兜岩山(信濃田口・荒船山)

本来なら泊りがけで雨飾山に行っているはずだったのだが、腰の不調で長距離運転は負担が大きいと判断、日帰りの山に変更させてもらった。もっとも、数日前にちょうど小谷温泉に泊まったという人に聞いた様子では、行ったとしても雨飾山には気軽に登れなかったかもしれない。

10月末に計画していた兜岩山が雨天中止になったので、ちょうどいいと代替することにした。去年は雨で中止、今年の4月は凍結のため途中で撤退、そして前回は雨天中止というのだから、4度目の正直の登山である。

今度ばかりは何の問題もない好天である。好天だが風の強かった日が続いていたが、風もない。葉はほとんど落ち切って、落葉松の黄葉が残るばかりだったが、初冬の山の風情が満喫できたのであった。

ローソク岩を北側から回り込むところで4月には撤退したのだが、ここだけは要注意箇所である。この山域の権威、打田^一さんに聞いたところ、やはりこの箇所は最後まで雪が凍りついて残り、ヤバイのだそうだ。

兜岩の頂上は三角点がポツンとあるだけの展望のない場所だが、その西端で好展望が得られると、これも打田さんのガイドマップに教えられていた。なるほど、そこまで行けば大展望が開け、これはすばらしいと歓声があがった。少々雲がかかり始めていたが、北アルプスがずらりと並んだ。美ヶ原の左側には乗鞍岳が見える。八ヶ岳が普段見ているのはまるで違う形なのも面白い。意外なところに金峰山や甲斐駒が見えたり、双眼鏡で山々を眺めて飽きなかった。

下山後、徐々にシルエットになっていく八ヶ岳を八峰の湯に浸かりながら眺め、1日の山歩きを終えた

烏帽子岳〜パノラマ台〜中之倉峠(精進)

ごく近所で気になっていながら歩いていない場所というのがあるもので、本栖湖の西から北にかけての湖岸尾根はそんな場所のひとつだった。

なにしろ横山厚夫さんの『一日の山・中央線私の山旅』で読んで以来頭には残っていたのだから、かれこれ四半世紀たって、やっと歩くことになったのである。車などという不便な乗り物を登山に使っているとこういった現象が起こりがちである。

計画したものの、当日の2日前まで参加希望者がなく、ついに木曜山行はじめての参加者なしでの中止という事態におちいるかと心配したが、直前になって山歩大介さんと東京のIさんが手をあげてくれた。

珍しく誰もいないパノラマ台に着いたころには、富士山は五合目から上を雲に没していた。だが富士山ずれした私などには、御坂の山はもっぱら樹林を楽しむことに主眼がある。

パノラマ台から西に分かれた湖岸尾根はガイドブックにも滅多に登場しないが、古くからの交易路があった尾根で、そのとおり、尾根上の突起はうまくからんで余計な上下をしないようになっている。山の北側に多くあるブナは樹勢も旺盛である。蛾ヶ岳から釈迦ヶ岳へ続く尾根との間には深い谷があるので、全般に山が浅い感じのする御坂にあってはなかなか山深い雰囲気がある。

盛りにはかくやと思われるが、それでもかろうじて残った紅葉黄葉を楽しみながら歩くことができた。深く降り積もった落葉にそれぞれの色が残っている。それを蹴散らして歩いていく気分は、これぞ山歩きである。こんな径を歩くと私はすぐうっとりとするのだが、昨日もずっとうっとりしていた。ぜひまた来たいと思った。

中之倉峠から湖畔へと降りる径が、進行方向の後ろ側にあったので、少々さがす羽目になったが、逆から見ると見逃すはずのない径であった。昭和天皇の立太子記念の石の道標が埋められていて、「フルセキ」「シャウジ」「モトス」の字が見られた。大正5年当時は立派な交易路であったのだろう。帰って明治時代の地図を調べると、歩いたとおりの道筋が地図上にあり、たいしたものだと思わされた。

落合〜黒川鶏冠山〜柳沢峠(柳沢峠)     

ロッジを出るとき空は厚い雲におおわれていて、予報もあまりよくなかったため、今日は展望は望めないかと思っていたが、甲府盆地へ出ると青空がひろがった。

勝沼で東京からの3人と合流、一路柳沢峠をめざす。峠を越えると多摩水源の山々がずらりと並んだ。

落合の国道沿いに車を停めて用意をしていると、群馬ナンバーの、やはり登山者を乗せた車が停まって、降りてきた人に道を尋ねられた。同じく落合から黒川鶏冠山へ登るつもりだが入口がわからないという。

ガイドブックのコピーを持っているので見せてもらうと、どこかで見たような文面である。「これは私が書いたのです」と言うと、どうも半信半疑のようだった。冗談だと思ったのだろう。おそらくそのガイドブックが悪いのであろうが、国道沿いには登山道への道標はないのでわかりにくいのは確かである。

水源巡視路を兼ねた登山道は整備が行き届いて歩きやすい。植林地が終わると広葉樹の自然林となる。すでに葉は落ち切っているが、新緑紅葉はすばらしいことだろう。

黒川山の北側を巻いて鶏冠山に登り、眺めを楽しむ。群馬の一行が食事をしていたので、我々は黒川山の展望台に移動する。

10人も居れば満員の狭い展望台は幸い貸切で、東側以外の展望がほしいままだった。ここから見えるはずの山はすべて見える。奥秩父の山並みが横一線に並ぶのを間近に見られるのはここならではである。2日前に雪が降ったせいで、国師ヶ岳の左の肩に金峰山が確認できた。角のように斜めに立っているのは何かと双眼鏡をのぞくと五丈岩であった。

柳沢峠までは誰にも会わぬまま、静かな初冬の森を楽しんだ。

仏岩(霧ヶ峰)

姥子山という名前がよろしくないのか、結局参加者はおとみ山だけである。参加者がなくて中止にしたことは今までにないのだが、危ういところであった。

予報を見ると大月方面は今ひとつ、ならばわざわざ遠くまで出かけることもないと、天気の良さそうな場所に行き先を変えることにした。ふたりきりだから、こういった場合には話がはやい。

そこで思いついたのが仏岩、北から大門街道を登ってくるときにいつも看板を目にしていてずっと気になっていたのである。

方向は正解だった。富士山方面が雲に隠れているのとは反対に、北アルプスは行く手に白くずらりと並んでいる。冬としては珍しい。

仏岩への入口の看板は見過ごすこともない大きなものである。案内板を見ると、仏岩のてっぺんにある宝篋(きょう)印塔は鎌倉時代のもので、長野県最古のものだとか。県宝でもあるという。

てっぺんまで1時間くらいはかかるだろうと思っていたのが、案内板にあったのは30分の文字、30分では困るなあと思ったが、今さらどうしようもない。

新しいのは入口の看板だけで、かつて整備したのであろう木段は朽ちたり崩れたりしている。遊歩道というには急で、はしごが現れるにいたって、険しさは増すばかり、最後の鉄はしご3段は高所恐怖症には到底無理なもので、我々も股間を涼しくしながら仏岩のてっぺんに立ったのであった。

宝篋印塔が金網に守られて建っている狭い頂上は、4人もいれば危なくて困るようなところである。突き出した岩の上だから当然眺めはいいが、落ち着いて眺めているわけにもいかない。看板につられて登ってきたら往生するだろう。

早々に下ったがまだ昼前、そこで昼飯を食いにカシガリ山の途中まで行って、今度はすっかり落ち着いて眺めをほしいままにしたのだった。

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