヶ岳方面ではさほどの雪でもなかったから、珍しく甲府盆地以東の方が降ったわけだが、となると道志からの大室山もかなりの雪を踏むことになるのではと思っていた。

現地まで遠く、最近では長丁場となるので、雪の量によっては頂上には届かないかもしれないと考えていたが、あにはからんや、都留から道坂トンネルを抜けると一気に雪は減って、登山口あたりではほとんどなかった。

そんなわけで登山道もほとんどは土と落葉を踏むだけで、それは標高が上がっても変わらず、これなら順調に行きそうだと稜線直下まで来たところでとんだ伏兵があった。山抜けで道がなくなっていたのである。白石峠の名の由来となった採石場跡を通り過ぎたところだった。

ほんの数メートルではあるが、傾斜は急でつかまる物もなく、すべったら必ず怪我をするだろう。見れば、あったはずのロープはアンカーごと下に落ちている。ほんのわずかで稜線だから、自分だけなら斜面を這い上がれるだろうが、それでは話にならない。

加入道山まであと10分ほどのところまで来て悔しい。小1時間打開策を考えたが、結論は撤退となった。採石場跡ですこし早い昼とした。道の修理ができたらまた来ようよと、皆さん諦めは早かった。

このコースは私のガイドブックに載せているので、この状態が続くならガイドブックからコースを削除するしかない。そこで帰りに道志村役場に寄って修復の予定を打診しておいた。回答が得られたらこの掲示板にも書いておこうと思う。修復されるまでは登山口に通行止の看板を置き、村のサイトにもその旨を明記しておくことが必要であろう。

西向(若神子)

ぐっと冷え込んだ朝、南アルプスや八ヶ岳は半分薄い雲に覆われ、どうやら雪模様らしい。たまたまこんな日に地元の低山だったのは好都合だった。さっさと登って温泉にドボンというにはぴったりである。

出発点の持久(もちひさ)神社は、しかしそのまだ新しい鳥居の中央にかつての鳥居にあったろう石がはめ込まれていて、それには衣襲(きぬがさ)神社と彫られている。衣襲大神とはカイコを守る女神だとか。余談ながら、先日下見をしたときにはその字がよく読み取れなかったが、昨日ははっきりと読むことができた。この3週間たらずの間に誰かがこの彫石の掃除をしたらしい。

心配された雪は大したことはなく、頂上付近にいたってせいぜい5センチ程度だった。むろん頂上にはケモノ以外の足跡はない。先日私が登って以来訪れた人もいないことだろうと思う。三角点がポツンとあるだけの静かな林、こんな山頂が近所にあることを喜ばねばなるまい。

まだ時間が早いので、昼食は先日見つけた池のほとりでとることにして、登る途中で見つけたかつての径跡を下ってみることにした。どこかにうまく出るだろうと思ったその径はすぐに跡形もなくなり、仕方ないので適当に下ってみたが、林道に出るところで少々苦労することになった。林道が山腹を横切っている山は、そこへの着地が難しい。

林道を歩いて宗泉院に参拝したのち池へ向かった。先回も池は硬く凍っていたが、今回は上に雪が積もって一見残雪があるだけに見える。

池の向こうには荒倉山が顔を出して、まるで大正池から穂高を望むようだと私は言ったが、さすがにこれは白髪三千丈であった。


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