三界山(高遠)

時ならぬ前日の大雪に、高遠の藪山なんぞに登るのは諦めるしかないと思って、県内の山に代案を考えていたが、念のために高遠の役場に積雪状況を確かめてみた。

「5センチほど積もりましたが、もう車道にはほとんど残っておりません」

そんなことなら初志貫徹である。しかし大雪に伴うアクシデントが次々に起こり、参加予定の人が3人脱落、結局4人での出発となった。

それにしても、融けかかった雪が再び凍った早朝、小淵沢で高速道路に乗るまでの車道の危険きわまりないことはこの冬一番であった。おそらく多くの事故が起こったであろう。

おもしろいことに諏訪でも雪はぐっと減って、伊那まで下ればもうまだらに田んぼに残るばかり、こんどの雪は山梨県に集中的に降ったらしい。


三界山(みつがいさん)は、伊那、高遠、長谷の境界にある三国山である。長い尾根には車道が通じているが、それを使ったのでは登山にならない。そこで、北東の麓にある龍勝寺からの破線を登ってみることにした。

最初、地図の破線らしき径は見当たらなかったが、主尾根に乗ってしまえば、そこそこの径が通じていた。雪は適度に硬く、快調に高度を上げた。三界山まで標高差はないが距離はある。途中、仙丈と甲斐駒の眺めのすばらしい砂礫地があった。これ以上のロケーションはもうないだろうと判断、そこで昼食をとることにし、荷物を置いて頂上を往復することにした。

最後の150mはなかなかの急登だった。たどり着いた頂上は、案の定、赤松のびっしり植えられた、どこがピークかもわからない広い場所だった。もちろん展望もない。御料局三角点があったが、現在の三角点は見当たらない。雪に埋もれていたか、もう少し先にあったのか、もう面倒なので探しはしなかった。

雪道の下りははやい。登りの4分の1の時間で展望地へ戻った。午後の光にいよいよ伊那側の南アルプスはくっきりする。新雪の山々を眺めながら、至福の昼休みを楽しむことができた。

往路を下って、こんな山中に何でこんな大伽藍がと驚かされる龍勝寺を見学した。朝には気づかなかった福寿草が車道の脇に多く咲いていた。

三界山から見えた、高遠湖畔の緑の屋根は温泉ホテルであった。ならばその温泉に浸かるにしくはない。これが実にいい泉質で、しかも他の客は誰もおらず、山も温泉も貸切の1日となった。

御弟子〜大平山〜上折門(市川大門)

この山行の出発点となった旧下部町御弟子まで、私の住む大泉から100キロ近くある。直線で結んだ長さからは想像もできない距離で、いかにそこまでの車道が紆余曲折しているかがわかろうというものである。

今は無人となった御弟子集落の標高は900m近くあるが、茶畑のあるところをみると、標高のわりには暖かいのだと思われる。この集落は山梨県で最後に電気の通じたところだという。そういわれてみると、下界から上がってくる電線がまだ新しいものに感じられる。しかし、もう電燈がともる夜も滅多にはないのだろう。

駐車スペースのすぐ上の小さな平地にはかつて古関小学校折八分校が建っていたという。今でこそ車道がすぐ脇に通じているが、それがなかった頃、この奥深い山中に建つ校舎はどんなだっただろうか。山神峠とよばれる、古い神社が2軒建っている峠への径は、つまり、かつて下折門や上折門の児童の通学路であったことになる。

山神峠でしばらく休憩したあと、尾根どおしに北上する。蛾ヶ岳からくる主尾根にある栂ノ峠まで、その名の由来となった栂の大木に会いに行き、西へと戻って藪をわけて太平山へ達した。太平山は縦走時も巻いてしまうことが多いようで、こちらからの踏跡はないに等しい。

頂上は富士山側に開けているが、あいにく春霞に富士山はほとんど溶け込んでいた。

頂上から南に下れば、現在の折門峠まではほんのわずかな距離である。来た道を戻って、上折門への近道をしようとして、感覚が狂った。古い径に出会って、右に行かなければならないところを左へ進んでしまった。これはおかしいと戻って半時間あまりをロスした。

それでも何とか上折門へ着いた。生活の遺物がそこら中に散乱していて興味は尽きない。自転車まであったが、この山中にそれに乗れるような道があったのだろうか。近くにまで車道が通じたのは、この集落が無人になって20年もあとのことなのである。

古い教科書、まんが雑誌、賞状、壊れたレコードプレーヤー、そして数々の食器。私はそれらに悲哀に似た感傷を持つが、しょせん旅人の感傷など無責任なものであることは重々肝に銘じなければなるまい。


天狗山(塩山)

笹尾根はこれまで3度計画したが1度しか天気に恵まれなかった。そして今度も完全な雨の予報に早々と中止とした。よほど相性が悪いとみえる。

翌日に順延したが、東京から近いからと、現地で参加希望の人たちが都合がつかないとあっては、わざわざ遠いところへ出かけるのもばかばかしい。そこで2月に中止とした天狗山に行き先を変更した。

キャンセル待ちが出るくらいだった笹尾根とうってかわって天狗山にはわずか2人のエントリー、枯木も山のにぎわいと娘も連れていくことにした。

数年前の冬に帯那山から八幡山を越えて天狗山まで歩くつもりが時間切れで桜峠から下った。その残した部分を片付けようというわけである。

桜峠への古い峠道も途中からはほとんど藪に埋もれる。峠に至るまで、あたりは桑畑の跡ばかりである。たどり着いた桜峠には桜ならぬ梅が花盛りであった。ここから天狗山までは、なかなか一筋縄ではいかぬところで、しばしば地図とコンパスを取り出すことになった。

頂上で昼休みをしたのち、そのまま南に下ると、かなり大きな石祠があった。なるほど天狗山の名前はこれに由来するのかと思った。そこからはかつての参道らしき道が続いていたが、それもあやふやになるころ桃畑へ出た。

あいにく富士は雲に没していたが、晴れていて桃の花でも満開なら、いかにも春らしい山歩きとなっただろう。こんな山をさがして歩いていれば、それこそ山梨県だけでも静かな山は無尽蔵である。


要害山〜岩堂峠〜武田神社(甲府北部)

かつて河口湖畔に住んでいたとき、甲府盆地よりひと月は遅い春に業を煮やして、4月になればすぐに甲府の北山を歩くのを楽しみにしていたことがある。

八ヶ岳に移ってからも、その気候はさほど変わらないとなれば、やはり春を先取りしようと盆地周辺の山へと足を向けることになる。

要害山、深草観音、岩堂峠、この季節に幾度歩いたことだろう。今年度初の山歩きにもつい計画してしまった。

予報は悪かったが、終始濡れないほどの小雨がぱらつく程度の天気だった。武田神社付近では満開に近い桜が要害温泉ではまだちらほら開花しだしたばかり、山の中にはスミレが見られるだけだった。

標高差はないが歩く距離は意外とある。深草観音に参ったあと、岩堂峠で昼食をとったが、その後鹿穴に登ってみるつもりが、雲行きを心配して割愛、大岩園地まで一気に進んだ。ここからの南アルプスの大展望もあいにくの雲の中であった。

しばしの藪漕ぎで大日影に出れば、あとは急な防火線の下りである。しだいに大きくなる街の音を聞きながら竜ヶ池のほとりに出た。あと2週間もすれば、このルートは新緑に覆われることだろう。

最後に武田神社に参拝、菱和殿の渡辺隆次画伯の天井絵を見て大団円となった。



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