黒斑山(車坂峠・浅間山)

悪天で順延することにした黒斑山、珍しく多くの参加希望者があったというのに、その中に金曜日でも都合のつく人は皆無で、今週は中止とするしかないとあきらめていたところ、意外なところから手が上がった。名古屋のNさんが金曜日ならと言うのである。

ならばたとえ1人でも行きましょうとなった。そこでNさんは名古屋を朝4時に出発してきたのである。その意気や壮というしかない。

そしてロッジにて私と合流、9時半には車坂峠に立つ人となっていたのだから、なんともはや現代的な早業であった。

予報とは裏腹に、佐久街道を北上中、空には暗く厚い雲が垂れ込めていた。これはどうしたことか、しかし、ぎりぎりもぎりぎり、車坂峠に着く直前、雲の上に出て、真っ青な空が頭上に広がった。Nさんもやったあと歓声を上げる。

ほぼ同時に着いたバス1台分の小学生も黒斑山に向かうというので、あわてて出発した。

車坂山への登りで振り返ると北アルプスが雲海に並んでいる。その後再びあたりは雲の中となったが、外輪山の淵に出て、トーミの頭に登りつくころ、まるで幕が上がるかのように雲が動き、前掛山が現れた。南側を埋めた大雲海にはかろうじて八ヶ岳と富士山が浮かんでいる。

トーミの頭でしばらく休んだあと黒斑山に登る。先客3人しかいなかったが、いずれ小学生で混みだすだろうと早々に蛇骨岳まで足を延ばす。ほとんど高低差のない、実に気分のいい縦走路である。蛇骨岳まで来る人は少ないらしく、誰もいなかった。ちょうど昼時である。

雲がひっきりなしに動き、まわりの山が隠れたり現れたりするのを1時間も眺めたが、それでも去りがたい気分だった。こりゃいい山だというのがNさんと私の同じく発する感想であった。

帰りは、どういうわけかロープでとうせんぼしてあり、道標も撤去されている、蛇骨岳から車坂峠へ至る裏道を下った。これものんびりした、いい径であった。

毛無山(人穴)

調べてみたら前回毛無山に登ったのは89年の秋で、なんと21年ぶりの再訪となったのである。若かったそのときの印象でも、とにかくひたすら登り続けるだけの山で、そんな印象がこれまで再訪を妨げていたことは否めない。

21年もたっていれば、道々の記憶などほとんどないから初めてのようなものだが、ひたすら登ったという印象はそのとおりで、今回もひたすら急な傾斜を登った。

稜線近くにある富士の展望所では、頭を雲の上に出した富士が拝めたが、頂上に着くころにはほとんど雲に隠れ、やがて没し、再び頭を現すことはなかった。

山梨県に2箇所だけの一等三角点の本点がある頂上は、毛無山の名前どおりの草原だったような記憶があったのだが、あるいは前回がもう葉の落ちきった時季だったからそう感じたのかもしれない。もっとも、木が成長したのは間違いなく、富士山方面に切り開きがあるとはいうものの、広い眺めというわけにはいかないのは、山の名前からすると残念な気もした。

毛無山が毛無山でなくなって、一方、こちらの頭が毛無山になったのがこの21年の歳月だったかと、さびしい頭をなでたのであった。

地藏峠から下りこそ記憶になかった。なかなかの滝がいくつもあったり、沢を何度も渡り返すなど、まるで憶えていないのだから、山の記憶なんてどこへ行ってしまうのだろう。まあ、それだからこそ何回でも楽しめるともいえる。

1100m近くを下りきって駐車場に戻ったときには、もう結構という気分になっていた。しかし、それも忘れてまた登りに行くのである。けだし、忘れることは良きことである。

福地山(焼岳)     

この山は山岳ガイドの平田謙一さんに教えてもらった。登山道が整備され気軽に登れる山になって、登ってみたらよかったという。もうかなり前のことである。

それから頭の隅に引っかかってはいたが、何しろ遠いから行きそびれていた。しかも地形図で見ると、取り付くシマのない山とはこのことで、麓に至る顕著な尾根の張り出しもなく、おそろしく等高線も詰まっていて、いかにも険悪な感じを受けるのである。

歴とした登山道でもない限りおいそれと登れる山ではないが、行ってみると、そこにはまことに歴とした径があったのだった。

福地温泉に着いたのは名物の朝市がまだ終わらない時間で、登山前に野菜の買出しとなった。谷あいから見上げる周りの山々はことごとく切り立っていて、少しだけ焼岳が頭を出している以外には北アルプスの麓にいることはわからない。

かつて林業用のキャタピラーが登れるように造られた径だろう。幅といい傾斜といい、一定のままジグザグに高さを上げる。少々単調ではあるが、歩きやすい。

植林の杉林を抜け、あたりに広葉樹が増えだすと、枝越しに槍の穂が認められた。穂高の山々も頭を出すが、見慣れぬ方向からで判別が難しい。

ところどころ尾根道と巻道が分かれるので、登りは急な方を行く。見事な枝ぶりの樹木も多く、それは高さを上げるにつれて増え、しかも紅葉黄葉も進んで、まことに雰囲気がいい。ところどころでは展望が開け、休むのにちょうど良い。

小広い頂上は、北アルプス側に展望が利く。大木場の辻の上にりりしい三角錐を現している笠ヶ岳が槍ヶ岳よりはよほど堂々とした槍である。新穂高ロープウェイのゴンドラがゆっくりと上下するのが豆粒のように見える。

先着のふたりが入れ替わるように下ると誰もいなくなり、あとから登ってくる人もいなかった。のんびりと1時間あまりを過ごしたが、まだ立ち去りがたい頂上であった。アルプスに残雪のあるころにまた来ようと早くも話がまとまった。

この登山道の下りやすさは特筆すべきで、巻道をとれば、足任せに下れるほぼ一定の傾斜が登山口まで続く。先週の毛無山の下りとはえらい違いだなあと話しながら、登りの半分の時間で下ったのであった。


菜畑山〜今倉山(大室山・都留)

突発的な腰痛で山なんか登れるのかという朝だった。起き上がってしばらくすると、それでも何とか歩けるようになったので、この好天に中止にするわけにもいかないと出かけることにした。

道志から菜畑山(「なばたけうら」と読むのである)に登り、今倉山へ縦走、道坂隧道に下るつもりなので、隧道脇に自転車をあらかじめ置いておく。

登山口で靴を履いているときにまた痛みが走った。こりゃだめかもしれないと思ったが、今日登るつもりのルートは1000mを越えるところまで車道なので、ともかく杖をついてよろよろと歩き出す。コンクリート舗装の車道登りなんてつまらないが、今日ばかりは助かる。

車道終点まで行ったらやめにして下ろうと思っていたのが、あと頂上まで30分程度だと思えば登らないのもくやしい。

登った甲斐のある富士山の展望だった。ここまで来たらもうそのまま今倉山へ縦走してしまおうと思っていたのが、頂上に、林道を終点まで車で来ていた人がいたので、つい甘える気持ちになって、下まで便乗させてもらうことにした。この山はここから今倉山への縦走が主たる楽しみなのだからもったいない話だが、歩くのはともかく、自転車で登山口へ帰るのはちょっと無理に思えたのである。

参加者の皆さんには縦走してもらい、私は車の回送に徹することにする。遠くつくば市から来ているというNさんは、おそるおそるゆっくりと下る私に気をつかってくださり、まことに恐縮至極であった。

約3時間後、道坂隧道で無事合流、楽しい尾根歩きだったことを聞かされた。

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